第30話・訪れた結末
琴美が引越しをすると夕方のホームルームで聞いたあの日から、早くも二日が経った。
あれから琴美は引越しの準備がある為、一度も学園には来ていない。
「お兄ちゃん。本当に琴美お姉ちゃんに会いに行かなくていいの?」
「ああ。いいんだよ、明日香」
全てが静まり返った深夜。
俺の部屋にあるベッドの上にちょこんと座ってそう問い掛けてくる明日香に対し、俺は机に向かって座ったままで振り向かずにそう答えた。
学園で琴美が引越しをするという話を聞いたその日、俺はその事を明日香に話したんだけど、その話を聞いた途端、『琴美お姉ちゃんに会いに行こう!』と明日香は言った。だけど俺は、それを断った。もちろん明日香には『どうしてなの?』と聞かれたが、そう聞いてくるのは当然だと思う。
だから俺はちゃんと明日香に話をした。琴美と会って俺の思いを伝えた事、行ってほしくないと伝えた事を。だけど結果はこのとおりだ。
しかしこれは、当然と言えば当然の結果だと思う。だって俺がした事と言えば、行ってほしくない――と琴美に伝えただけ。それしか今の俺にはできなかったから。
一介の高校生にできる事など、高が知れている。それは琴美だって同じだろう。
仮に琴美が『引越ししたくない』と琴音さんに言ったところで、それがすんなりと通るぐらいなら、最初っからこんな事にはなっていない。
「お兄ちゃんは本当にそれでいいの? 本当に琴美お姉ちゃんと話さなくてもいいの?」
「……今更話をしたってどうしようもないだろ?」
そんな明日香の言葉を聞き、俺は椅子をクルリと回転させてから明日香に向かってそう言った。
俺だってこの結果に納得しているわけじゃない。だけど世の中には、どうしようもない事が確実にある。人ができる事には限界ってものがあるんだ。
「お兄ちゃんの気持ちも分かるけど……でもそんなの、お兄ちゃんらしくないよ……」
明日香は悲しげにそう言うとベッドから下り、そのまま静かに部屋を出て行った。
「にゃ~ん」
明日香と一緒に来ていた小雪が、俺の足下で小さく鳴き声を上げた。
「おいで。小雪」
そう言いながら自分の太ももをポンポンと叩くと、小雪はスッとジャンプをして太ももに乗り、身体を丸めて座った。小雪が座った部分は動物特有の心地良い温もりがあり、俺はそんな小雪を優しく撫でた。
「俺、本当はどうしたいんだろうな……」
思わずそんな事を小雪に向かって呟いた。
すると小雪はスッと頭を上げて俺へ顔を向け、そのつぶらな瞳で俺を見た。そしてそのまま一言『にゃう~ん』と鳴くと、再び頭を元の位置に戻して心地良さそうにその瞳を閉じた。
× × × ×
翌日の休日。
いよいよ琴美が引越し先へと行ってしまう日を迎えてしまった。最初とは違って引越し日がかなり早まったみたいだけど、それはきっと、琴音さんの仕事の都合なんかがあったんだろう。
いったい何時に引越し先へと旅立つのかは分からないけど、分かったところでどうしようもない事に変わりない。そうは思いながらもやはり気になっているからか、ほんの少ししか眠れなかったにも
「――お兄ちゃん。起きてる?」
目覚めてからぼ~っと時計を見つめ、その針がそろそろ六時を迎えようとしていた頃。コンコン――と扉を小さくノックする音のあとで明日香の声が聞こえてきた。
「起きてるよ」
「良かった。入ってもいいかな?」
「いいよ」
俺の返答を聞いた明日香は静かに扉を開け、そっと部屋に入って来た。
それを見た俺は重く感じる上半身を上げ、ベッドの横に足を下ろした。
「どうしたんだ?」
「私、琴美お姉ちゃんに会って来ようと思うの」
「えっ?」
「お兄ちゃんも一緒に行こうよ!」
そう言って俺の手を握る明日香の表情は、真剣そのものだった。
そしてそんな明日香が握っている手からは、これまでに無い力強さを感じていた。
しかし俺は、それでも明日香の言葉に賛同しかねていた。
「でも……」
「お兄ちゃんは琴美お姉ちゃんが大切なんじゃないの?」
「な、なんだよ急に……」
「私ね、お兄ちゃんが琴美お姉ちゃんを見ている時の目は、私を見ている時の目に似てるって思ってたの。お兄ちゃんは私をとっても大切にしてくれてる。だから分かるの。琴美お姉ちゃんを見ている時のお兄ちゃんの優しい目、あれは大切な人を見ている目なんだって」
「…………」
我が妹ながら、俺の事をそこまでしっかりと観察していた事に驚く。
それと同時に、目だけで心の内を知られてしまったという事実に気恥ずかしさを感じていた。
「ねっ! 行こうよお兄ちゃん! 琴美お姉ちゃんにせめてお別れの挨拶くらいは言おうよっ!」
「…………分かったよ、明日香。琴美に会いに行こう」
俺は明日香の言葉に意を決し、ベッドから立ち上がって出掛ける準備を始めた。
