第57話・恐れていた事態
サクラの話を聞いたあの日から数日が経ったけど、あれから俺はずっとモヤモヤした気分を抱いていた。
「はあっ……」
あと三十分もしない内に日付も変わるというのに、俺は今日もパソコンの電源を入れて例の日記を見ながら溜息を吐いていた。
夢で見て思い出した妹の存在、サクラから聞いた話、繋がりそうで繋がらない二つの点。どんなに悩んでもどんなに考えても仕方のない事だけど、一度疑問に思い始めた事はいつまでも考えてしまうのが俺の性分だ。
「お兄ちゃん。また日記を見てるの?」
何度目になるか分からない溜息を吐いた時、不意に部屋の扉が音を立てて開き、そこから明日香の心配そうな声が聞こえてきた。
「あっ、ごめんごめん。もう寝るからさ」
明日香の声を聞いた俺は慌ててパソコンに表示した日記を閉じ、座っている椅子を回して明日香の方へと振り向いた。
「……ねえ、お兄ちゃん。最近何かあった?」
いつもなら『ちゃんと寝てね』という言葉と共に自分の部屋へと戻って行くんだけど、今回は神妙な面持ちのまま俺の部屋へと入って来た。
明日香のその不安げとも取れる表情を見ていると、俺もなぜか気分が落ち着かなくなってくる。
「どうしてだ?」
「うん……あのね、私の勘違いかもしれないけど、最近お兄ちゃんちょっと元気が無いって言うか、何か悩んでいる様に見えたから。だから何かあったのかなと思って」
明日香は部屋に入ってベッドにちょこんと座ると、少し言い辛そうにそんな事を言った。
自分ではいつもと変わらない様にしてたつもりだけど、兄妹として一緒に過ごしてきた明日香には、今の俺がいつもと違うという事がなんとなく分かったのかもしれない。だからと言って、俺が考え込んでいる内容を明日香に言ってしまうわけにはいかないけど。
「いや、最近ちょっと授業内容が難しくなってきたからさ、それで少し勉強方法を考えてたんだよ。だから多分、その疲れが出てるんじゃないかな」
「そっか、そうだったんだ。無理しないでね、お兄ちゃん」
「ああ。気を付けるよ」
そう言うと明日香はチラリと机の方を見たあとでベッドから下り立ち、部屋の出入口へと向かい始めた。
「お兄ちゃん。おやすみなさい」
「おやすみ」
明日香は静かに部屋の扉を開けて廊下に出ると、そう言ってからそっと扉を閉じて自室へと戻って行った。
「ふうっ……危ない危ない」
ちょうど日記の見られるとマズイ部分を見ていたので少し焦ったけど、とりあえず明日香には気付かれなかったみたいだ。
――念の為に対策しておくか。
椅子を回転させて机の方へと向き直り、マウスを操作して再び日記の画面を出す。万が一にも明日香に日記の内容を見られない為に、観覧用パスワードを設定しようと思ったからだ。
ここ最近は明日香も調べものをする為にパソコンの使い方を覚えたし、興味から日記を覗かれるのを防ぐ意味でも保険はかけておくべきだろう。となれば考えなければいけないのは、設定するパスワードをどうするかだ。
単純なパスワードにすると明日香に
俺は取り出したノートを開き、とりあえず思いつくままにパスワードの候補を書き出してみた。
「うーん……どうすっかなあ」
いくつかパスワードの候補を書き出してみたものの、どれもいまいちしっくりこない。俺はパスワードの設定画面を出したまま、腕組をしてしばらく悩み続けた。
「――そうだ。あれならいいかもしれない」
しばらく悩んだあとで一つのパスワードを思いついた俺は、パスワード設定画面にキーボードで文字を打ち込んだ。
「よしっ。これでオッケー」
今俺が設定したパスワードなら明日香には意外過ぎて分からないだろうし、何より俺が絶対に忘れる事はない。まさに完璧なパスワードと言えるだろう。
しかしまあ、ここまでしなくても明日香は人の日記を勝手に覗いたりはしないだろうけど、念を入れておくに越した事はない。
そんな事を思いつつ全てのページを閉じてからパソコンをシャットダウンし、部屋の電気を消してベッドで眠りについた。
× × × ×
日記に観覧用パスワードを設定した日から数日が経った。
そして今日の俺はクラス当番になっていた上に先生達から色々と用事を言いつけられたから、学園を出るのがいつもより一時間以上遅くなっていた。
「結構暗くなってきたな……」
四月に入って暗くなるのが遅くなったとはいえ、やはり一時間も帰宅が遅れれば外の様子も違ってくる。
最近は俺が色々と考え込んでいるせいで明日香には心配をかけているし、クラス当番で遅くなったから俺の帰りを今か今かと自宅で待っているだろう。だから俺は自然と家へ向かう足が速くなっていた。
