【小説】『ハーモニー』を再読。個人的には傑作SFである以上にどこまでも青春小説だった

2019年3月20日






 SF作家の伊藤計劃氏が病によって亡くなったのが2009年3月20日。今年は没後10年の年となります。


 2007年に『虐殺器官』でデビュー。その衝撃的な作品で鮮烈なデビューを飾りSF界を震撼させましたが、しかしオリジナル長編二作品目となる『ハーモニー』が遺作となりました。


『虐殺器官』及び『ハーモニー』は国内外で評価され、数多くの賞を受賞。活動期間が二年間と短いにも関わらず大きな反響を生み、以降伊藤計劃に影響を受けた作品や作家のことをまとめて「伊藤計劃以後」と呼ばれるようになり、一つの時代となりました。




 私自身、伊藤計劃作品によってSFというジャンルに興味を持ちました。人生が変わったと言ってしまうと大げさのように思えますが、しかし自分の価値観は間違いなく変化しました。そんな思い入れの強い作品を、今回はとくに衝撃を受けた『ハーモニー』を、没後10年というこの機会に再び読みました。当時感じたこと、そして今読んで感じたことが、今回の話題です。





  書籍情報



  著者:伊藤計劃


 『ハーモニー』


  早川書房より出版


  刊行日:2008/12(単行本)

      2010/12/8(文庫版)

      2014/8/8(新装版)



  あらすじ(単行本版)

「一緒に死のう、この世界に抵抗するために」―御冷ミァハは言い、みっつの白い錠剤を差し出した。21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は医療経済を核にした福祉厚生社会を実現していた。誰もが互いのことを気遣い、親密に“しなければならない”ユートピア。体内を常時監視する医療分子により病気はほぼ消滅し、人々は健康を第一とする価値観による社会を形成したのだ。そんな優しさと倫理が真綿で首を絞めるような世界に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した―。それから13年後、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、かつて自殺を試みて死ねなかった少女、現在は世界保健機構の生命監察機関に所属する霧慧トァンは、あのときの自殺の試みで唯ひとり死んだはずの友人の影を見る。これは“人類”の最終局面に立ち会ったふたりの女性の物語―。『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。







 まずは、私事で申し訳ございませんですが、私が伊藤計劃作品を読むようになったきっかけをお話します。長くなるので興味のない方は読み飛ばして構いません。自分語りの最後に黒丸を並べて印をつけますので、そこまでスキップどうぞ。





 自分は学生の頃、典型的な「読書をしない若者」でした。当時から活字離れが騒がれていましたが、まさに自分こそがそれに当てはまる人間でした。転機が訪れたのは『涼宮ハルヒの憂鬱』が一部界隈で話題になっているのを知ったことによります。そのあたりのお話は以前このエッセイで公開した「【小説】『涼宮ハルヒの憂鬱(角川文庫 新装版)』十何年ぶりにハルヒを読んだ。今の自分だからこそ感じるものがある」をご覧ください。



『涼宮ハルヒ』以降の時期、2000年代後期から2010年代前期頃まで、ライトノベル界隈では学園ものが流行っていた印象があります。もちろん異能力もの、王道青春もの、青春ラブコメものなどなど、同じ学園もののカテゴリーでも方向性としてはとてもバラエティー豊かだったような気がします。またこのころになるとメディアワークス文庫を発端にライト文芸なるものが登場し、少し大人びた現代作品が多く出版されるようになりました。


 しかしその後のラノベ界隈では、徐々にですがファンタジー色が強くなっていった印象を受け、また小説家になろう作品の流行の兆しもありましたので、今後本格的にファンタジーブームが到来するだろうことは容易に想像できました(事実ファンタジーブームは到来し、現在進行形で流行しています)。


 そして現実世界とはかなり異なるハイファンタジーな作品に苦手意識が生まれ始めたことにより、「自分ってもしかしてファンタジー苦手では!?」と気付き、ファンタジー化するライトノベルの代わりとして「ラノベ以外のジャンルを開拓するべきでは!?」と思うようになりました。


 で、「じゃあ実際にどのようなジャンルを開拓するべきか?」と考えたとき、「ならファンタジーとは真逆のジャンルを攻めてみよう」となり、結果SFに手を出すことになりました。まあ自分の性格としても理屈っぽいところがありましたので、「SFみたいな小難しい物語でもいけんじゃね?」的な発想もありました。


