4.背後で動く影
フェスティバル当日まで後半日
ホテルは六階より上に客室がある。各階に十室づつ、十階までだ。
従業員は二階に寝るための部屋を持ち、三階はレストラン。四階は温水プールにサウナ、ビリヤードに小さなカジノまで造られていた。
「五階には何があるの?」
エレベーターにある各階の案内には何もかかれていない。
「さあ、降りてみる?」
「ええ」
もちろん、とセイラは五階の表示を押した。しかし、ランプが付くはずなのに変化はなかった。
「おや?」
横からジュリアンが手を伸ばしてみるが、変化はなし。
「じゃあ、六階から階段で降りてみましょうよ」
そうだね、と二人は三階から六階に上がり、エレベーター横の階段を下りた。
「あれ?」
しかし、五階への通路には防火用シャッターが下りていて、関係者以外立ち入り禁止となっている。
「気になる?」
ジュリアンがセイラを見下ろして尋ねた。少し不満そうな顔をしていたセイラは一回、でもはっきりと頷いた。
「よし、じゃあ今度は僕の腕の見せ所」
防火用シャッターの脇には人一人通れる位のドアがある。緊急時はこちらの方を通るようになっているのだろう。今は古めかしい南京錠が掛けられている。
ジュリアンは何処から出したのかヘアピン一本でその鍵を簡単に開けてしまった。二人は顔を見合わせて笑う。
ぎぃぃ、と音を立てて扉が内側に開かれた。お互いの手をぎゅっと握り締め、そしてそこに見たものは――。
「ああああぁぁぁ!!」
一人の男が二人を指差し大声を上げた。
吃驚して立ち竦む。
「だめだよ、だめだよっ! お二人お客様でしょ? もーどうやって入ったんだよっ! 僕が警部に怒られちゃうじゃないですかぁ」
途中まで開けていた扉を閉め、二人を中に連れ込む。
「鍵壊れてたんですか?」
「い、いや…」
「外れてたのよ。それより貴方は誰?」
なんてこった、とぶつぶつ言いながら、彼は二人の前を行ったり来たりしていた。
「ねえ、ここってなんなの? 貴方、警察の人?」
「ああ、困った……よりによって僕の巡回時間にこんなことが起こらなくてもぉ」
泣きべそをかきながら彼は止まろうとしなかった。ぐるぐるぐるぐる行ったり来たり。
自分の言葉を完全に無視され、むっとしているセイラの肩をぽんぽん、と叩いてなだめ、ジュリアンは一歩前に出た。
「まあまあ、なんとなく事情は察しました。今ここにいるのは我々だけ。幸いその警部殿にはばれていないようです。で、ご相談。私たちにここのことを少しだけ話してくれれば、大人しく退散するとしましょう。どうですか?」
「そんなことできるわけないじゃないですか。秘密なんです、この場所は」
「しかし……ああ、そう言えば、このお嬢さん、実はとっても癇癪持ちでね、叫びだすと手をつけられない」
ここでジュリアンはセイラにウインクした。彼女も心得たとばかりに仏頂面を更に激しくする。
「いや、それは困る。困ります」
「では、どこかこっそり隠れてお話できる場所に移動しませんか?」
「……それって恐喝罪で捕まりますよ」
「警部に怒鳴られるのと恐喝されるの、どっちが嫌ですかね」
もちろん上司に怒鳴られる方が断然嫌なわけで、彼は二人を小さな部屋に案内した。
「ハウベル警部補です。ユレイユの警官です」
「ジュリアンと、セイラ。早速だけど、ここはいわゆるセキュリティールーム?」
観念しているのか、ハウベル警部補は呆れるほどべらべらとしゃべりだした。
「警察が動くのは事件が起こってからです。でもここの島は明らかに人が死ぬと分っている。それを防ぐことができないんです。だからと言って指くわえて待っているとなると、警察の威信に関わる。でも、まだ事件は起こっていない。貴族は騒ぐし……うちの国は貴族に牛耳られているんでね、だめなんです。彼らが強すぎて警察はいつも苦労する。それで、ここのオーナー、コーウェン氏が譲歩策を提供してくださったんです。フィーアの女神が現れ人が死ぬまでは絶対に客の前に姿を現さないこと。それを条件にこの五階にあるセキュリティールームへの出入りを許してくれた。この階にある部屋に我々は寝泊りして交代でここから観察してるんです」
「そう言えば廊下にカメラがあったなぁ」
ジュリアンの言葉にハウベルは仰天する。
「え! あれに気付いたんですか?」
「ああ、勘の良い人間なら気付くよ。部屋にはないみたいだから気にしてなかったけどね」
「部屋はプライベートに関わるので一切置いてません」
「でも、結局人を殺すのはフィーアの女神なんでしょ? だったらここで事前に見張っていても変わらないんじゃないかしら」
セイラの言葉にハウベルは言葉を詰まらせた。
