第69話・いつか訪れるその日の為に

 時間はこちらの都合などお構いなしに容赦なく過ぎ去って行く。

 どんなに後悔しようと、どんなに泣き叫ぼうと、過ぎ去った時間を取り戻す事は誰にもできない。だからこそ人は後悔の無い様に生きようとするんだろうけど、残念ながら人生とはそう甘くはないものだ。

 人生は後悔の繰り返しだ――なんて言葉をどこかで耳にした事があるけど、俺はまさにその通りだと思う。つまり人生とは失敗と後悔を積み重ねながら、より後悔の少ない生き方を模索もさくするという事なんだと思う。


「はあっ……」


 自室の窓から夕焼けに染まる街並みを見ながら、俺は小さく息を吐き出した。

 長い様で短かった夏休みも終わり、今は窓から見える遥か遠くの山が徐々に紅色へと染まり始めている。その山もあと数日もすれば完全に紅葉こうようし、沢山の人達がその光景に目を奪われるだろう。

 そんな夕焼けの赤と紅葉のあかが交じり合った哀愁あいしゅう漂う光景を眺めていると、心の中に生じた不安は更に大きさを増していく。

 そしてその不安というのは、言うまでもなく明日香についての事だ。

 あれは夏休みに明日香と琴美と一緒に海へ行った日の帰り道。琴美がお店に飲み物を買いに行っている最中の事だが、俺が明日香と何気ない話をしていた時、明日香の身体が一瞬薄くなって消えそうになったのを見た。そしてそれを見た時、俺は信じれない気持ちでいっぱいだった。

 なぜならその現象は、去年の秋頃に拓海さんから聞いたものと全く同じだったからだ。

 サクラからちゃんとした説明を受けたわけじゃないからはっきりとした事は分からないけど、明日香が消えかけたその現象は、俺と明日香との間に遠からず別れの時が迫っているという事を表しているんだと思う。まあ、これはあくまでも俺の予想だけど、拓海さんと由梨ちゃんの間に起こっていた出来事を考えれば、その考えに到達するのはそう難しい話でもない。

 そんな事を考えていた時、俺はふと初めて拓海さんと出会った時の事を思い出した。

 あの時の拓海さんは、俺に対してこんな事を言っていた。『由梨が転生条件を満たした時、僕は笑顔で由梨を送り出してあげられるだろうか』――と。

 最初からそう思っていたのかどうかは分からないし、色々な葛藤かっとうはあったんだと思う。けれど拓海さんは、由梨ちゃんとの約束どおりに笑顔で見送ったと言っていた。それは立派な事だと思うし、凄い事だと思える。

 でも、由梨ちゃんが新たな未来へ旅立ったあとの意気消沈した拓海さんの姿を見た俺は、それが本当に正しかったのだろうかと疑問に感じてしまった。

 そしてそんな疑問が心の中に出て来た時、俺は考えた。明日香との別れが来た時、俺はいったいどうするんだろうか――と。

 幽天子ゆうてんしは新たな人生を、未来を生きる為にこうして転生プロセスを踏んでいるわけだから、本来なら明日香達の旅立ちを喜んであげるのが正しいんだと思う。でも、人間の感情というのはそう簡単にはかれるものではないし、単純でもない。

 いや、本当は根本的なものは単純明快なのかもしれないけど、人にある理性だとか見栄だとか、そんな色々なものが単純なものを複雑に変えているだけかもしれない。


「どうしたの涼太君? 外を見てぼーっとしちゃって」


 背後から優しげな声が聞こえて振り返ると、そこには心配そうな表情を浮かべながらふわふわと飛んでいるサクラの姿があった。

 そしてサクラのその心配そうな表情は、生まれて来るはずだった妹の事で落ち込んでいる俺に、母親が見せていたそれとよく似ている。


「いや。ちょっと考え事をしてただけだよ」

「もしかして、明日香の事?」

「…………」

「やっぱりか」


 サクラの質問に対してYESともNOとも言っていないけど、どうやらサクラは俺の沈黙をYESととらえたみたいで、そんな俺を見ながら、困った子だなあ――みたいな感じの苦笑いを浮かべてそう言った。