 ただいきなり海外の有名SFを読む気にはなりませんでした。というのも、そもそもライトノベルにはまっていたのは馴染みのある現実的な世界観だったからなので、海外作家による海外を舞台にした作品は異文化過ぎて楽しめないだろう、というのがわかりきっていましたので。そこで国内作家による日本(もしくは和風)のお話を探そうと思い至りました。


 そして実際、SFについてネット検索をしていくうちに、「どうやら伊藤計劃という作家の作品がすごいらしい」ということに行きつき、しかも「『ハーモニー』の主人公は変わった名前だけど日本人らしい」ということも把握できたので、「じゃあ『ハーモニー』っていうSFを読もう」という流れになりました。時期としては2012年か2013年、もしかしたら2014年になってたかもしれません。


 以降、私の読書の傾向としましては、ハヤカワ文庫の国内作家作品と、若い子が登場するライト文芸という方向性になっていきました。



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 ネットで検索した結果「どうやら伊藤計劃作品がすごいらしい」に行きつき、とくに『ハーモニー』という作品に強い興味が湧きましたが、調べていく過程ですでに作者が亡くなっていて作品も二作品しか発表していないことを知り、「じゃあ『ハーモニー』だけじゃなくもう一冊の方も」というノリで『虐殺器官』とセットで入手。入手といっても、自分にとって本格SFは未知の領域だったため、いきなり購入するのではなくお試しという意味合いで借りてきたという体たらく。ちなみに新装版が出版されたタイミングでちゃんと購入し、自分の蔵書本棚に加えました。




 実際に『虐殺器官』と『ハーモニー』を読んでみたわけですが、正直に言うと『虐殺器官』の方はあまりしっくりと来なかった。いや作品自体はとても面白かったです。伊藤計劃作品の特徴でもありますが哲学的な問いかけを含みつつも、エンターテインメントとしてのサスペンス的なストーリー展開はとても魅力があって、深く考えさせられながらもドキドキハラハラ展開はもう面白いの一言でした。


 ただ自分の好みとしては「馴染みのある世界での青春 」だったので、『虐殺器官』のアメリカ軍人の主人公が世界の混沌に挑む内容は、あまりにも好みとかけ離れていました。『虐殺器官』についての個人的な感想としては「すごく面白かったけど趣味じゃなかった」といった具合です。



 その流れで第二作目の『ハーモニー』を読み始めましたが、こちらは冒頭で完全に引き込まれました。最初の数ページを読んだだけで、『虐殺器官』では味わうことのなかった「面白さ」の虜となったわけです。



 というのも『ハーモニー』の冒頭は、主人公の霧慧トァンが高校生の頃の過去回想から始まるのです。放課後の教室で、本編でも形容されていますがクラスで一番成績のいい問題児の御冷ミァハを中心に、大人しめの零下堂キアンを巻き込んだ女子高生三人のシーンですが、これ客観的に見るとなのです。もちろん未来の世界で現代とは全く違う社会ですし、本人たちもかなり込み入った事情(とくにミァハ)を抱えていますが、しかし根本的な部分としては思春期で考え方が拗れた痛々しい学生でしかないのです。


 自分はその部分に強い青春を感じました。というのも近未来を舞台にしたSFではありますけど、彼女たちの姿はまるで現代的だったのです。多感な思春期において周囲と馴染めず苦しむ様は現代に通じるものがあると思います。実際現実にいる中高生と何も変わりません。何なら自分だって中学高校時代は中二病を拗らせてひねくれていましたから(今も?)、気持ちとしてはとても共感できるところがあったのです。


 おそらくこれまでの時代の若者もそうだったと思います。そんな過去現在続いてきたある種の普遍的な青春像を、『ハーモニー』という作品は未来の社会で表現しているのです。こうした普遍的な青春を冒頭で描かれているせいもあって、青春作品好きの私でもすんなり作品に馴染むことができたのだと感じます。序盤だとSF的な設定の開示等々ありますが、それも女子高生の視点で語られているので把握しやすかったです。




 その後物語は大人になった霧慧トァンの視点で描かれますが、この主人公のトァンもなかなかな中二病です。学生時代ですでにその気はありましたが、物知りでカリスマ的な中二病のミァハに触発され相乗効果で中二病感を加速させた主人公。大人になっても中二病を維持しているその部分にも強い青春を感じました。


