2.酒麻呂と風平

「なあ、風平かぜひらよ」

「なんです」

 満月があたりを照らす晩のことであった。虫の音がかすかに聞こえる。ある屋敷の倉庫の前で、二人の男が酒を飲んでいた。左に座すは齢二十一になる風平、右に座すは齢二十六になる酒麻呂さけまろという男であった。酒麻呂は、ちびちびと盃を傾けながら、ほうと息をついた。

「なぜ、世の人はすぐに女の話をしたがるのであろう」

「男であるからでしょう」

「聞くのに飽いた」

「詩のいい材料になりそうではありませぬか」

 風平は屋敷からくすねてきた書物をめくりながら言った。この男、庶民の生まれでありながら、たいそう聡明であった。背も低く顏も随分と若いので、言うこと一つ一つが生意気に聞こえる。

「馬鹿を言え、みな話が同じところに行きつく。あれが詩作になどできるか……」

 酒麻呂は短い顎鬚をなでた。酒がたいそう好きで、酒にたいそう強い男であったが、そのせいで常々周囲の与太話に付き合わされていた。苦労人気質の見える、頬のこけた顔つきをしている。

 この酒麻呂と風平は、とあるやんごとない方の元で雑用係として生活している。さて、やんごとない方などというと、どのような好事家だろうと期待されるのが常であるが、残念ながらその気質、まるで下衆のそれであった。狩衣の垂れを下に巻き込んで座るような男で、文を書くのをたいそう嫌う。宴の場で、人の女を抱いただのどうのこうの大きな口を開けてげらげらと笑うくせに、臆病で逃げ足が早いこと早いこと。二人はみるみるうちに厭世観を膨らませ、しまいには主人を陰で「すさまじきもの」と揶揄するまでになってしまった。このようになってしまえば、もはや二人の生きる愉しみは、酒を飲むことと主人の陰口をたたくことくらいである。今宵も、そうした理由で集まったわけであった。風平が涼しげに笑う。

「しかし、酒麻呂殿。月を詠み、花を詠むのもいいが、人に生まれたからには、人の情趣を喜びたいではありませぬか。私には、いずれ風雅の道に繋がる話のように思えるが」

「たわけ。奴らのはそんな高尚な話ではないぞ。どいつもこいつも、女、女、女……」

「それは、例えば、良知よしとも殿の話ですか」

「そうとも。へらへらと笑いおってからに……」

 良知というのは、最近新しく雑用係として入って来た者のことである。端整な顔をしており、そのような事に欠いたことがないのであろう。女の肌はやわくて白いだの、間近で香の匂いがした時のときめきだの――。主人の下品な話にも進んで付き合い、媚びへつらう下賤な男。どうも奴は苦手である。

「主人が主人なら、その下につく雑用係も雑用係ですね。質が知れる。ああ、嘆かわしい」

「おい、俺たちも一応その雑用係ぞ」

 酒麻呂はつまらなさそうに、小石を手のひらの上で転がした。秋の寂しさに気がふれたのか、みな下品な色恋沙汰ばかり。酒のまずくなる一方である。が、ふと思い出したように、風平のほうを見た。

「待て。そう言えば、それだけではなかった。お前、菊の姫君の屋敷の噂を知っているか」

「なんだ、知りませぬなあ」

「随分と下々の者の間で噂になっているぞ。――今宵は一つ、酒の肴としておそろしげなる話でもしてみようか」

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