第68話・終わりの始まり

 明日香と過ごす二度目の夏休みだが、生活内容にこれと言って大きな変化はない。

 そんな俺の朝の生活サイクルは、明日香が朝早くにラジオ体操へ行く為に廊下を歩く音で目を覚まし、のそのそとベッドから下りて着替えを済ませ、明日香が帰って来るまでに朝食の準備を済ませると言った感じだ。

 そして明日香が帰宅すると二人でゆっくりとテレビを見ながら朝食を摂り、そのまま二人で後片付けを行う。これが夏休みに入ってからの朝の生活パターンだ。まあ、雨が降ったりするとそのサイクルも少しだけ変わりはするけど、明日香は雨でラジオ体操が中止になっても癖の様に早起きをするから、基本的に朝の生活サイクルは変わらない。

 そして二人で朝食の後片付けを終えたあとはそれぞれの部屋で夏休みの宿題をし、明日香は宿題を終えると遊びに出掛けたり、俺と一緒に出掛けたりと、お互いに至って自由な毎日を満喫している。


「お兄ちゃん。準備できた?」


 朝食を済ませたあとの午前九時前。

 リュックサックを背負った明日香が俺の部屋へとやって来た。


「おう! バッチリだぞ。兄ちゃんは家の鍵を閉めて来るから、明日香は琴美を呼んで来てくれ」

「うん♪ それじゃあ呼びに行って来るね」


 明日香は明るい声でそう言うと、元気に部屋を出て琴美の家へと向かった。

 俺はそんな明日香の楽しそうな雰囲気に顔をほころばせながら、荷物を持って家中の戸締りをして回った。


「――お兄ちゃん早くー!」


 戸締りを確認してから玄関の鍵をかけている最中、玄関先の道路で琴美と一緒に俺を待っていた明日香が、待ちきれない――と言わんばかりに近寄って来てから俺の腕を引っ張った。


「そんなに慌てなくても海は逃げないって」

「明日香ちゃん、今日の海水浴を楽しみにしてたもんね」

「うん! 早く行かないと海の家のカキ氷がなくなっちゃうかもしれないもん!」


 明日香は今日行く海水浴をとても楽しみにしていて、それと同時に海の家で売られているカキ氷にかなりの興味を示していた。


「大丈夫だよ。いくら暑いからって、そんな簡単にカキ氷は売り切れたりしないから」

「そんなの分からないよ? この暑さで氷が全部溶けちゃうかもしれないもん」


 俺の腕を引っ張り続けながら、明日香はそんな事を口にする。

 その気持ちは分からないでもないけど、さすがに用意された氷が全部溶けてしまうなんて事は無いだろう。


「そうだね。それじゃあ、お店の氷が溶けない内に早く行こっか?」

「うん! 行こう! 琴美お姉ちゃん♪」


 琴美がにこやかに微笑みながらそう言うと、明日香はパーッと表情を明るくして俺から離れ、勢い良く琴美の所へ行ってからその左腕を抱き包んだ。


「ふふっ。さあ、涼君。早く行こう」

「お兄ちゃん早く!」


 俺は二人がスタスタと歩いて行くのを見ながら、その仲の良い姿に微笑を浮かべた。

 でも、二人の仲良くしている姿をこうして見ていると、本当に仲の良い姉妹に見え、そんな姿に少し嫉妬の様な感情を抱いてしまった。


× × × ×


「ええっ!? 売り切れですか?」

「ああ。すまないね」


 目的だった海に着いてから、カキ氷を探し求めて五軒目。俺はすまなそうに謝る店主に背を向けてから海の家を離れた。

 そして次の海の家を目指して歩きながら、俺は絶望に満ちた気持ちだった。

 どうも一昨日に来ていた台風の影響でこの辺り一帯は長い時間停電をしていたらしく、どの海の家でも準備していた氷が溶けて不足しているらしい。

 しかもタイミングの悪い事に、今日は朝から気温の上昇が激しく、海へ着いた頃には『今年一番の暑さを記録した』と携帯へニュースが届いていた。

 それにしてもまいった。このままではカキ氷を楽しみにしていた明日香に、カキ氷を買って行ってあげられない。それはつまり、明日香がカキ氷を食べられずに落ち込んでしまう未来が確定してしまう事になる。それだけはどうしても避けたい。

 そんな思いから周辺にある海の家の全てを回ってみたが、結局、どの店でもカキ氷を買う事はできなかった。


「はあっ……」


 絶望的な気分のまま、俺は砂浜をトボトボと歩いて明日香達の居る場所へと戻り始めていた。

 数歩進む度に口から漏れ出る溜息。今もカキ氷を心待ちにしている明日香の事を思うと、足を進める度に心も足も重くなっていく。


「ん? 何だあの列は?」


 憂鬱ゆううつな気分のまま明日香達の居る場所に戻っていると、浜辺に一際長い列を作っている小さな屋台を見つけた。そして屋台の先頭からこちらに向かって歩いて来るカップルの手には、この周辺にある海の店には無かったカキ氷入りのカップが握られている。

 それを見た俺は急いで行列の方へと走り、その最後尾へと並んだ。そしてその列に並んだ俺は、ずらりと続く列を見ながらその光景を不思議に感じていた。確か15分くらい前にここを通った時には、こんな屋台は無かったからだ。

