antique and one-piece
夏だというのに暑くもなく蒸してもいないことが、
海から流れてきた風のべたつきが消える辺りにある廃車置場では、日中はタワーの日陰になって直射日光も当たらず、訪れる人はふらりと目的もなく何かを漁りにきた浮浪者ぐらいで、そういった人もここにはガラクタしかないと分かると、ふらりと、どこかに消えてしまう。
ここがギャングやバイカーその他の若い人の溜まり場になっていないのは、たぶんあまりにもここの雰囲気が墓地に似ているからだ。用済みになった車の山を見ていると、いつか自分も同じように用済みになる気がしてくる。
そしてその用済みの中でもとびっきりなのが、この
もちろん最初はそんなこと知らなかったけど、車内に放置されて今はもうボロボロで読めるページの方が少ないシティガイドに書いてあった。そんなものを読まなくても車内にでかでかと『禁煙』と掲げているのを見れば、昔の車なんだなと察しはついたけど。
こんな車内で煙草を吸えば、きっと煙が籠って大変だっただろうと、今では乗客がボク一人だけになった車内で思う。
密閉された車内では世の中から切り取られたみたいに外の音が聞こえない。ここで何かが起きたとしても世界が終わるまで誰にも気づかれないぐらい静かだ。
そして誰に構うこともなくボクはそれを口に咥える。
煙草ではなく、ストローを。自家製のシャボン液をつけて。
吹いたシャボン玉はふわふわと漂いどこかに当たって割れるか、バスの床に敷いてある三枚重ねのブルーシートに落ちて割れる。
いつもなら仕事場に行く少し前にここに来て、シャボン玉を吹いて、ただそれを見つめる。特に意味もなければ、こぼれる言葉もない。時間になればシャボン液は近くにあるからっぽのバケツの中に放り込んで、ボクはふらふらと仕事場に向かう。
シャボン玉みたいに。
だけど今は違う。
日は沈んで辺りは暗い。日中とは比べ物にならないぐらい静かで、暑いどころか半袖だと少し肌寒いぐらいだった。それこそ
夜にここに来たのは初めてのことだった。
宙に浮かぶシャボン玉を見ながら、もし目の前に本物の幽霊が現れたらなんて声を掛けようか、なんてことを考える。
君はまだ死んでるんだ、とでも言おうか。
ボクは生き返った。
もちろん本当に死んでいたわけではないけど。ボクは書類上では死んだことになっていたってことを、あそこから出てきて知っただけだ。
死体のない死亡診断書は完璧な処理をされて、ボクを産んだ人が多額の保険金を受け取っていたことを知った。その人はボクが生き返る少し前に薬物中毒で病院に運び込まれて、本当に死んだらしい。
そんなことを聞かされても何を感じればいいか分からなかった。ボクってけっこう高かったんだな、とか、なんだか読んだことのある昔話みたいだな、とか。悪い人が最後に退治されるやつ。
昔話と違って、それを知っても別にすっきりしなかったけど。
ボクに新しい市民IDをくれた福祉局の人は、「死んでしまった人のことより、いま生きているあなたのこれからを考えるほうが大事」だなんて言っていたし、ボクもそう思った。たぶんボクの保険金を受け取った人も、ボクのときにそう思ったんだろう。でもボクの場合は、死んでしまえるほど自由に使えるお金が一気に手に入ったわけではなかった。
ボクのは誰かが死んだら手に入るお金ではなく、福祉局か法務局か、
被害者保護。
思わず笑ってしまいそうになる。ボクがあそこでしていたことを思えば、被害者ではなく加害者になってもおかしくないのに。
ボクはそちら側で数えられただけだ。未成年だったから、逆らえる状況じゃなかったから、強制されたことだったから、被害者であったほうが誰かの都合がよかったからかもしれない。それでもあの感触は消えないし、この手は汚れたままだ。
洗っても、きれいにならないことは知っている。
ボクはその報いも受けずに、被害者としてのうのうと生きている。
