第29話・それぞれの思い

 母親の琴音さんから琴美が図書館に居るであろう事を聞いた俺は、早足でそこへと向かっている。

 読書好きな琴美の事だから、別に急がなくても図書館の椅子に座って本を読みふけっていると思う。それでも入れ違いになったら嫌だなと思っているからか、自然と俺の歩む足は速くなっていた。

 そして約十分ほどで目的の図書館へと辿り着いた俺は、中に入ってから琴美を捜し始めた。

 この街で一番大きな図書館とはいえ、中はそんなに広いわけではない。だから琴美を見つけるのはそう難しい事ではないと、この時はそう思っていた。しかし何度館内を見て回っても、琴美の姿を見つける事はできなかった。

 琴美は本を読み始めると集中して時間を忘れるタイプだから、今回も図書館のどこかで静かに本を読んでいると思っていただけに、俺は少し焦りを感じ始めていた。


「――何か本をお探しですか?」


 琴美を捜して図書館内を何週かした時、係員の女性が声を掛けて来た。

 しかしそれも仕方ない。こうして図書館内を何周もぐるぐると回っていれば、ちょっとした不審人物にも見えるだろうから。


「あっ、すいません。ちょっとお聞きしたい事があるんですが」

「何でしょうか?」

「綺麗な長い黒髪で、その両サイドに赤いリボンを付けた高校生くらいの女の子を見ませんでしたか?」

「赤いリボンを付けた高校生くらいの女の子…………ああー、見ましたよ」

「本当ですか!? あの、その子がどこへ行ったとか分かりませんか?」

「いつもはあそこにあるお気に入りの席で本を読んでいるんですけど、今日は珍しく本を数冊借りて出て行きましたよ。『天気が良いから公園で読書でもしよと思って』とか言ってましたけど」


 ちょうど日陰になる角の席を指差しながら、そう教えてくれた係員さん。その丁寧な説明には大いに感謝したい。


「ありがとうございます」


 俺は係員さんに大きくお辞儀をしながらお礼を言い、そのまま図書館をあとにした。

 それからどこかの公園に居るらしい琴美を捜しに行こうと思って外に出たのはいいんだけど、図書館から琴美の家までの間にはいくつかの公園がある。そしてそのどこかに琴美は居るんだろうけど、はっきり言ってその内のどこに居るのかはまったく見当がつかない。

 しかしここでどこの公園に琴美が居るのだろうかと迷っていても仕方ないので、俺は近場の公園から虱潰しらみつぶしに捜して行く事にした。

 そんなわけでまずは図書館から歩いて三分ほどの位置にある公園に行ってみたんだけど、そこに琴美の姿は無く、続いて向かった近場の公園でもその姿を見つける事はできなかった。

 こんな肝心な時に出会えないというのは、本当にもどかしい気分になってしまう。しかしここで腐っていても仕方がないと、俺は次の公園へ向けて歩き始める。

 そして何歩か足を進めたその時、俺はふと昔の事を思い出した。


 ――もしかしたら、あそこかもしれないな。


 一つの可能性を考えついた俺は、その場所へ向かって全力で走り始めた。


× × × ×


 あれから全力で走った俺は、かなり短い時間で目的の公園前へと辿り着く事ができた。全力で走った影響でかなり疲弊したけど、その代償として俺の予想は見事に的中したらしく、公園の中にあるベンチに座って静かに本を読んでいる琴美を見つける事ができた。

 そしてその姿を見た俺は荒れた息をゆっくりと整え始め、落ち着いたところで琴美の居る場所へと向かい始めた。


「琴美」

「りょ、涼君!?」


 ベンチに座る琴美へと近付いた俺は、静かに本を読んでいる琴美へ声を掛けた。

 すると本を見ていた琴美は俺を見てから驚いた様な声を上げ、次には困った様な表情を浮かべてから視線を逸らした。


「隣、いいかな?」

「ど、どうぞ……」


 そう言うと琴美は少しだけベンチの端の方へ寄り、俺が座るスペースを空けてくれた。

 俺は空けてもらったスペースへ静かに座り琴美の方を見たが、琴美は相変わらず気まずそうにしながら今も視線を逸らしたままだった。


「引越しするんだって?」

「う、うん。お母さんの仕事の都合で……ごめんなさい……」

「どうして謝るんだ?」

「だって、涼君に何も言わなかったから……怒ってるでしょ?」

「怒ってないよ」

「本当に?」


 そう聞いてきた琴美に向かい、俺は大きく頭を縦に振って応えた。

 正直に言えば最初は、どうして何も言ってくれないんだろう? ――なんて事を思っていたりもしたし、少しはいきどおる気持ちもあった。でもその事を責めようとか、怒ろうなどとは思わない。