「セイラ、警察にもね、プライドってものがあるんだよ。人が死ぬのが分ってて何もしていないと揶揄されるのはさぞかし大変だろう。表立っては言えずとも、ここで管理しているんだという事実が彼らを助ける」
「ふーん、大人って大変ね」
「そこでいきなり子供ぶらないように」
二人の言葉にハウベルは更に深い溜息をついて、そして時計を見る。
「あっ! 大変だ。そろそろ交代の時間です。お願いですから出て行ってください」
追い立てられるようにして二人はもとの階段まで戻って来た。外から例の錠をしっかりと止める。
「さて、そろそろ昼食時。クライドさんもレストランに来ているんじゃないかな?」
「そうね。行きましょう」
これだけの人数を満足させ続ける料理を作るというのは大変な作業なのだろう。昼食は少し簡略化されていて、三種類の中から選ぶ。時間がかかっても良いのなら、自分の好きな物をオーダーすることもできた。クライドはまだ来ていなかったので二人は定位置と化したテーブルに付き、ウエイトレスの持ってきたメニューの中から一つ目と、二つ目のものを選んだ。料理が出てきて少し手をつけたところへ声がかかる。
「ご一緒してもよろしいかしら?」
金色の髪と緑の瞳。初日と同じような感じのパンツスーツの女性。
「ダイアナ……どうぞ。セイラ、こちらはダイアナ・ラッセル」
途端に先ほどまでの打ち解けた様子を隠し、初めて会った時のような、どこか人を寄せ付けない高貴な表情を表に出す。
「はじめまして、ラッセルさん。セイラ・オブライエンです」
「はじめまして。ダイアナと呼んでください。セイラとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
どうぞご自由に、勝手に好きなように呼んでください。そんな風にも聞こえる言い方。
ウエイトレスにワインとチーズを頼んだ彼女は二人に向き直る。
「ダイアナ、それだけじゃ体に悪いよ?」
「だってあまりおなかが空いていないんですもの。夜はしっかり食べるから大丈夫よ。それより、何か面白いことあった? こんなに退屈なら一日前に来てもよかったわね」
顎に手をやり、にこにこと二人に笑顔を向ける。
「特にこれと言って。お前の好きなマンウォッチングやるならやっぱりレストランがいいんじゃないかな?」
「あら、人見てるの好きなのは貴方の方でしょう? ジュリアン」
「いや、俺は見てるだけじゃね。話してこそ楽しい」
ちらりとセイラに目をやり微笑む。
「確かに、二人ともとても楽しそうだったわね。……あら、アニェイシャ公国のお姫様よ」
ダイアナの言葉にセイラはそちらへ目を向けた。ちょうどレストランに入ってくるところで、こちらに気付き近寄ってくる。先ほどの男性はおらず、一人きりだった。
「ドレスが青になっているわ」
「ええ、さっきセイラさんに頂いた花に合わせてみたの。一緒に昼食を良いかしら?」
異論などあるはずがなく、彼女はセイラとジュリアンの間に座った。
「こちらはダイアナ・ラッセル。僕のパートナーさ」
「初めまして、キーラ・ミロスラフスです。ワイン美味しそうですわね、私もそうしましょう」
案外社交的なダイアナと、完全無欠の社交家ジュリアンのおかげで昼食は楽しい時間となった。キーラも微笑を浮かべ会話の中に入る。
しかし、セイラは自分の食事が終わると早々に席を立った。
「そろそろ戻らないとクライドが心配するので」
「ああ、そう言えば彼来ないね。じゃあ送って行こう。二人とも待っていてくれよ? 僕が帰って来たらいなかった、なんていうのはごめんだ」
セイラは七階の部屋。エレベーターに乗り込み、動いていくランプを見ていた。
「ダイアナは苦手?」
なんとなく彼女のおかしな様子には気付いていた。
「別に悪いやつじゃないんだけどな」
言葉を重ねるジュリアンにセイラは首を横に振った。
「苦手とか、そんなんじゃないんだけれど。ただ……」
「ただ?」
ぽん、と音がして七階への到着を告げる。
部屋の前でジュリアンに向き直り、無理をして笑顔を見せた。
「ありがとう。ダイアナ、気を悪くしていないといいけど」
「大丈夫。他の人間に接する時と同じだっただろ? 気付いてないよ」
「そう、ならいいんだけど」
「で、ただ、何?」
話を終わらせてくれる気はないらしい。
「ただね、ちょっと――言っちゃだめよ? ちょっと怖かったの。じゃあ、また明日!」
パタンと閉じられた扉の前で、ジュリアンは額に手を当て少し困った顔をしていた。
「子供に悟られるようじゃ、まだまだかな」
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