【小説】『涼宮ハルヒの憂鬱(角川文庫 新装版)』十何年ぶりにハルヒを読んだ。今の自分だからこそ感じるものがある

2019年2月14日





 伝説的なライトノベル『涼宮ハルヒ』シリーズが、あの角川文庫から再販されるそうです。というかもうしてます。ついに一般文芸化ですか!? 表紙からイラストが消え、なんだか意識高い感じのする表紙に変わっている! 解説が大御所筒井康隆だと!? 普通のSF小説みたいだ(SF小説ですが)!



『涼宮ハルヒの憂鬱』はですね、自分の人生を変えた作品の一つでもあります。そんな思い入れのある作品の再販ですから、気がついたら買っていたというオチ。



 というわけで今回は十何年ぶりに読むハルヒの話。






  書籍情報



  著者:谷川 流


 『涼宮ハルヒの憂鬱』


  KADOKAWA 角川文庫より出版


  刊行日:2019/1/24

 (スニーカー文庫版は2003/6/10)



  あらすじ

 全世界累計2000万部突破! あの「涼宮ハルヒ」が角川文庫に襲来!

「涼宮ハルヒの憂鬱」はラノベである以前に優れたユーモアSFである。――筒井康隆(解説より)

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」高校入学早々ぶっ飛んだ挨拶をかましたえらい美人、涼宮ハルヒ。誰もが冗談だと思うこの言葉が大マジだったことを、俺はのちに身をもって知ることになる。ハルヒと出会ってしまったことから、気づけば俺の日常は非日常になっていて!?ライトノベルの金字塔が、豪華解説つきで襲来!








 自分は所謂ハルヒ世代でして、テレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』をたまたま見て衝撃を受け(とくに12話の『ライブアライブ』)、それまでまともに読書をしていなかった自分が進んで読み始めたのがまさにこの作品。ハルヒがあったからこそ積極的にアニメを視聴するようになり、読書もするようになりました。そういう意味では間違いなく『涼宮ハルヒの憂鬱』は自分の人生を一変させた一冊でした。




 読書に不慣れであった当時と、今や読書だけではなく自分で小説を書くようになった今現在(といっても小説の執筆活動休止宣言してから半年ほど経過しましたけど)とでは、同じ『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んでも感じ方が異なります。今回は主に二点についてのお話。





 まず、『涼宮ハルヒの憂鬱』の最大の特徴といえるのが独特の語りでしょうか。主人公のキョンによる一人称で語られる作品ですが、これがまた癖のある一人称小説です。



 冒頭の、最初の一文を抜粋しますと、


「サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかというとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。」


 このような地の文で始まります。このような文章で全編描かれています。




 特徴としては、とりあえず一文が長いことにつきます。一行の間に句読点が全くないことは珍しくなく、二行とか三行とかの区切りのない文章が出てきます。普通であれば読みにくいかと思われます。実際十何年前は読みにくく文章を追いかけるのに必死でした。



 しかし改めて読んでみると、区切りのない文章ですが言うほど読みにくくない、という印象を抱きます。むしろスラスラ読めるほどです。


 このリーダビリティは一体何なのか?と考えてみると、あることに気がつきます。そうです、文章に中身がないのです。


 中身がない、と言ってしまうと悪く聞こえてしまうかと思いますが、しかしこのような書き方故に流し読みが容易になり、読むテンポが向上するというメリットが生まれます。


 このサンタクロースで始まる文章も、文章の要点としては「サンタなんて全く信じていない」ということにつきます。それだけのことに三行少々使っているのです。この文章を真面目にゆっくり読んでしまうと「なんだよこの回りくどい文章はッ!!」という印象になるかと思いますが、しかし要点だけをうまくつかめればサッと読み流すことができます。


『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品は物語の緩急がうまいこと構成されていて、そういう意味ではシナリオを読む感覚でどんどん読み進めていき、その物語の緩急をさながらジェットコースターのように体感するのが楽しい読み方だと個人的には思いますので、こうした読み流しやすい文章、読み流しても理解できる文章というのは、この物語だからこそ効果的な書き方なのではないでしょうか。


 ただこういった書き方はこの作者だからこそできる芸当だと思います。下手に真似すると本当の意味で中身のない文章になってしまい、物語自体が軽薄なものへとなってしまう恐れがあるかと。よくあるページの下半分が真っ白なラノベみたいに。小説という文章作品としての強度と濃さを維持しつつ高度にテンポを加速させる書き方、というものを、曲がりなりにも読書と執筆経験を積んだ今の自分だからこそ理解できたような、そんな気がします。






 二つ目はSFについて。



 当時『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んだときは、「宇宙人や未来人が登場するからSF!」くらいにしか思っていませんでした。ええ、何も考えていませんでした。



 しかし今回改めて読んでみると、思っていた以上にSFだったので驚きました。



『涼宮ハルヒの憂鬱』のSF要素は主に中盤以降に現れてきます。そう、長門有希や朝比奈みくる、古泉一樹の正体が明かされてからです。この辺りのシーンでは、先程の「読み流しやすいテンポのいい文章」とは打って変わって、じっくり読ませるタイプの文章に変化します。それだけに他のシーンとは違い読み応えが出てくる場面でもあります。


 長門有希が明かすSF的設定、朝比奈みくるによる時間構造のアイデア、そして古泉一樹のパートではやや思索的なアプローチがされており、SFとしてペダンチックに描かれていますが、この書き方がまた三人の異質さの表現となっており、物語としての演出になっているのが素晴らしいところ。



 涼宮ハルヒという人物を前提に、様々な角度からの考察ネタで攻め、それらが融合してクライマックスシーンに繋げていく様は紛れもなくSFだったと感じました。アレ? ハルヒってここまでSFだったんですね。今回認識を改めました。









 といった具合に、当時のアホな自分(今も?)では捉えることができなかった魅力を、十何年か経過した今だからこそ気付くことができたような気がします。


 そして思うのが、やっぱり『涼宮ハルヒの憂鬱』は傑作だということ。これほどまでに高度に仕上げられた小説はなかなかないと思います。そして高度に仕上げられているからこそ、たとえ表紙の雰囲気が意識高くなり挿絵も消えて文章だけの作品になったとしても、その魅力を損なうことがないのでしょう。角川文庫という一般向けレーベルで再販されても何の違和感もないと思います。


 解説でも

「(前略)これを以てしても本書がもはやラノベの域にとどまらず、文芸的な小説として認められたばかりではなく、文壇的事件として文学史の一頁となったことを示している」

 と書かれている通り、ハルヒはまた一つ伝説を作り、またそういった伝説を作り出せるほどの力がこの作品にはあるのだと思います。




 というか、スニーカー文庫(ライトノベル)と角川つばさ文庫(児童文学)ときてついには角川文庫(一般文庫)と、同じ作品で角川レーベル三つを制覇しているのが地味にスゴイですね。


『涼宮ハルヒ』はターゲット層をどんどん拡大させている、自己増殖的な作品なのかも。では一体次はどこのレーベルから出るのか!? と妄想したりしなかったり。




 とりあえず、今回『涼宮ハルヒの憂鬱』を再び読んで、自分自身の成長というか、価値観の変化を認識することができたような気がします。貴重な読書体験でした。昔読んだ小説を読み返すのもたまにはいいですね。






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