さてはて、中学時代とは。
中学時代。
至極控えめに、そしてそれでいてかなり直截な実感を話すと、
じつに奇妙な時代では、ないでしょうか。
みなさんは、どのように思われますか?
小学生ほど子どもじゃない。高校生ほどおとなじゃない。
そもそもが、中高生は子どもとおとなの狭間とは言いますが。
だとすれば、中学生というのは子どもとおとなの狭間の前期。
純粋な子ども、というのをはじめて脱する、まるでエクソダス――脱出みたいな、ひとつの時代。
もちろん小学生のときにも、高校生のときにも、当然そのあとにも。
いろんなことが私もありましたし、みなさんもほんとうにいろんなことがあったかと思います。
しかし、そのなかであえて位置づけるなら。
やっぱり、中学時代というのは、じつに奇妙で独特で――固有の熱をもっているものだと、私は、いまも感じています。
自我の芽生え。
よく、そのように言いますね。
中学生の時分のことを。
もう、小学生みたく純粋たる子どもというわけではない。中学に入るころから、みんな、自我が芽生えてくると――私たちは、とくにそこを通り過ぎたおとなは、なんだか当たり前のことのように言いますが。
じゃあ自我ってなんですかね。
自我の芽生え、と言われているところで起きている、ほんとうのこととはなんですかね。
私は、それは、人間の根本にせまる問いだと思ってるんです。
ひとは、中学時代に見つけた出会った問いに――かかわり続ける。
そこから逃げることは、できないんだと思います。
それぞれがそれぞれのどうしようもなさを生きると自覚する。
この連載にあったのはひとりの中学生の、また某県某市のいち中学生だったところの人間の、そういう生存記録でした。
いろんな文章がありましたが、残しておいてよかった。
これによって、みなさんの中学時代の危機も、すこしでも思い返してくださることができれば――
私の中学時代というのは。つまり、引きこもりでした。
そこから世界を見ようとしていた。見通すことなんかできなかったけど、それでもその窓の位置から世界を見据えたかったんですよ。
そして、たぶん、それはいまでも続いてる。
だからこういう連載にもなる。
最後に、決定的で重要でたぶんきっとほんとはもっと話されるべき問いを、問いかけます。
中学時代、私は、このようでありました。
みなさんにとって、中学時代とは。どのようなものだったのでしょうか、と――。
(完)
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