【カクヨム】そのスマホ……大丈夫?
2019年2月9日
小説投稿サイト「カクヨム」の年に一度のお祭り(?)である「カクヨムWeb小説コンテスト」、第4回の読者選考期間が2月7日(木)で終了しましたね。今回から短編部門が新設され、長編とはまた違うコンパクトな物語で応募することが可能になり、書き手としても読み手としても参戦しやすいコンテストになったのではないでしょうか。聞くところによると応募総数が長編短編合わせて8,000作品とか……いやーすごいですねー。
自分は今回長編も短編も応募しておらず、100%読者としていくつか応募作を読ませていただきました。……とは言っても、そこまで多くの作品に目を通すことはできず……。そもそも、毎年思っていますけど時期が悪いですよ! 12月スタートで約2ヶ月の開催期間ですけど、12月は年末として仕事なりなんなりが忙しくなる時期だし、1月は冬アニメが始まって視聴するものが多い時期なので、社会人アニメファンとしては時間の作りようがねぇよッ!!
まあそんな具合により隙間時間で応募作を読んでいまして、そういう意味では短編部門はとてもありがたかったです。今回長編作品は……数本覗き見できた程度でして……いやお恥ずかしい。
というわけで今回はコンテスト応募作品を読んで思ったことを語ります……が、実際別にコンテスト応募作品に限った話というわけでもなく、さらにはカクヨムに限らず様々な媒体の作品に関係ある話でもあります。ただコンテスト応募作品を読んでいるうちに、今回のエッセイで話題にする事柄に該当する作品がいくつか連続したので、いい機会なので常々気になっていたことをお話します。
ちなみにコンテスト応募作品の紹介はありませんので予めご了承を。
(そもそもこのエッセイの趣旨が「物語に触れて感じたこと」であって、特段作品紹介のエッセイでもないので、今回の記事が本来の趣旨に合致しているのかも?)
さて本題。常々思っているのですが、作中においての
今やほとんどの方が持っているスマホ。昨今では様々なアプリがあってその利便性は加速度的に増している印象です。スマホ一台あれば十分、といっても差支えがないほど、本当にスマホだけで何でもできてしまう時代です。噂で聞く限りですと、近年の若年層はスマホがメインとなっており、家にPCがそもそもないそうです。またPCスキルが全くなく入社後に苦労しているとかしていないとか。それほどまでにスマホの存在は生活を一変させた道具といえるでしょう。
小説投稿サイト「カクヨム」だって、スマホでの利用を視野に入れてサービスを開始していましたしね。
そんな身近な存在であるために、昨今あらゆるジャンルの物語にスマホが登場しています。身近な存在だからこそ作者も書きやすく、また読者も素直に受け入れているかと思います。
ただときどき違和感を覚えるのが、
スマホを使っているのに「メール」という言葉が登場していることです。
もちろんスマホだってメールは使えます。キャリアメールとか設定されているかと。でも、今時スマホでメールを使っている人ってほとんどいないのではないでしょうか?
今はもうLINEとかのコミュニケーションアプリとか、あとは精々SNSで交流するとかですかね。わざわざメールするのも……。
いや現在でもメールの活用意義はあります。お仕事の場面では全然メールは現役です。その他でも、ネット上のサービスを利用するにあたりアカウントを作成する際に連絡先としてメールアドレスの記載もします。カクヨムだって登録時にはメールアドレスが求められます。まだまだメールを使う機会は多いはずです。
しかしプライベートの連絡手段としては、今はもうメールってあまり使わないのではないでしょうか。自分も最後にメールで連絡を取り合ったのがいつなのか思い出せません。あ、いや、まだ折り畳み式のガラケーを使っている親と連絡するときにメールを送信したっけ。でもそれくらいです。
一応メールとLINEの利用状況についてググってみたのですが、LINEは高い利用率を維持している一方、メールは年々大きく右肩下がりしていました。とくに若い世代のデータではその差が顕著に出ている印象です。
そういった事情により、作中でスマホが登場しているのにメールを使っているのは、今現在との同時代性にズレが生じているのではないかと思いますし、その部分が違和感の正体なのではと考えています。
これは小説に限らず漫画やアニメでも言えることです。カクヨム作品だけの問題ではありません。
いやまあ、利用率が低いとはいってもまだまだメールを使っているユーザーはいらっしゃるかと思いますが、しかし……実際そういったシーンになると「え? メールなの?」と思ってしまう自分がいます。
というかそもそもスマホを登場させた際に、わざわざ「メール」と呼称せず、普通に「連絡」という言葉を使えば万事解決するのですけどね。
台詞等で「スマホにメール来た!」ではなく「スマホに連絡来た!」みたいな文章なら、LINEユーザーならLINEだと捉えるし、SNSユーザーならSNSの類だと考えますし、メール現役ユーザーならメールと認識するでしょう。
作中にスマホを登場させるのは全然いいですけど連絡手段まで呼称する必要性は全くないのでは? というのが私の考えです。呼称したらしたで下手したら作品の同時代性に齟齬が発生してしまいますしね。作中の時代が現代なら、そういった細かい表現も描写のあだとなり、気をつけなければならない要素かと思います。
また時代設定がある作品ならその時代にあわせた表現をするのも大切です。携帯電話が主流だった2000年代や、個人の連絡手段が精々ポケベルくらいだった1990年代にスマホが登場するのはもってのほかです。そこは間違ってはいけません。
そうそう、スマホを例に時代にあわせた表現の話をしましたが、SFジャンルでもそれは変わりません。
私自身SF好きということもあり、今回のコンテストでもSFジャンルの作品を積極的に覗いていました。しかしSFにもスマホ問題はあるのです!