 トァンという人物は自己中心的な性格といえます。これは本編でもしっかり描写されています。トァンが生命主義となった社会に溶け込めなくて苦しんでいるのも、性格的に自分第一という考えがあるのに、社会の空気によって気遣いと奉仕、そして何より自分の身体を公共の資源リソースとする社会の考え方を強要されるのに耐えられなかったからです。生命主義という近未来の社会がある限り、たとえ子供から大人になったとしてもトァンの感情が変化することはあり得ないのです。それでもトァンはその社会の中である程度の折り合いをつけて生きているのです。


 この社会に適応して大人になったふりをしつつも、内面では思春期に抱いた感情のまま、いやむしろ鋭利に研磨して余計に拗れている様は痛いほどに理解できます。だって私自身がまさにそうですから。いい歳して絶賛中二病を患っています。もちろん現実では『ハーモニー』の世界のように過剰なユートピアを装った過激なディストピアではありませんが、しかし現代の社会や集団などが内包する雰囲気や理不尽について思うところは確かにあります。そういった意味からも「霧慧トァンはまさに俺だった!?」というのが、『ハーモニー』を最初に読んだ感想でしたね。




 そんな始まり方をしていたおかげで共感し、すぐに夢中となりました『ハーモニー』は、○○(ネタバレのため伏字)の死によって話が大きく動き出し、社会の根幹を揺るがす大事件へと発展するといったサスペンス的展開となり、また社会学的だったり脳科学的だったりするアプローチにて、健康とは、幸福とは、意識とは、進化とは、個人とは、社会とは……といった哲学を匂わせる話を読者に向けて問いかけているかのようで、ただただ深く考えさせられる内容でした。


 SFの解釈にスペキュレイティブ・フィクション(Speculative Fiction)というものがあって、簡単に説明すると哲学的な物語といった具合ですが、この『ハーモニー』はまさにスペキュレイティブ・フィクションに属する作品ではないかと思います。まあ私自身スペキュレイティブ・フィクションが何たるかを完全に理解してはいませんが、でも『ハーモニー』は未来の世界で思考実験をして、そこから導き出されたものを題材に在り方を問いかける様は、まさに哲学らしさを含んでいるように思えます。





 そうした哲学的なことを問いかけつつ、構成面では高校時代の回想と現代の大人パートを交互に繰り返し、そしてサスペンスとしての謎を追求するストーリーは、最後の最後で衝撃的な結末を迎えます。ただこれもSFとしての結末でもありますけど、個人的にはトァンとミァハという二人の女性の結末、それこそのような気がします。百合的でもありますし、青春にようやく終止符が打たれたような最後だと感じましたね。



 そういった意味では、この『ハーモニー』という作品はユートピアの臨界点でもあるし、恐怖的なディストピアでもあり、哲学としての問いかけのあるスペキュレイティブ・フィクションでもあって、エンターテインメントとしてのサスペンス作品でもありますけど、でも私としてはどうしようもなく、どこまでも青春小説だったという印象を読後に感じました。





 当時もそうですし、こうして読み返した今もそう思いますけど、初挑戦としての最初の本格SFが『ハーモニー』でよかったと、心の底から思っています(まあ厳密に言えば最初の本格SFは『虐殺器官』なんですけどね)。


『ハーモニー』をきっかけにSFの面白さを知って、なおかつ青春の素晴らしさを再認識しましたね。間違いなく私という人間の価値観を変えた物語でした。






 再読したことで気がついたこととして、これまで自分が書いた小説について「伊藤計劃作品は好きだけど創作の影響は受けていない」というスタンスだったのですが、しかしこうしてみると青春×SFはもしかしたら『ハーモニー』の影響かもしれないと思うようになりました。もちろん私の拙作は足元にも及ばない、比べるのもおこがましく、まさに月とすっぽんの関係ですが、もしかしたらそういった部分に影響がにじみ出ているのかもしれませんね。





 さて伊藤計劃作品の『ハーモニー』について(途中ただの自分語りになっていましたが)長々と語ってまいりましたが、まだだ! まだ終わらんよ!(クワトロ・バジーナ風)



 このあと漫画版『ハーモニー』と、映画版『ハーモニー』の話をします。今回はとりあえず小説版『ハーモニー』の話題ということで、次回も『ハーモニー』の話をしますのでよろしくお願いいたします。




 今回は少し長くなってしまいましたので、次回は少し文字数を抑え目にしようと思います。



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