「――ただいまー!」
急ぎ足で家へと帰り着いた俺は早速元気な自分を演じ、玄関の扉を開けて大きく明るい声でそう言いながら中へと入った。
「あれっ?」
最近は十七時を過ぎて俺が帰宅していない場合、明日香が代わりに夕食の準備をしてくれる様になった。
だから今日も明日香が元気良く『お兄ちゃんお帰りー!』と言いながら、台所かリビングの出入口から顔を覗かせてこちらへやって来ると思っていたんだけど、そんな俺の予想とは裏腹に、家の中はシーンと静まり返っている。
「やけに静かだな」
妙に家の中が静かな事におかしさを感じつつ、俺は靴を脱いで玄関のフローリングに足を上げた。
「明日香ー?」
念の為にもう一度名前を呼んでみるが、やはり何の反応も無い。
「にゃーっ!!」
やっぱりおかしいなと思ってリビングへ向かおうとしたその時、二階へ続く階段から小雪が猛ダッシュで駆け下りて来て俺の胸に飛び付いた。
「おっと!? どうしたんだ? 小雪」
「にゃにゃっ!!」
腕の中で慌ただしく鳴く小雪。そんないつもと違う小雪の様子に、俺はなぜか嫌な予感がした。そして小雪はしばらく俺の腕の中で鳴いたあと、滑り抜ける様にして地面へと下り、凄い勢いで階段を駆け上って行った。
そんな小雪の様子を見た俺は、同じく階段を駆け上って小雪のあとを追った。そして階段を駆け上ると俺の部屋のドアが開いていて、その前で小雪が声を上げながら中を見ていた。
それを見た俺が急いで部屋の中に入ると、そこには床に倒れている明日香の姿があった。
「明日香!? どうした!? しっかりしろ明日香!」
「ううっ……」
倒れている明日香の上半身を抱き上げて呼び掛けるが、明日香は苦しそうな声を上げるだけで全く目を覚ます気配が無い。
「どうしたってんだよ!?」
部屋の中を素早く見回すと、倒れた椅子とスイッチの入ったパソコンが目に映った。
「まさか……これを見たのか?」
パソコンに表示されていた画面を見た俺は、血の気が一瞬で引いたのを感じた。なぜならその画面に表示されていたのは俺が書いている日記で、しかもそこには前世の明日香の命日についての内容が映し出されていたからだ。
――明日香がこれを見てこうなったんだとしたら……。
「涼太君!」
パソコン画面を見て唖然としていたその時、サクラが凄まじい勢いで部屋に飛び込んで来た。
「サ、サクラ!? ちょうど良かった。明日香の様子が変なんだ!」
「分かってる。私もそれで急いで来たんだから。とりあえず明日香をベッドに寝かせて」
「お、おう」
サクラの言葉に従って明日香をベッドに寝かせると、サクラは苦しそうに声を上げる明日香の様子を見始めた。
「いけない、このままじゃ明日香の自我が崩壊する。どうして急にこんな事に……」
「多分、これが原因だと思う」
俺は机の上にあるパソコンを指差してそう言った。
するとサクラは素早くパソコンの前へと移動してからその内容を確認する。
「なるほど。これを見たから明日香の精神に急激な異常が出たんだ」
「明日香を助けるにはどうすればいいだ?」
「……残念だけど、幽天子がこうなると、もう助けようがない」
「そんな!? 何か方法はないのか?」
パソコン画面の前に居るサクラに詰め寄り、焦る気持ちと明日香を失う恐怖で押し潰されそうになりながら、何か救う手立てがないのかを問い詰める。
「……一つだけ方法があるにはあるけど、私はそれを涼太君に勧めたくない」
「どうしてだよ!? そうしないと明日香が危ないんだろ?」
「だって、もしも失敗したら涼太君の命がなくなっちゃうんだよ?」
その言葉を聞いて『冗談だよな』と言えればどれだけ良かったか。
しかし、サクラがこんな時にそんな冗談を言える様な奴じゃない事はよく分かっている。
「……サクラ。どうやれば明日香を助けられるんだ?」
「私の話を聞いてた!? 命を失うかもしれないんだよ?」
「頼むから教えてくれっ!」
部屋の中に声が響き、ほんの少しの静寂が部屋を包み込む。
「……本気なの?」
「本気だ」
「どうしてそんなに必死になるの?」
「明日香は俺の妹だ。それに約束したんだ、何があってもちゃんと迎えに行くって」
「…………分かった。涼太君にそこまでの覚悟があるのなら、私も全力でサポートする!」
「ありがとう。頼りにしてるよ」
サクラにお礼を言った俺は、ベッドの上で苦しそうな声を上げ続ける明日香のそばへと近付いた。
「明日香。すぐ迎えに行くからな」
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