――そうだよな。ここでモヤモヤしてたって仕方ないんだ。明日香の提案どおり、せめてさよならくらいは言っておこう。
急いで準備を済ませた俺は、明日香と一緒に琴美の家へと向かい始めた。
そして家を出てから五分も経たない内に琴美の自宅前へと着いた俺達は、すぐさま玄関のチャイムを押した。しかし何度呼び鈴を鳴らしても、中から誰かが出て来る気配はない。
「あら? 姫野さんに用事かしら?」
何度か呼び鈴を鳴らしていると、琴美の家の向かいにある家から出て来たおばさんが声を掛けてきた。
「あっ、はい。そうなんです」
「だったらちょっと遅かったわね。姫野さんは三十分くらい前に出て行ったわよ?」
「あ、あの。どこに向かったのか分かりますか?」
「えっと……確か飛行機に乗るって言ってたから、空港じゃないかしら?」
「そうですか。ありがとうございます。行くぞ明日香」
「うん!」
時刻は午前七時を過ぎたところ。
琴美達が何時の飛行機に乗るかは分からないけど、三十分差なら会える可能性は十分にある。それにここまで来たら、意地でも会わないと気が済まない。
俺は明日香と一緒に駅へと向かい、空港への道を急いだ。
× × × ×
電車を乗り継いで空港へ向かうこと約五十分。
空港に着いた俺達は急いでロビーへと向かい、そこで手分けをして琴美を捜す事にした。搭乗ゲートに向かう為の手荷物検査ゲートを抜けられたら、こちらにはもう接触のしようがなくなるからだ。
この時点で既に搭乗ゲートがあるフロアへ行っている可能性も
とりあえず二十分ほど捜して琴美が見つからなかった場合は中央ロビーで明日香と落ち合う事にし、その間は必死になって琴美を捜した。似ている背格好の人物を視界に捉えては、確認をして行くの繰り返しだ。
「――お兄ちゃん。琴美お姉ちゃん見つかった?」
「いいや。こっちには居なかったよ」
琴美を捜し始めてから約二十分後。
中央ロビーで明日香と落ち合ったが、お互いに琴美を見つける事はできなかった。これだけ捜して居なかったのだから、既に空港には居ない可能性が高い。
だけど、どうしても諦めがつかいない俺と明日香は、そこから更に約一時間ほどをかけて琴美を捜しを続けた。
「――やっぱりもう行っちゃったのかな? 琴美お姉ちゃん……」
「そうだな……」
琴美を捜している途中、何度かアナウンスで呼び出しもかけてもらったけど、それでもやはり琴美に会う事はできなかった。
「……帰ろう。明日香」
「でも……」
「これ以上ここに居ても仕方ないさ。琴美に会えなかったのは残念だけどな……」
俺はそう言って苦笑いを浮かべた。
もう少し早く琴美に会おうと俺が決断していれば、少なくとも『さよなら』くらいは言えていたかもしれない。後悔というには小さな事かもしれないけど、それでも俺の心を沈ませるには十分だった。
――明日香にもさよならを言わせてあげられなかったし、駄目な兄貴だよな……。
そう思いながら小さく溜息を吐くと、少しの間だが沈黙の時間が流れた。
「……明日香。せっかくここまで来たんだ。何か美味しい物でも食べて帰ろうか?」
そう言って無理やりに微笑んだ。そうでもしないと、今にも泣いてしまいそうだったから。
「うん。そうだね。二人で美味しい物を食べて帰ろう」
俺は明日香と手を繋ぎ、後ろ髪を引かれる思いで空港をあとにした。そしてその時に感じていた明日香の手の温もりが、少しだけ俺の心を癒してくれた様な気がした。
こうして空港を出て美味しい物を食べに行ったあと、俺達は全てを忘れるかの様にして遊び回った。それはもう、外が暗くなるまで。
× × × ×
「ついつい夢中で遊んじゃったな」
「うん。楽しかったね」
自宅がある街の最寄り駅に着いた俺達は、街灯に照らされた道をゆっくりと歩いて帰っていた。
時刻は既に十九時を過ぎていて、普段からわりと静かな住宅街は更に心地の良い静寂に包まれている。その静寂はまるで、俺と明日香の二人しかこの世界に居ない様な錯覚すら感じるほどだった。
「――ん? どうした?」
二人でゆっくりと歩いて帰っていたその時、自宅近くの十字路で明日香が足を止め、ある方向を見た。
「あっ、ううん。なんでもないよ」
そう言ってにこっと微笑んでから、明日香は再び歩き始める。
明日香が見ていた方向には、琴美が居た家がある。やはり会えなかった事が心残りなんだろう。
そんな事を思い、俺はまた気分を暗く沈ませてしまった。
「――あれっ? おかしいな……」
そして沈んだ気分のままで自宅前まで来た時、俺はその異変に気付いた。
出て行く時には点けてなかったはずのリビングの明かりが点いていて、カーテンの隙間からその灯りがもれていたのだ。
「電気、確か点けてなかったよね? お兄ちゃん」
「ああ」
明日香もその異変に気付いたらしく、俺の後ろにしがみついてそう言ってきた。
――まさか泥棒か?