「どうしてそう思うんだ?」

「もう一年以上も涼太君達の事を見てるんだよ? だから涼太君がそんな表情で悩んでる時は、だいたい明日香の事だって分かるんだよ」


 胸を張って自慢げにそんな事を言うサクラを見ていると、『違う』と言ってやりたくなるけど、間違ってはいないので反論の余地はない。


「そっか」

「今度は何を悩んでるの? そんな暗いを顔してたら明日香が心配するから、お姉さんに話してみてよ。まあ、涼太君のお悩みに答えを出せるかは分からないけどね」


 おそらくサクラは俺がどんな事で悩んでいるのか、なんとなく分かっているんだと思う。だから俺は、あえて直球で質問をぶつけてみる事にした。


「明日香はいつ消えてしまうんだ?」

「……それを聞いてどうするの?」


 そう口にした瞬間、先ほどまで浮かべていたにこやかな表情は消え、真面目な顔つきでそう聞き返してきた。


「明日香がいつ居なくなるのかを知っておけば、色々と思い出も作れるじゃないか」

「それじゃあ聞くけど、明日香が居なくなるのが明日だって私が言ったら、涼太君は残り八時間足らずの間にどんな思い出を作るの?」

「そ、それは……」

「それに、仮に何か思い出を作ったとして、それをお互いが忘れてしまうのに意味があるの?」

「それじゃあ、俺と明日香が過ごしてきた今までの日々は全部意味が無かったって言うのか?」


 その言葉を聞いた時、俺はつい声を荒げてそんな事を言ってしまった。サクラが悪意を持ってそんな事を言っているわけじゃないのは分かってるのに。

 でも、サクラの言っている事は俺と明日香が過ごしてきた今までの日々を全部否定されているみたいで嫌だった。


「……ごめんなさい。無神経な事を言って」


 やや間があったあと、ふわふわと飛んでいたサクラは机の上へと下り立ち、俺へ深々と頭を下げて謝った。


「いや、俺の方こそ大きな声を出して悪かった……」


 お互いに謝ったあと、少しだけ気まずい雰囲気と共に沈黙の時間が流れた。


「――なあ、サクラ。俺も拓海さんみたいに忘れてしまうのか? 明日香の事を、今までの事を……」


 サクラは俺の質問に対して言葉ではなく小さく頷く事で答えた。


「どうしてだ? 何で俺達から思い出を消すんだ?」

「それは……それがお互いの為だからよ。だから忘れてもらうの」


 少し迷う様な素振りを見せながらも、サクラは口を開いてはっきりとそう答えた。


「お互いの為?」

「居なくなった人の事をいつまでも覚えているのは、心に相当な負担を強いるって事なの。相手がこの世界に生きていた人で、それで死別したとかなら話は別だけど、明日香や由梨ちゃんみたいな幽天子は元々この世に居ない存在。本当なら涼太君や拓海君とも出会う事すらなかった。だからお互いに築いた思い出や記憶は、良くも悪くも別れたあとに必ず重く心にし掛かってくる。だから忘れてもらうの。幽天子の場合は、転生プロセスの間の記憶を持ったままでの転生が出来ないからっていう理由もあるけどね。でも、物事はそう上手くは運ばないから困るんだよね」

「どういう事だよ? サクラ達天生神の力を使えば、人の記憶の改ざんや忘却なんて簡単なんじゃないのか?」

「涼太君は由梨ちゃんが居なくなったあと、その記憶を失くした拓海君と話をしたんでしょ? その時に何か感じなかった?」

「何かって?」

「例えば拓海君と話してる時に違和感があったとか、私が話していた内容と矛盾する様な事があったとか」


 それを聞いた俺は、由梨ちゃんの記憶を失った拓海さんと会って話した時の事を思い返し、一つだけサクラが言っている事に当てはまる様な事があったのを思い出した。


「…………もしかして、拓海さんが由梨ちゃんの事を完全に忘れてなかった事を言ってるのか?」


 今の俺の言い方は、はっきり言って正確ではないと思う。

 なぜなら拓海さんは、本当に由梨ちゃんという存在が居た事を忘れていたんだから。でも拓海さんは、今はもう居ない由梨ちゃんという存在が居た事を、心のどこかにとどめている様に俺には感じた。

