第28話・望む未来への一歩

 色々な事を考えながら眠れない夜を過ごし、ついに俺はそのまま朝を迎えてしまった。そしてカーテン越しに見えるその明るさは、外が晴れている事を表している。

 深夜にサクラからアドバイスを受けたとはいえ、どうすればいいのかという答えは未だ出ていない。しかし今の俺にできる事といえば、琴美に直接その真相と理由を聞いてみる事くらいしかないだろう。

 俺はとりあえずベッドから起き上がり、朝食の用意をする為に一階へと下りた。

 今日は休日だからかまだ明日香は寝ているみたいで、家の中はシーンと静まり返っている。そんな中で聞こえてくる音といえば、外から聞こえるすずめのチュンチュンと鳴くさえずりくらいだ。

 そんな雀のさえずりを聞きながら台所にある冷蔵庫から麦茶を取り出してコップへと注ぎ、それをグイッと飲み干してから何を作ろうかと再び冷蔵庫の中を覗き込んだが、ちょうど買い置きの品が少なくなっていたせいか、冷蔵庫の中に大した材料は残っていなかった。


「少し買い出しに行かないとな」


 俺は残っていた卵と数枚のベーコンを取り出してから朝食を作り始めた。

 フライパンをガスコンロの上に載せて中火で軽く温め、その上にベーコンを投入する。するとベーコンから染み出した油がパチパチと音を立てながら、少しずつ縮んでいく。

 そして片面が程よく焼けたところでひっくり返し、俺はそのままベーコンの上に割った卵の中身を落とした。


「――おはよ~う。お兄ちゃ~ん」


 焼けていく卵の黄身が徐々に固まってきていた時、明日香が眠そうに目を擦りながら台所へと入って来た。


「おはよう。もうすぐ朝食ができるから顔を洗っておいで」

「ふあ~っ。うん」


 小さな欠伸を出したあと、明日香は一言そう返事をしてから洗面所へと向かって行った。


「にゃ~ん」


 そして焼けていく料理をじっと眺めていると、いつの間にか足下に来ていた小雪が俺の足にじゃれつき始めた。きっと作っている料理の匂いに誘われて来たんだろう。


「ちょっと待っててな。これが焼けたらすぐに小雪の餌の用意をするから」

「にゃ~」


 そう言うと小雪はそのまま大人しくその場に座り、尻尾を左右に振りながらじっとその場で俺が餌を出すのを待った。ホントに聞き分けの良い猫で助かる。


「お待たせ、小雪。たくさん食べな」

「にゃ~ん♪」


 焼きあがったベーコンエッグを皿に乗せた俺は、そのまますぐに小雪の餌皿へいつものキャットフードを入れた。すると小雪は俺の方を見上げ、まるでお礼でも言うかの様に一鳴きしてから餌を食べ始めた。

 そして俺は美味しそうに餌を食べている小雪の姿を横目に見つつ、リビングのテーブルまでベーコンエッグの乗った皿を運んだ。ちなみにご飯は炊くのが面倒だったので、昨日の余りを電子レンジでチンしたやつだ。


「お待たせ、明日香」

「ありがとう。お兄ちゃん」


 顔を洗ってさっぱりとした様子の明日香が、既にリビングのソファーに腰を下ろして待っていた。そして俺は持って来た皿を丁寧に木製のテーブルへと置いて行った。


「明日香。インスタントになるけど、味噌汁はいるか?」

「うん。欲しい」

「それじゃあちょっと作って来るから、先に食べてていいぞ」

「ありがとう。お兄ちゃん」


 俺は台所へ戻り、引き出しにあるインスタント味噌汁を取り出した。

 両親が小さかった頃のインスタント味噌汁は種類も少なく、具はワカメ以外ほぼ入っていない様な物が多かったらしいが、最近では減塩だの具沢山だのと、それこそ様々な種類のインスタント味噌汁がある。そんな物を見ていると、人類の物に対する発想やひらめきというのは実に凄いものだと感じてしまう。

 小さなお椀にインスタント味噌汁を入れた俺は、そこに熱いお湯を注いでから一つずつリビングへと持って行った。それから二人でいつもの様に朝食を摂り、食べ終わってから後片付けをしたあと、俺は明日香が由梨ちゃんの所へ行くのを見送ってから外出する為に着替えを始めた。


「涼太君。どこかに出掛けるの?」

「ああ。ちょっと琴美の家までな」

「そっか」


 サクラは一言そう言うと、何やら満足げにウンウンと頭を縦に振った。


「そういえば最近は明日香に付いて行って見守りをしてないみたいだけど、大丈夫なのか?」

「それは大丈夫だよ。前回の失敗を活かして、今は別の形での見守りもしているからね」

「そっか。まあ、よろしく頼むよ」

「あれれっ? 『本当に大丈夫なのか?』とか聞かないの?」


 俺の返答に対し、サクラがなんとも意外そうな表情でそう聞いてくる。

 確かに普段の素行の軽さから不安な気持ちが出てしまう事もあるけど、サクラの明日香を思う気持ちに嘘はないと思っているし、実際サクラは明日香をとても可愛がってくれているから、きっと大丈夫だと思う。


