第56話・妹の存在

 あの夢を見た翌日の深夜。

 俺は部屋の電気も点けずにパソコンの日記を見ながら、相変らず夢で見た事をずっと考え続けていた。

 いつもは目覚めると内容を忘れてしまっていた夢だけど、今回は夢の内容をはっきりと覚えていた。いや、覚えていたと言うよりは、思い出した――と言うべきなのかもしれない。だって夢で見た内容は、全て現実に起こった事だから。


「どうして今まで忘れてたんだろう……」


 まだ小さかったあの頃。当時の俺が通っていた幼稚園では妹を持つ友達が多く居たからか、いつからか俺も『妹がほしい』という願望を強く持つようになっていた。そしてそんな俺の願望がピークを迎えようとしていたちょうどその頃、母さんが新しい命を身篭みごもった事を知り、俺は凄く喜んだ。

 母さんのお腹が少しずつ大きくなる度に、俺の期待も同じ様に膨らんでいったのを思い出す。そして小学生になって間もなく、お腹の中に居るのが妹だと分かった時の喜びは相当なものだった。

 あと少し待てば妹に会える――そんな嬉しさと楽しみがもうすぐ訪れる事に毎日ワクワクしていた。でも、楽しみにしていたその妹と出会う事はできなかった。

 その出来事が起こったのは、小学校一年生になって間もないある日の事だった。俺は臨月りんげつを向かえてしばらくした母さんと一緒にタクシーに乗り、交通量のそんなに多くない昼間の道を通りながらいつもの産婦人科へと向かっていた。

 タクシーの中で俺は大きくなった母さんのお腹を撫でながらまだ見ぬ妹に話し掛け、交差点で信号待ちをしていたその時、急に車の後ろから強い衝撃が襲い掛かり、俺と母さんは座席と座席の間に挟まれる形になった。

 俺はその事故で幸いにも軽傷で済んだが、母さんは重傷を負い、結果としてお腹の中に居た命までも失ってしまった。そして事故後の俺はもうすぐ会えるはずだった妹を突然失った悲しみが大き過ぎて、来る日も来る日もずっと泣き続けた。

 そんな俺を見ていた父さんや入院中の母さんは、俺を気遣って毎日優しい言葉をかけて慰めてくれていたのを思い出す。そういえばあの時は、琴美にも随分と慰めてもらったもんだ。


「ホント、何で忘れてたんだろう……」


 俺には妹が居た。いや、正確には、妹が居るはずだった――と言うべきだろう。

 そして本来なら居るはずだった妹の名前は、幼い俺が考えた『明日香』という名前。そして隣の部屋で寝ている幽天子の妹も、明日香という名前だ。

 最初こそそれは偶然の一致だろうと思った。でも、幽天子の明日香と出会ってからの事を色々と思い返した今では、もしかしたら隣の部屋で寝ている明日香は、俺の妹として生まれて来るはずだった明日香なのではないだろうか――と思えて仕方がない。もちろんそう思う事に確証があるわけじゃない。あくまでもこれは、俺がそう思っているというだけだ。


「――あっ、涼太君。まだ起きてたんだね」


 サクラは少し疲れた表情でフラフラと飛びながら帰って来た。

 パソコンの右下に表示されている時間を見ると、既に午前二時を過ぎている。どうやらかなりの時間、パソコンの日記を見ていたみたいだ。


「ちょっと気になる事があってさ」

「気になる事?」


 サクラはそう言いながら机の上に飛んで来て、その上にペタリと女の子座りをする。


「ああ。明日香の事でちょっとな」

「…………」


 いつものサクラなら、『明日香がどうしたの?』みたいな感じで聞き返してくるんだけど、今回は何の反応も示さなかった。


「なあ、サクラ。明日香や由梨ちゃんみたいな幽天子の名前って、誰が決めてるんだ?」

「……どうしてそんな事を聞きたいの?」


 サクラは俺の方をじっと見ながらそう問い返してきた。


「それは……」


 続きの言葉を口にしようとして、俺は少し躊躇ちゅうちょした。

 ここでそれを口にしてしまうと、何かが変わってしまいそうな予感がしたから。


「それは?」

「……いや、何でもないんだ」

「そっか」


 サクラはそう言うと机の上にある自分専用のベッドに向かい、素早く布団の中に潜り込んだ。


「おやすみなさい。涼太君」

「おやすみ」


 俺はその挨拶に答え、マウスを操作してパソコンをシャットダウンしてから窓の方へと視線を移した。パソコンが消えた部屋の中は暗くなり、カーテンの開いた窓から射し込む月の光だけが、どこに何があるのかを薄ぼんやりと俺に教えてくれている。

 しばらくその月明かりをぼんやりと見たあと、開いたカーテンを閉める事なくそのままベッドへと移動し、俺は布団の中へと潜り込んだ。


「――涼太君。寝ちゃったかな?」


 俺が布団に潜り込んでからしばらく経った頃。

 時計の秒針がチッチッと動く音だけが聞こえていた室内に、サクラの小さな声が混じって聞こえてきた。


「…………」

「寝ちゃったみたいだね……」


 俺はその問い掛けに答えず、ゴロンと寝返りだけを打った。


「人生ってさ、不公平だよね。長く生きる人も居れば、短命な人も居る。幸せな人も居れば、不幸な人も居る。どこにも平等なんてない……」


 こちらからの反応が無いにもかかわらず、サクラはそんな話を始めた。

 俺は布団の中に潜ったまま、その独り言の様なサクラの話に耳を傾ける。


「天生神なんてやってるとね、尚更そう思う事があるんだ。でね、私達天生神が所属するヘブンズゲートは、『この世に生まれた小さな命が理不尽にその命をなくした場合、それを救済しよう』っていう組織なの――」


 自身の心の中を吐露とろするかの様にサクラは静かに話を続ける。

 そして俺は、そんなサクラの話をただ黙って聞いていた。


「――それでね、さっき聞かれた幽天子の名前は、基本的に生前の名前をそのまま使うの。転生プロセスにおける危険性を考えれば、あまり好ましい事ではないんだけどね。でも、名前って不思議なもので、転生プロセスにおいて幽天子の存在を現世に固定させる上で重要なもの。だから私達は、生前の名前をそのまま使う事にしているの。…………ちょっと話し過ぎちゃったかな。私の独り言はここまで。おやすみなさい」


 サクラがそう言い終わると、部屋の中に再び時計の秒針の音だけが聞こえ始める。


「……ありがとう。サクラ」


 俺は誰にも聞こえないくらいの小さな声でお礼の言葉を言った。

 しかしサクラの話を聞いた俺は、更に疑問を増やす結果となった。なぜなら俺がサクラの力で明日香の生前を見て来た時、明日香は母親から『美羽みう』と呼ばれていたからだ。

 俺としては、明日香が生まれて来るはずだった俺の妹ではないだろか――なんて思っていたりもしたけど、サクラの話が事実だとすればその可能性は無いという事になる。

 だけどサクラの話してくれた内容に矛盾があるせいか、俺はその考えを完全に捨て去る事はできなかった。

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