 まあ、見たところ店は手押し式の簡易的な移動式屋台みたいだから、俺が別の店に行っている間にここへやって来たんだろう。そう考えれば、不思議でもなんでもなくなる。

 そんな事を考えながら太陽の強い陽射しに耐えて並び続け、やっと俺の順番が回ってきた。


「いらっしゃーい! どの味にしますか~? って、りょ、涼太君!?」

「サクラか!?」


 なんと謎の屋台でカキ氷を売っていたのは、人間バージョンのサクラだった。


「こんな所で何やってんだ?」

「いやあ~、まあその~、何と言いますか~、ちょっと色々な事情があってね~。それよりも涼太君、どの味にするの?」


 焦りながら誤魔化す様に商売を続けるサクラ。色々と聞きたい事はあるけど、今は明日香の為にカキ氷をゲットするのが最優先だ。


「えーっと……それじゃあ、イチゴとメロンとブルーハワイで」

「はーい♪ まいどあり~♪」


 サクラはいつもの様に明るく元気にそう言うと、キラキラと輝く氷の板を手動式のカキ氷機にセットし、くるくるとハンドルを回し始めた。

 すると削られた氷がふわふわとした雪の様にカップに落ち、どんどん積み重なっていく。その積み重なる氷のきめ細やかさは、こうして見ているだけでも伝わってくるくらいに素晴らしい。


「それにしても、この辺りじゃ停電で氷が不足してるって聞いたけど、その氷はどこから調達して来たんだ?」


 そう尋ねるとサクラは俺に顔を近付け、小さく口を開いた。


「実はこの氷ね、天界から持ってきた物なんだよ」


 ――天界から持って来たって、つまりあの世の物って事だよな……。


 世の中には『黄泉戸契よもつへぐい』という言葉があるが、これは、――というものだ。聞きなれない言葉かもしれないけど、日本神話やギリシャ神話、他にも数多くの作品にこの黄泉戸契という概念は使われている。

 ちなみにこの言葉の意味に関する考え方は色々とあるが、俺は――みたいな意味合いでこの言葉を捉えている。


「……それってさ、生きてる人間が口にしても大丈夫なのか?」

「…………」


 俺の言葉を聞いて押し黙るサクラ。

 その様子を見た俺は、一気にこのカキ氷への疑念が深まった。


「やっぱり今頼んだのはキャンセルでいいや」

「冗談だって! 食べても大丈夫だからっ!」

「本当か?」

「ホントホント!」

「それならいいけどさ……」

「まあ、例え副作用があったとしても、ちょっと気分が陽気になるくらいだし」

「えっ?」

「はーいっ! お代は三つで600円でーすっ!」


 サクラは最後の最後に不安になる様な事を小さく呟くと、そのあとで元気よくカキ氷を差し出してきた。その事に更なる不安を感じつつも、俺は渋々と財布からお金を取り出してそれをサクラに手渡した。


「本当に大丈夫なんだろうな?」

「大丈夫だって。一度食べたら病み付きになるくらい美味しいから、じっくり味わってね♪」


 明るくそんな事を言うサクラに不安を感じつつも、俺は買ったカキ氷を持って明日香達の居る場所へと戻り始めた。


「――お待たせ! はい、これ」

「あっ、遅かったね。何かあったのかなって、ちょっと心配してたよ」


 サクラのお店で買ったカキ氷を持って二人の居る場所へ戻り、それを二人に差し出すと、琴美がそれを受け取りながらそんな事を言った。

 まあ、カキ氷を買いに行ってから一時間くらいは経ってるから、琴美がそう聞いてくるのも仕方ないだろう。


「ごめんごめん。思ってたより店が混んでてさ、順番が来るのに時間がかかったんだよ」

「そうだったんだね。お疲れ様でした」

「お兄ちゃん、ありがとう」

「おう。とりあえず溶けない内に食べよう。――うん、美味い!」


 俺はそう言ってからさっそくブルーハワイ味のカキ氷をスプーンで口に運んだ。

 口の中に広がるふわりとした感触と冷たい感覚。そしてシロップの甘さとは違った不思議な甘さを感じる。


「ホントに美味しいね、このカキ氷。ふわふわしてるし、それになんだか不思議な甘さを感じる」

「うん。やっぱり家で作るカキ氷とは全然違うね、お兄ちゃん」

「そ、そうだな」


 まさかこれが天界にある氷で作られた物だと言えるはずもなく、俺は苦笑いを浮かべながらカキ氷を口へと運ぶ。それにしても昔から思っていた事だが、ブルーハワイ味って結局何味なんだろうか。これだけは未だに謎だ。

 そんな事を思いつつカキ氷を食べ終わったあと、俺は二人と一緒に海で泳いだり砂浜に埋められたりと、海の遊びを存分に楽しんだ。

 こうして一緒に楽しんでいる時間は本当に幸せを感じるし、色々な不安を忘れる事ができる。

 こんな時間がいつまでも続けばいい――それは明日香が妹になってしばらくした頃からずっと思っていた事だけど、それが俺のはかない願いである事は百も承知だ。でも、この時の俺は去年の秋頃に拓海さんが感じていたであろう気持ちを、すぐに自分が体験する事になるとは夢にも思っていなかった。

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