「ああ。聞かないよ。サクラを信じてるからな」

「涼太君……うん! 任せておいて!」


 サクラは少し嬉しそうにしながら、ドンッと胸を叩いて見せた。その姿はなんとも頼もしく、自信に満ち溢れている。


「おう。任せたよサクラ。それじゃあ行って来る」

「頑張れっ! 涼太君!」

「おう!」


 着替え終わった俺は、サクラの声援を受けて家をあとにした。

 時刻は午前十時を少し過ぎたところ。少し涼しい風が吹いている外をゆっくりと歩きながら、俺は琴美の家へと向かった。

 俺の家と琴美の家は距離的にそう離れていない。現にこうしてゆっくりと歩いているのに、もう琴美の家が視界に入ってきている。

 こうして琴美の自宅前へと辿り着いた俺は、玄関のチャイムを目指して足を進め様とした。しかしいざ玄関の方へ進もうとすると、俺の足はまるで重いかせでも付けられているかの様に動かなくなった。

 そう、俺はかつてない程に緊張をしていた。そりゃそうだ。いくら幼馴染とはいえ、もうずっと長い間この家を訪ねた事はなかったんだから。言ってみれば、どの面下げて行けばいいんだろうか――と言った感じなわけだ。


「――あれっ? 涼太君?」


 そんな感じでしばらく琴美の家の前で立ち尽くしていると、突然左側から涼やかな声で名前を呼ばれた。そしてその声に驚いた俺は、ビックリしながらもその声がした方へと視線を向けた。


「やっぱり涼太君だ! 久しぶりだね!」


 そこには灰色のスーツを身にまとった琴音ことねさん――つまり、琴美のお母さんの姿があった。


「お、お久しぶりです。琴音さん」


 琴音さんを見た俺は、慌ててお辞儀をした。

 すると琴音さんはにこにことしながら俺へ近付き、俺の頭の上に手を乗せてポンポンとしながら再び話を始めた。


「本当に久しぶりね。確か最後に会ったのは、中学二年生の進路相談の時だったっけ? いやー、本当に大きくなったね」

「そ、そうですかね?」


 確かに琴音さんと最後に会ったのは中二の進路相談の時だったと思うけど、あの時からそう大して時間は経っていない。だから、大きくなったね――と言われるほどの成長はしていないと思う。


「うんうん。なかなか男らしい身体つきになってるじゃない」


 そう言ってペタペタと上半身のあちこちを触る琴音さん。こういうところは相変わらずみたいだ。


「ところで今日はどうしたの? うちの前でぼーっとしちゃって」

「あ、いや、あの……琴美――じゃなくて、琴美さんに用事があって」

「あれっ? 涼太君て今は琴美の事をて呼んでるの? 昔は琴美って呼んでなかったっけ?」

「いやまあ、確かにそうですけど……」


 小さな頃は琴音さんの前でも確かにそう呼んでいたけど、さすがに長い間まともな交流が無かった相手の母親を目の前にして、その娘の名前を呼び捨てにはできない。


「まあいっか。で、琴美に用事らしいけど、今は居ないと思うよ?」

「どこかに出掛けてるんですか?」

「うん。多分この時間は図書館に行ってると思うよ?」

「そうだったんですね。それじゃあ、図書館に行ってみます」


 琴音さんにペコリと軽くお辞儀をし、俺は図書館へ向かう為にきびすを返した。


「涼太君」


 そしてほんの少し歩いたところで名前が呼ばれ、俺は何事かと琴音さんの方を振り返った。


「涼太君。私達がもう少しで引越しするって事は知ってる?」

「はい。昨日妹からその話を聞きました」

「えっ!? 琴美から聞いたんじゃないの?」

「はい。琴美さんからは何も……」

「まったくもう……ちゃんと直接言いなさいって言っておいたのに……」


 琴音さんは小さくそう呟くと、はあっと息を吐き出してから俺を見据えた。


「ねえ、涼太君。琴美が居なくなったら寂しい?」

「えっ?」


 突然の思いがけない質問に、俺はかなり動揺した。

 そしてそんな俺を、琴音さんは至って真面目な表情で見つめている。

 普段ならこういう時は口ごもって何も言えなくなるか、それなりに無難な回答を提示してその場を逃れ様とする俺だけど、今回ばかりはそんな気は毛ほども起きなかった。


「はい。俺は琴美に居なくなって欲しくありません」

「そっか……うん! やっぱりその呼び方のほうがしっくりくるね!」

「あっ! いや、これはその……」

「涼太君。小さな頃と今の関係性が変わっていたとしても、琴美と涼太君が幼馴染だった事実は変わらない。そしてあの子は今でも、涼太君と幼馴染である事を大事に思ってる。その事を忘れないでね?」

「はい」

「うん。いい返事。引き止めて悪かったわね、いってらっしゃい!」

「ありがとうございます!」


 琴美と会って話をしたからと言って、何ができるわけでもないと思う。だけどそれでも、何かができるかもしれない――という気持ちがまったくないわけでもなかった。

 俺は琴音さんに再び背を向け、琴美と会う為に図書館へと向かって歩き始めた。どうなるか分からない未来に立ち向かう為、自分の望む未来に近付ける為に。

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