記憶遺産

もし何かで誰かがこれを見たときに。

記憶は脚色・美化している可能性がある。

細部まではよく覚えていない。

話の順序は滅茶苦茶である。



「うちから見たらいい風に一目置かれてると思うけど……」

「そうか?」

「でもお前がそう思うんならきっとそうなんだな」

 彼女は少し黙った。

「お前そういう理解力がいいよな」


「地声で話せるのってお前だけ」

「私も家族のぞいたらお前だけだな」

「家族も無理」

 彼女は話を始めた。

「父親に相談したら三倍返しでやり返せって言われたんさ。でもそんなの無理じゃん。だから嘘ついて『やりかえした』って言って新しいリュック買ってもらったんだけど」

「それで親に嘘ついてばかりで。直らなくて。今も嘘ついてばかりで。母親には少しだけ言えるけど、父親には言えない」

「学校休み始めてた時期も、うち、生徒会負けたじゃん。それで行けなくなったんだろうって言われて。母親はいい人なんだけど、世間体気にする人で、お前は鬱病じゃない、普通だって言われて……」

 彼女は泣きそうだった。

「泣いてもいいんだぞ」

 と私は言った。本当に泣いてほしかった。

 でも彼女は泣かなかった。

 話が終わったあと、私はもう一度言った。

「泣いてもいいんだぞ」

 少ししつこかったかもしれない。

 彼女は泣かなかった。それを強さと呼ぶか弱さと呼ぶかの判断は私にはつきかねた。

「お前が完璧主義なわけがわかった気がした」

 と私は言った。彼女が何て答えたかは覚えていない。


「お前に嫉妬してた。当時の日記見る? マジウケるよ」

 と日記を見せてくれた。

「えーと、どこだろう……あれ? どこだ?」

「ゆっくりさがせよ」

「あ、あった。『頭ではわかっているのに。頭ではわかっているのに。』とか書いてる」

 去年の六月ごろから、私が学校に行かなかったことなどに嫉妬していたらしい。

「どうしてお前は学校に行かないのに対等に扱われてるんだって……」

 私は少し衝撃を受けた。

「それもそうだな。うん、そうだ」

 どの場面かは忘れたが、彼女はこうも言った。

「お前の家は、親がちゃんと理解してくれてるじゃん」

 私はそれで、自分がいかに恵まれているかを理解した。

 確かに昔は色々あったかもしれない。でもそのおかげで、不器用な形とはいえ、私と両親の関係は確実に良いものになっている。人に自慢できるくらいに。

「……そうだな」

 としか言えなかった。


「やっぱり想像力って大事だなって。抑制力も想像力のひとつじゃん。愛よりも抑制力のほうが重要だし。想像力がない人間がいっぱいいて、そういう人間が人を傷つけるのかなって」

「想像力があるからこそ、人を傷つけるっていうのもあるんじゃない?」

「あ、そうかもな」

 想像力の話になったとき、私は内心ヒヤリとしていた。私は全然想像力のない人間だからだ。

 でも彼女は、

「お前は想像力あるよ」

 と言ってくれた。

「人を傷つけるようなこと言わないし」

 想像力……


 道を歩いているとき。

「いつもすだれってるからわからないけど……よく見ればかわいいし?」

 何の冗談かと思った。

「は? お前、眼科行ったほうがいいよ。お前のほうが余裕でかわいいから」

「いやお前脳外科行ったほうがいいから。脳がいかれてる」

「じゃあお前が脳外科行けよ」

「いやお前が」

 などというやりとりが少し続き、

「えー……お前にかわいいとか言われるとか思わなかった。だって私お前が羨ましかったんだぞ。性格も、容姿も含めて」

「容姿とか全然よくないから」

 彼女は言った。

「お前のこと……羨ましいっていうのとはちょっと違うけど。でもかわいいなって思ってた」

 とかなんとか言ってた。

 私がかわいいとかほんとありえない。とか思いつつもすごく嬉しい自分がいた。


 絶望を乗り越えた、とも言われた。


「お前は人を嫌いとかそういう感情が少なくていいよな」

 私自身が人を嫌う価値があるほどの人間か、と問うと人を嫌えなくなった。

 それにいつかみんな死ぬ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る