3.魔導書


 フェスティバルまで後一日


 当たり前のようにジュリアンが席に付き、朝食が始まる。昨日は結局夕食まで供にした。お相手は本当にそれで良いのかと思えば彼女は彼女で他の貴人たちと話をしている。なんとも不思議、と思ったが、考えてみればこの予約は十ヶ月前に決まる。その時は二人で応募してもその後そのままの状態でいられるとも限らないのだ。

 勝手に自分の中で、勝手な理由を付け、勝手にそう思うことにした。

 そうまでして彼が自分たちと行動を供にする理由を探すには訳がある。

 面白いのだ。ジュリアンといると。話は次々と溢れてくるし、こちらの意を汲むのが旨い。一緒にいて苦痛にならない。更にクライドが止めない。彼と会い、話すのを妨げようとしなかった。

「今日は何をして暇を潰すんだい?」

 昨日一日部屋で読書をして、すっかり飽きていたセイラはちょっとだけ考えるとクライドに尋ねた。

「ホテル内をうろうろしても良い?」

 すると彼は手を止め、首を傾げた。グレーの長い前髪は目を隠していて、表情をはっきり見ることができない。それでなくてもあまり感情を表さないタイプの人間で、セイラは十三年付き合っているからこそ分かるが、会ってまだ三日目のジュリアンにはその真意を計ることなどはできなかった。

「少しなら」

「ありがとう! ジュリアンも来る?」

 何時の間にか名前を呼び合うようになっている。

「セイラが来いって言うならね」

 その言葉に微笑んで、セイラは席を立った。

「エスコートしてくださるかしら?」

 差し出された右手を恭しく賜りジュリアンも笑いながら答えた。

「喜んで」

 駆け出しそうな勢いの二人に座ったままのクライドが声をかける。

「レノックスさん」

「ん?」

「貴方、腕に自信はありますか?」

「まあ、そこら辺に転がってる奴らには負けないよ。こう見えても結構強いんだけど」

「そうですか、ではしばらくセイラお嬢様をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「……出会って三日と経たない俺を信用するのか?」

 困惑するジュリアンの言葉にクライドは笑って頷く。

「お願いします」

「私からもお願いするわ」

「ああ、別に良いけど……」

「じゃあ早く行きましょうよ」

 エスコート役が逆転し、ジュリアンは引っ張られる形でレストランを後にした。

 どう見たってセイラとクライドは主従関係だ。その主人を人に預けて彼は何をするというのだろう。しかも、主人であるセイラはそのことを気にした様子がない。おかしな二人である。