最低限の義務教育を終えていたボクは、施設で暮らすか、それとも福祉局から斡旋された仕事に就くか選べもした。
迷うことなく仕事を選んだ。仕事に就けば福祉局から斡旋してもらった仕事先の給料があるから、生活費として事件のお金を使わないでいられた。
もし使うのなら、成人するまでは仕事先の店主の人から許可が必要になったけど、生きていけるだけの給料はもらっているし、そのお金を使わないでいられるのなら、何と言えばいいか分からないけど、それが一番大事な気がした。
使い道なんて分からなかったし、もし事件のお金が勝手に使われていたとしても、それならそれでよかった。ついでに言えば
ボクはもう一度、自家製のシャボンを吹いた。
ふわふわと漂って割れた。
シャボン玉は吹けば割れる。当たり前のことだ。
頭が少しふらふらして体はからっぽだった。心や気持ちではなく文字通り体の中身を下剤を飲んですっきりさせていた。
仕事場で昼に出されたサンドイッチは体の中にはもうない。
ボクを見つけた人は、それがいつになるかは分からないけど、とても嫌な気持ちになるだろうから、それを少しでも小さくしたかった。
死のうと思う。
手に握りしめた血が付いている白のワンピースを見つめる。頬がまだ痛む。
これが理由というわけじゃない。何が理由というわけでもない。ただ、どうすればいいのか分からないだけだ。
今日、知らない男の人に殴られた。一緒にいた女の人は知っていた。とは言っても、名前は知らない。仕事先──クリーニング店に来たことがあるというだけで、お客さんですらない。
白のワンピースを持ってきた。普段ならさっさと受け取っていたかもしれない。ただ少し──ボクがまだあの人をお母さんと呼んでいたころに──あの人が着ていた服に似ていた。だからいつもよりも見てしまって、それで気づいた。
ワンピースには切れ込みがあって、それがほんのわずかな補修で隠されていた。気づかずに洗えば大きく破けてしまいそうな傷だった。
ボクが気づくとは思っていなかったのか、それを確認すると女の人は怒り狂ったように無理やり受け取らせようとしてきた。「こっちは客だぞ」「さっさと仕事しろ、クソガキ」という具合に。それでも断っていると店主の人が帰ってきて、すると女の人は急にワンピースを奪って帰ってしまった。
たまにいるらしい。そういう物を持ってきて傷物になったらいろいろと要求してくる人。親の形見だとか言って。
そのときはそれだけだったけど、今日またその女の人に会った。あの日とは逆で、今度はボクがお店の外にいた。近くにある
その回収が終わって自動運転の車に戻ろうとしたとき、知らない男の人とその女の人に会った。歓楽街の裏道で人の目はなかった。
女の人から耳打ちを受けた男の人は、最初は〈どうしてそんなこと?〉と不思議そうだったけど結局は〈しょうがないな〉とニヤついた顔になって、ボクの顔を思い切りはたいた。なんて言っているかは分からなかったけど、怒鳴り声を浴びせられたあとに女の人を振り返って〈これでどう?〉って感じで訊いていた。まだ足りなかったのか今度は髪を掴まれて拳で頬を殴られた。
それで女の人も満足したのか、思い出したようにカバンの中からしわしわのワンピースを取り出して「もういらないから」と倒れているボクの顔に乗せて上から蹴られた。
笑い声を上げて二人は仲良さそうに消えていった。
ボクは血が付いた白のワンピースを見つめて、人を殴って仲良くなる人もいるんだなと思った。
お店に戻ると店主の人に傷のことを訊かれて知らないと答えて、ワンピースについては捨ててあったのを拾ったと答えた。どうして殴られたかなんて知らなかったし、ワンピースも別に嘘じゃない。
出された救急箱で手当てをすると、今日はもう帰っていいと言われた。それはそうだ。店頭にこんな顔をした店員がいたら、お客さんの方が帰ってしまう。
帰り道で今日にしようと決めた。
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