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2018年11月18日 00:16 編集済
劇場版は本当に感動しました。ラストが特に切なかった。それはそうと作風の全く違う円城塔先生に何故、遺作を託したのかという意見を結構見かけましたが、この答えは単純で伊藤計劃先生はこの作品をディファレンス・エンジンのオマージュとして執筆されていたからだと思います。ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングに合作にてディファレンス・エンジンはこの世に発表されたのように。というのは、奇妙な符号でしかなく、実際のところは円城塔先生が先にディファレンス・エンジンのオマージュを書いていたからだと思います。セルフ–ディファレンス・エンジンという形で。これは私個人の勝手な想像ですので実際のところはなんとも言えませんがww長文失礼しました。追伸今気が付いたのですが、タイプミスしちゃってますね。セルフ–リファレンス・エンジンでした。どうも、すみません。因みに私もディファレンス・エンジンは未読であります。本当に勝手な想像です。
作者からの返信
すみません『ディファレンス・エンジン』も『Self-Reference ENGINE』も未読のため、私には何とも言えません。ただ、アンソロジー作品『屍者たちの帝国』のインタビューにて、最初は担当編集者が「万が一の場合には、仕上げのご協力をお願いできれば~」とお見舞いの帰り道で円城氏に話していたことがきっかけらしいです。担当編集としては校正ゲラの最終チェックかせいぜい9割書き上げて完成できなかったケースを想定していたみたいです。結局冒頭部分だけとなってしまいましたが、担当編集者がダメもとで見せたところ円城氏は引き受けたそうです。同じインタビュー内で、「死者が動いてる話じゃなければ、やらなかった」と話していました。曰く「当人が死んじゃったので、『それは冗談的に誰かやらなきゃだめだろう』と」。打診があって引き受けたそうですが、しかし文体も作風も違うのに大長編を書き上げてしまうところに、やっぱり「愛」を感じますね。
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劇場版は本当に感動しました。
ラストが特に切なかった。
それはそうと作風の全く違う円城塔先生に何故、遺作を託したのかという意見を結構見かけましたが、この答えは単純で伊藤計劃先生はこの作品をディファレンス・エンジンのオマージュとして執筆されていたからだと思います。
ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングに合作にてディファレンス・エンジンはこの世に発表されたのように。
というのは、奇妙な符号でしかなく、実際のところは円城塔先生が先にディファレンス・エンジンのオマージュを書いていたからだと思います。
セルフ–ディファレンス・エンジンという形で。
これは私個人の勝手な想像ですので実際のところはなんとも言えませんがww
長文失礼しました。
追伸
今気が付いたのですが、タイプミスしちゃってますね。
セルフ–リファレンス・エンジンでした。
どうも、すみません。
因みに私もディファレンス・エンジンは未読であります。
本当に勝手な想像です。
作者からの返信
すみません『ディファレンス・エンジン』も『Self-Reference ENGINE』も未読のため、私には何とも言えません。
ただ、アンソロジー作品『屍者たちの帝国』のインタビューにて、最初は担当編集者が「万が一の場合には、仕上げのご協力をお願いできれば~」とお見舞いの帰り道で円城氏に話していたことがきっかけらしいです。担当編集としては校正ゲラの最終チェックかせいぜい9割書き上げて完成できなかったケースを想定していたみたいです。
結局冒頭部分だけとなってしまいましたが、担当編集者がダメもとで見せたところ円城氏は引き受けたそうです。同じインタビュー内で、「死者が動いてる話じゃなければ、やらなかった」と話していました。曰く「当人が死んじゃったので、『それは冗談的に誰かやらなきゃだめだろう』と」。打診があって引き受けたそうですが、しかし文体も作風も違うのに大長編を書き上げてしまうところに、やっぱり「愛」を感じますね。