「多分だけど、言い辛かったんだろ?」

「うん……」


 そう言うと琴美は、申し訳なさそうにしながら顔を俯かせた。

 俺に引越しの事を言わなかった件を気に病んでいるのか、それとも引越ししなきゃいけない事で寂しさを感じているのか、もしくはその両方か。それは俺には分からないけど、とりあえず話を続ける事にした。


「引越しはもう、絶対にしなきゃいけないのか?」

「うん。うちはお母さんと二人暮らしだから……」


 琴美の父親は俺達が小学生になってしばらくした頃に交通事故で亡くなっていて、その時に泣きじゃくる琴美を慰めていたのを、俺は今でもよく覚えている。琴美は本当に小さな頃は泣き虫だったから。

 そしてそれから女手一つで琴美を育てて来た琴音さんの苦労は計り知れない。


「そっか……」


 俺は琴美の返答を聞いて、そう言う事しかできなかった。

 そしてしばらくの間、俺達の間には沈黙の時間が流れた。


「――なあ、琴美。行かないってのは無理なのかな?」

「えっ?」


 琴美はその言葉に驚いている様子だった。

 当然だと思う。幼馴染とはいえ、俺なんかにこんな事を言われたら、そりゃあ驚くだろう。


「それは……でもそうしたら、お母さんが独りになっちゃうし……」


 その言い分は至極ごもっともだと思う。だけどその言葉に、琴美の本心や本音は入っていない様に感じた。


「琴美はどうしたいんだ?」

「…………」


 その言葉に琴美は黙り込んだ。

 気まずさから黙ってしまったのか、それとも返答のしようが無くて黙ったのかは分からないけど、俺はそんな琴美へ自分の気持ちを素直に話してみる事にした。


「俺はさ、琴美に居なくなってほしくないんだ」

「えっ?」

「琴美が居なくなったら寂しいんだ。だから行ってほしくない」


 これは俺の壮絶な我がまま。自分勝手な言い分。だけど紛れもない本心だ。

 例えここで琴美に嫌われたとしても、これだけは伝えておこうと思った。


「……どうして、私が居なくなると寂しいの?」


 琴美は少し瞳を潤ませながら俺を見ていた。

 そんな琴美の表情を見ているだけで、俺の心臓は破裂しそうなくらいにバクバクと跳ねている。だけど今はそれに耐えなければいけない。


「それは……琴美が大事な人だから……」


 恥ずかしさで死にそうな気分になりながらも、俺ははっきりとそう言った。

 ここで『琴美が好きだから』と言えてしまえば良かったのかもしれないけど、残念ながらそこまでの勇気は俺には出なかった。でも、大事な人だというのは決して嘘ではない。琴美が本当に大事だからこそ、居なくなってほしくないと思う。


「その言葉、本当?」

「本当だ」

「絶対の絶対に?」

「絶対の絶対にだ」

「本当の本当に?」

「本当の本当にだ」


 なんとも子供染みたやり取りだが、琴美は至って真剣な表情でそう聞いてくる。


「そっか……うん。分かった」


 琴美はそう言うとベンチに置いていた本を手に持ってスッと立ち上がり、そのまま公園の外に向かって歩き始めた。


「こ、琴美?」


 俺はその行動に動揺し、急いで立ち上がった。

 そしてそのあとを追いかけ様としたその時、琴美が不意にこちらの方を振り返った。


「涼君。ありがとう」


 琴美は一言そう言うと、そのまま自宅の方へと走り去った。

 そして俺は、優しげな笑みを浮かべながらもその瞳から大粒の涙を流していた琴美を見て、その場で立ち尽くしてしまった。

 こうして俺の素直な気持ちを伝えた翌日。琴美は学園を休んだ。

 そして夕方のホームルームの時間、担任の口から琴美が引越しをする事が告げられた。

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