【小説】『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』これぞ本物のSF(すこしふしぎ)作品!
2019年1月19日
去年の秋アニメとして放送されましたテレビアニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』。とても面白かったです。
その流れで原作小説である『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』を手にとって読みました。アニメを見ているときにも思いましたし、こうして原作小説を読んでも思いましたが、やっぱり青ブタって本当の意味での「すこしふしぎ」作品ですね。
しかし「すこしふしぎ」というと少々誤解されがちなジャンルだと思いますし、中には「『すこしふしぎ』はSFじゃない」と主張する方もいらっしゃいます。いやいや、声を大にして言い切りますが「すこしふしぎ」は立派なSFです。
というわけで今回は『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(略称『青ブタ』)を例に、SFジャンルとしての「すこしふしぎ」とは何ぞや?というお話。
本題の前に『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』のあらすじを。
あらすじ
図書館にバニーガールは棲息していない。その常識を覆し、梓川咲太は野生のバニーガールに出会った。しかも彼女はただのバニーではない。咲太の高校の上級生にして、活動休止中の人気タレント桜島麻衣先輩だ。数日前から彼女の姿が周囲の人間に見えないという事象が起こり、図書館でその検証をしていたらしい。これはネットで噂の不思議現象“思春期症候群”と関係があるのか。原因を探る名目で麻衣とお近づきになった咲太は、謎の解決に乗り出す。しかし事態は思わぬ方向に進み―?空と海に囲まれた町で、僕と彼女の恋にまつわる物語が始まる。『さくら荘』コンビが贈る、新たな青春ストーリー。
さて本題の「すこしふしぎ」ですが、「SF」という言葉を「サイエンス・フィクション」ではなく「すこしふしぎ」と最初に解釈したのは一体誰なのか?
一説によると漫画家の藤子・F・不二雄と言われております。
藤子・F・不二雄作品といえば『ドラえもん』だったり『キテレツ大百科』だったり、他には『エスパー魔美』『パーマン』などがあります。
こうした自身の作品を通して提唱されたのが「すこしふしぎ」というジャンルになりまして、この内容を要約しますと「日常の中に現れる非日常」というような意味になります。
『ドラえもん』で例を出しますと、小学生ののび太のもとに22世紀のネコ型ロボットが現れる、というもので、まさに日常と非日常が密接に交わる内容となっております。
しかしながら『ドラえもん』って、どう考えても「サイエンス・フィクション」なんですよね。
他の作品も結構強く「サイエンス・フィクション」の色が出ていまして、作品一覧をザっと見ても「サイエンス・フィクション」の要素がある作品がほとんどです。当然そうではない作品もありますが、「サイエンス・フィクション」作品の数はかなり多いです。
つまりはSFを「すこしふしぎ」と解釈しつつも、根本的な部分はあくまで「サイエンス・フィクション」である必要があるのでは? というのが藤子・F・不二雄作品の印象から得た定義でした。
現実としての日常を描きつつ、「サイエンス・フィクション」による不思議で非日常を加える。
これがSFジャンルとしての「すこしふしぎ」ではないでしょうか。
決して言葉通りの少し不思議ではありません。というより言葉通りの少し不思議って、それもうほぼファンタジーじゃないのか!?
あとこれも常々思っていましたが、「サイエンス・フィクション」としての程度を誤魔化すため、また作品をSFと認めないために、「『サイエンス・フィクション』以下」という意味で「すこしふしぎ」を使うのは誤用ではなかろうか。
藤子・F・不二雄先生が提唱し、実際藤子・F・不二雄作品から見て取れる「すこしふしぎ」に、「サイエンス・フィクション」としての程度は関係ないのです。これが例えば科学用語を多用した本格ハードSFであったとしても、その作品が日常と非日常を描く内容であれば、十分「すこしふしぎ」に分類できてしまえるのです。
改めて言いますが、
現実的な日常と、サイエンス・フィクションとしての非日常。これが「すこしふしぎ」のはずです。
間違っても言葉そのままの意味での少し不思議ではありません。
まあこの「日常」が何を指しているのかは解釈次第になると思います。果たして私たちが暮らすこの現実に則した日常なのか? はたまたあくまで作品の世界の中での日常なのか? ただ個人的に思うに、SFとして非日常を描く以上、現実に近い日常の方がより非日常の不思議感を演出できるのではと考えています。日常の部分からすでにSF要素が入っているのなら、それは純粋に「サイエンス・フィクション」かと。
さて、では『青ブタ』はどうなのか。
主人公の
実在する場所が舞台の作品ではありますが、しかし作品の根本部分はあくまで高校生の日常にあります。どこかその辺にいそうな学生、という印象を受けるかと思います。そして学生らしいノリによる軽快でコミカルな人物関係はまさに青春の一言。この辺りがまさに現実に則した日常になるかと思います。
ではSFとしての『青ブタ』は?
以前このエッセイで、SFとは一種の思考実験で「現実に前提を加え、風呂敷を広げ、最終的に結論を出す」というような意味として、「SFとはすなわち『仮定』と『考察』、そして『解答』」と個人的なSFの定義の話をしました。
それに『青ブタ』を当てはめると、主人公の梓川咲太の暮らす現実に「思春期症候群」という前提を与え、作中にて量子力学を用いた現象の考察が行われ、また実際に人間が他者から認識されない現象がどういったものなのかをしっかり描写し、最終的に思春期症候群の特性を生かして現象を解決させる、という「仮定」「考察」「解答」を満たした立派なSFだと個人的には思っています。
さらに「世界と個人の認識」や「存在の観測」というテーマはまさにSFの定番といえる題材でしょう。考察に観測問題を扱っているからというだけではなく、テーマ性としてもSFらしい内容でした。
そういった観点から、高校生の何気ない日常と、SF的な考察を用いた思春期症候群という不思議な非日常が合わさったこの小説は、間違いなく「すこしふしぎ」作品だったと感じました。
まあ、現実的な日常とSF的な非日常を描くことを「すこしふしぎ」とするならば、結構多くの作品が「すこしふしぎ」に分類できるかと。
パッと出てきたタイトルだと……なんだろう、『時をかける少女』とか? あとは『涼宮ハルヒの憂鬱』とかですかね?
アニメ作品でいえば、『STEINS;GATE』だってそうだし、なんなら今期放送している『revisions リヴィジョンズ』だって、ある日突然渋谷の街そのまま300年後に転送されたという始まりですから、十分「すこしふしぎ」に分類できるかと。アレ? 「すこしふしぎ」って割とガバガバなのかも。
まあでも、最近の作品で従来の「すこしふしぎ」らしい作品ということならば、おそらく『青ブタ』が最もそれらしいのかもしれませんね。枕詞として「正統派すこしふしぎ」とか「最新版すこしふしぎ」とかつけてもいいくらいに。
そんなこんなで、「すこしふしぎ」というSFジャンルを知りたいのであれば、元祖として藤子・F・不二雄作品を読むか、最先端として『青ブタ』を読むかの二択になるんじゃないですかね(テキトー)。
とりあえず、
「すこしふしぎ」をそのままの意味で使うんじゃねぇ!?
というのが今回のお話でした。
最後に一応お断りを。以前このエッセイで「SFはあくまで個人の裁量」という話をしたかと思いますが、今回のSFジャンルとしての「すこしふしぎ」の定義の話も、あくまで私個人の裁量で考えたものですので、ツッコミどころが多くでも温かい目でスルーしていただければ幸いです。エッセイのタイトルにある通り、所詮戯言なので、ひとつよろしくお願いします。
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