 俺がそう感じるのも、あの日、拓海さんと話した時の言葉や様子の端々からそう感じる事ができたからだ。


「そう。私達天生神は、最終的に転生条件を満たした幽天子とそのパートナーの記憶を消す事が役割。でも幽天子とそのパートナーとの間には、私達の力も及ばないが生まれたりもする。それは言ってみればって事なんだろうけど、その力は私達が使う力が及ぶ範囲を遥かに超えた魂の深い部分にあるの。つまり私達の力は所詮、表層的な部分にしか干渉できないって証拠なのよ」


 サクラは自嘲じちょう気味にそんな事を言う。

 つまりサクラが言っている事は、幽天子とパートナーが絆を深めれば深めるほど、記憶を消したり改ざんしたりできる確率が確実にせばまるという事だ。これはサクラ達天生神にとって、非常に効率の悪い仕事になってしまうという事になる。

 でも、そう考えると少しおかしく感じる所がある。サクラ達天生神が最終的に幽天子とパートナーの記憶を消す事が仕事なら、最初からそんな不安定要素が出ない様にすればいいのにと思ったからだ。


「なあ、サクラ。最終的に俺達の記憶を消すのが天生神の仕事だとしたら、どうして俺や拓海さんが明日香や由梨ちゃんと絆を深めるのを黙って見てたんだ? 絆を深めれば記憶の完全な忘却は難しくなる。サクラ達にとって都合が悪いだけじゃないか?」


 サクラが言っている事が事実なら、幽天子とパートナーとの触れ合いを最低限度にしながら転生プロセスを行う方が遥かに効率的だ。わざわざ不安定要素を増やす必要なんてないんだから。


「涼太君は相変らず痛い所を突っ込んでくるなあ~」


 机の上からふわっと浮かび上がりながら、サクラは苦笑いを浮かべる。


「幽天子がこの世界に再び転生する為のプロセスにはね、パートナーになる人の強い愛情が必要不可欠なの。だから私達は、パートナーと幽天子との触れ合いに必要以上に口を出したりはしないの。それが必要な事だからね」


 サクラはすまなそうな表情を浮かべながらそう言った。


 ――なんてこった……。


 幽天子を転生させるにはパートナーの強い愛情が必要で、その愛情が強ければ強いほど、拓海さんみたいにおぼろげながらもそれを心に留めてしまう。なんて皮肉な話だろうか。


「今の涼太君にこれを伝えるのはどうかと思うけど、明日香は転生条件を満たしつつあるわ。それは涼太君も明日香に起こった異変を見て気付いてるとは思うけどね」

「ああ……」

「だから言わせてもらうけど、もうこれ以上思い出作りをしない方がいいと思う。涼太君が辛くなるだけだと思うから」


 サクラはきっと、明日香が居なくなったあとの俺の事を本気で心配してくれているんだと思う。

 確かに記憶を失くしているのに心のどこかでその事を覚えているなんて、地獄もいいところだ。でも、それでも俺は覚えていたかった。明日香の事を。


「……サクラ。お前には悪いけど、俺は最後まで明日香と一緒に思い出を作るよ。特別な事じゃなくていい、平凡でいいんだ。最後まで明日香と兄妹として過ごすよ。そして俺は、明日香の事を忘れない様にする」

「はあっ……涼太君はそんな事を言うと思ってたよ。まったく……」


 やれやれと言った感じの表情を浮かべたあと、サクラは微笑んでいた。


「でも、涼太君の言っている道は相当にキツイ道だよ?」

「分かってる。それでも忘れたくないんだよ、明日香の事を」

「そっか……私ね、涼太君を明日香のパートナーに選んで良かったと思うよ」

「こっちこそ、明日香を俺に預けてくれてありがとな。それと、最後まで俺達をしっかりと見守ってくれ」

「もちろんだよ。このサクラお姉さんにドーンと任せておいてっ!」

「おう。頼んだぜ」


 俺とサクラは右の拳を握り、それをコツッと当てあった。

 サクラと色々な話をした事で、俺の決意は更に固くなったと思う。

 そしておそらくそんなに長くはないであろう残された時間を、俺は無駄にする事なく過ごして行きたいと思った。

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