わかりやすい話をしますと、例えば人間を支配するほどの高度な人工知能が登場する社会だったり、人間と共存しているアンドロイドであったり、二足歩行の巨大ロボット兵器が実用化されている時代であったり、はたまた惑星間を移動できる宇宙船が登場したりなどなど……。
そういった今よりもテクノロジーがはるかに発展した未来の世界。その世界において、唐突に登場するスマホ。
え? いや……ちょっと待てよ!
そこまで高度に発展した未来なら、2010年代の
そうです。これこそが「近未来スマホ問題」なのです。というか今回の記事のメインはこちらです。現代ものにおいてスマホでメールをするなんてことは些細なことでしかないです! 近未来でスマホを使っている方が大問題ですよ!
これまで私たちが使ってきた携帯端末は、90年代ではポケベル、2000年代では携帯電話、そして2010年代ではスマートフォンと、ちょうど10年区切りで次世代機に世代交代されているのです。細かい技術的なことを抜きにすれば、傾向から2020年代にはスマートフォンとは全く別物の携帯端末が登場してもおかしくないのです。
いやまあ、2019年の今の様子を見るに、2020年代に新しい端末が登場するとは思えませんが、しかしスマートフォンが登場したばかりの2010年前後頃の機種と比べればはるかに高性能になっています。さながら2020年代は「高性能スマートフォン」ということになるのかしら?
あとは折り曲げられるディスプレイを使ったフレキシブルスマートフォンとか、眼鏡や腕時計みたいに身体に装着するタイプの端末としてウェアラブルデバイスが普及するかもしれませんね。そういった方向性ならば従来のスマホとは全く違う端末が近いうちに登場する可能性も無きにしも非ず。
またそういう流れの考えでいくと、2030年、2040年、2050年と次世代の携帯端末が続々登場するかもしれません。もしかしたらSFあるあるの、脳に直接インプラントする端末が実用化する可能性だってあります。
逆に、スマートフォンはスマートフォンのまま形は変わらず、性能だけが発展していくケースだってあり得ます。それを見越して近未来SF作品でスマホを登場させているのかもしれませんが、それならそれで今よりも発展したスマホであることをちゃんと描写しなければなりません。なんの説明なしにいきなりスマホを登場させても、読者としては馴染みのある今現在のスマホしかイメージできません。
あとは叙述トリックとして「実は未来の話でした!」という作品なら、作中にスマホが登場してもいいでしょう。ただこれはあくまで例外であって、種明かしするまで未来の世界であることを悟られないように工夫しなければなりませんけどね。
何はともあれ、どう考えても2100年になる頃にはスマートフォンなんてものは絶滅しているでしょう、というのが私の考え。
といった感じで、これがSFにおけるスマホ問題です。
この問題は、以前ネット上で話題になった「異世界シャワー問題」に類似していると個人的に思っています。「異世界シャワー問題」とは、某SF作家さんが某異世界ファンタジーを読んで憤慨したことです。「あるのかよ、異世界にシャワーが!?」がこの問題においてのパワーワード。詳しくはググってください。
この「異世界シャワー問題」になぞらえて言うならば、
「あるのかよ、近未来にスマホが!?」というのが私が提唱する「近未来スマホ問題」です。
ですがこの「近未来スマホ問題」の解決はとても簡単なのです。
単純に表現をぼかすだけでいいのです。
たとえば、作中で「スマホ」と表記せず、ストレートに「携帯端末」や「ディバイス」などといった言葉に置き換えるとか。ちなみに「携帯端末」という言葉が登場するSF作品は、2100年代を描いた『BEATLESS』(著者:長谷敏司)で、「ディバイス」は確か『世界の終わりの壁際で』(著者:吉田エン)だったと記憶しています。
こうした「携帯端末」などといった表現にすれば、その時代に則した端末だと捉えることができます。90年代のポケベルも、2000年代の
またこういった問題は何もスマホだけに限りません。例を出すと、未来世界での支払い方法とか。今でこそ電子マネーやクレジットカードがありますけど、果たして近未来ではどうなっているのか? まさか100年後200年後の未来でも変わらず小銭紙幣の現金決済しているわけない……はず。そう信じたい。
SF作品では、こうした本筋の設定とはまた違う細かい描写用の設定も考えておく必要もあるかと思います。こういう些細な点にこだわってみると、より近未来の描写にリアリティが生まれてくるかと。
要は作品の内容に合わせた言葉の同時代性を大切にしましょう、というお話でした。
この記事で書いたことは、別にカクヨム作品に限った話ではなく、商業作品でもまれに見受けられるものでもあります。
ただ今回コンテスト応募作品をいくつか読んでいるうちに、SF作品にてスマホが登場したり、現代ものにてスマホでメールを使っていたりなど、細かい部分で気になる作品が連続したこともあって、この機会にこうして記事にしてみました。
まあ……気にし過ぎといえばそうなんですがね……。ただせっかく作品の世界に入って物語に集中しているところでこうした違和感に遭遇してしまうと醒めてしまうといいますか、集中が途切れて素に戻ってしまうので、そういった部分でもったいないなーと思わずにはいられません。
可能な範囲でいいので、スマホを始めとする同時代性に気を配ってくれると、読む側としてはありがたいです。
というわけで、以上スマホに関する戯言でした!
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