「ねえねえ、ジュリアン」

 あまりこういったお遊びをしたことがないのだろう。小さな子供のように辺りにある変わったものについて彼女は次々と質問を投げかけてきた。

「ん? ああ、あれは布陣の一部だよ。触ったら危ない。形の関係でどうしても人目に触れるところに置くしかなかったんだろう」

「へえー」

 ロープで仕切られた廊下の一角にセイラの背より大きな水晶がある。仄かに青い光を放っていて、とても綺麗だが立ち入り禁止、手を触れるなとの注意書きがあった。

「そう言えば、これのちっちゃい版が部屋の隅にあった気がする」

「あれは触っても平気だけどこっちはだめだ。各部屋に置いてあるのは受信側。この大きな水晶は送信側」

「魔導って難しいのね。ジュリアンはそう言った才能あるの?」

「いや、知識だけはあるけど。セイラは?」

「ぜーんぜん。そうか、でも知識があれば少しは役に立つかしら」

「そうだね。知らないよりは知っていた方がいい。でも知らなくても良いことがある」

「……何、それ」

「知り合いの言葉。知ろうとする時は自分の責任だということを認識しろってね。クライドさんは魔導使えるのかい?」

「使えないわ。彼にはそんな物必要ないから」

「?」

「すっごぉぉぉぉぉぉく強いのよ」

「すごぉぉく?」

「うん、誰よりも」

 身内の贔屓目と見ても、かなりの強さなのだろう。クライドの姿を思い出してみるが、しかし線の細い姿に控えめな態度。いまいちピンとこない。

 何度も何度も彼の姿を思い浮かべていたジュリアンの手をセイラが引く。

「あれ昨日言っていたアニェイシャ公国のお姫様じゃない?」

「あ、うん」

 綺麗な緑色のドレスに身を包んだ女性がラウンジで本を読んでいた。

「お姫様って感じよね。雰囲気が」

「そうだね……失礼、隣をよろしいでしょうか」

 セイラの手を引いたまま、ジュリアンは大胆にも彼女に話しかけた。近づく途中で気付き、読書の手を休めた彼女は二人を見るとにこりと優雅な微笑を返した。

「どうぞ」

 ジュリアンとセイラは彼女の向かいにあるふかふかのソファーに腰を沈める。

「ジュリアン・レノックスです。こちらは……」

「セイラ・オブライエンです。宜しくお姫様」

 そう言ってセイラは手を差し出した。今日は手首までしかない、薄いブルーの手袋をしている。

「キーラ・ミロスラフスです。オブライエンというのは……」

 しかしセイラは微笑んで彼女の続きの言葉を封じてしまった。

「セイラと呼んでくださいな。先ほど読んでらした本は?」

「ああ、これは魔導書です。基本的な導入書ですが」

 セイラが目を輝かせ彼女の手元を見る。ジュリアンはそんな様子に苦笑して話を続けた。

「ミロスラフス様は魔導をおやりになるのですか?」

「キーラと呼んでください。少し、大した力はないのですがこの情勢ですからね。才能はあるようなので学んでいたところです。この本はもう読み終わってしまって……セイラさん、読まれますか?」

「えっ! いいんですか? 私はそういった才能がないので本当に読むだけになってしまいます。キーラ様が持っていた方が役に立つと思いますが」

 初めは純粋に喜び、すぐに遠慮を見せる辺りが子供であってそうでない。彼女を面白くさせている部分だ。キーラもそれを感じたのだろう。優しく笑うと本を差し出した。

「私はもう読み終えてしまいましたし、これは導入書。貴方みたいな興味を持った方にこそふさわしいと思います。どうぞ」

「あ、ありがとうございます。……じゃあ私もお礼を」

 そう言ってセイラは一枚のハンカチを出した。ドレスに合わせた薄いブルーのレースのハンカチだ。四隅の上の二つ角を持ち、表を向け、裏を向ける。そうやって見せたハンカチを左手を握り締めて作った筒に押し込んで、最後に――

「さあ、どうぞ」

 一度握り拳をぽんと叩いて広げると、そこには薄いブルーの、まるでハンカチが化けたような色の可愛らしい花が一輪あった。

「まぁ」

「グリーンのドレスには合わないんだけど」

「いいえ、素敵よ。ありがとう」

 本当に嬉しそうにして彼女はその小さな花を結ってある髪に挿した。

「セイラは手品ができるのか?」

「ええ、得意なの。楽しいでしょ?」

「ああ、楽しい。すごいなぁ、何時も仕込んでるんだ」

「何があるかわからないし。突然やるから皆がびっくりして楽しいんですもの」

 言葉の最後が浮かれていて、本当に好きでやっているのが分かる。

「セイラさんはあまり魔導を見たことがないの?」

「ええ。周りに使う人いなかったし」

「そう……ジュリアンさんはお煙草お吸いになるの?」

「人前ではあまりだが、持ってはいますよ」

 そう言って一本取り出す。

「セイラさん、煙草は苦手?」

 キーラに聞かれ首を振る。

「匂いが苦手なのもあるけれど、今ジュリアンが持っている種類のは好き」

「じゃあ」

 そう言って彼女は小さく何か呟いた。と、人差し指の先に小さく炎が灯る。ジュリアンがくわえる煙草に火をつけた。

「すごーい!」

「この程度の魔導ならここの結界に引っかからないのか」

「ええ、そうよ。貴方を傷つけるためにしたことではないから。ここの結界は人を傷つけるような時に反応するの」

「へえー」

 目をきらきらと輝かせている彼女はなんとも可愛らしく、キーラは優しく微笑んだ。

「魔導には、大きく分けて三種類。一つ能動魔導。積極的に外へ外へと力を向ける魔導ね。今の火を灯すものや攻撃などもこれにあたるわ。次に受動魔導。結界や防御魔導なんかがそれ。そして三つ目は……」

 更にキーラが言葉を重ねようとした時、後ろから声がかかった。彼女と一緒にいた人だ。

「ああ、ごめんなさい。行かなきゃ。お二人とも、ありがとう」

「こちらこそ」

「またね、キーラ様」

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