一瞬そう考えたけど、泥棒が堂々と灯りを点けて部屋を物色ってのはおかしい。
「明日香。ちょっとここで待ってろよ?」
「う、うん……」
そう言って明日香を玄関から遠ざけ、俺は玄関の鍵を入れてからそれをゆっくりと回して開錠した。そしてそっと扉を開けた俺はまるで忍者の様に足音を立てずに家の中へと入り、近くにあった靴べらを手に取って進み始めた。
どうやら灯りが点いているのはリビングと台所みたいで、台所からは何かをしている音が聞こえてくる。
それを聞いてやはり泥棒かと思った俺は、護身用にと持って来ていた靴べらを構えて台所へと近付いた。護身用武器としては心元ないけど、何も無いよりはマシだろう。
そして俺は意を決し、何者かが居る台所へと入った。
「誰だそこに居るのはっ!!」
「キャア――――――――ッ!」
靴べらを構えてそう言いながら台所へ入ると、甲高い女の子の悲鳴が響いた。
その声に俺も驚いてしまったけど、よく見ると目の前にはしゃがみ込んで震えている女の子の姿があった。
――あれっ? 俺、入る家を間違えたりしてないよな?
「お、お兄ちゃん! 大丈夫!?」
女の子の甲高い悲鳴が聞こえたからか、明日香が大慌て俺のもとへと走って来た。
「あ、ああ。大丈夫だけど……」
「あれ? この人は?」
目の前でしゃがみ込んで居る女の子を見て、明日香は首を傾げながら俺にそう聞いてきた。
「いや。誰と聞かれてもな……」
「あ、あれっ? その声は……涼君と明日香ちゃん?」
目の前でしゃがみ込んでいる女の子は、そう言いながらゆっくりと頭を上げた。
「「えっ!?」」
頭を上げた女の子の顔を見て、俺は更に驚いた。
なぜならそこに居たのは、自慢だと言っていたロングヘアーがショートボブになっている琴美が居たからだ。
「こ、琴美?」
「もうっ……涼君、驚かさないでよ……」
俺を見てからはあっと大きく溜息を吐く琴美。
「な、なんで琴美がここに居るんだ!?」
「あっ、ごめんなさい。訪ねた時に鍵がかかってなくて中に誰も居なかったから、不用心だなあと思って中で留守番をするついでに夕食を作ってたの」
「琴美お姉ちゃん。引っ越したんじゃなかったの?」
心の中で混乱状態にあった俺に代わり、明日香が琴美にそう尋ねてくれた。
「えっ? あ、うん。お母さんの仕事の関係で引っ越しが早まって大変だったけど、ちゃんと引っ越しは終わったよ?」
「あの、琴美お姉ちゃん。お母さんと一緒に遠くに引っ越すんじゃなかったの?」
「えっ?」
琴美が驚いた表情で俺と明日香を交互に見ている。
そして多分、俺も今の琴美と同じ様な表情をしているに違いない。
こうしてお互いに混乱する中、状況確認と整理の為に俺達はリビングへ行って話を始めた。
「――えっ!? 隣に引っ越して来た!?」
お互いに話の
琴美に俺の気持ちを伝えたあの日。琴美は琴音さんに対して『自分はこの街に残りたい』とお願いをしたらしい。だけどそんなお願い、本来なら通るはずもない。それは琴美も重々承知の上だったそうだ。
そして案の定、琴音さんも最初は『それは無理』と言ったらしい。
だけど琴美は諦めずに琴音さんと交渉を続け、なんとか条件付でこの街に残る許可が得られたと聞いた。
そして琴美が一人暮らしをする為に琴音さんから出された条件とは、俺の家の隣に引っ越す事――だった。
この時に聞いた話で俺も初めて知ったんだけど、この家と同じく隣の家も、親の持ち物だったらしい。正確に言えば俺が住んでいる家は親の持ち物、隣の家はじいちゃん達の持ち物らしいんだけど、じいちゃん達は遠く離れた田舎の家に住んでいるので、その管理は全部俺の親に任せていたらしい。
そして俺の母さんと琴音さんは小さな頃からの親友だったらしく、今回の件を琴音さんが母さんに相談した事により、今回の引越しが実現したとの事だった。
「でもおかしいなあ。涼君のお母さんは、『涼太には連絡を入れておくね』って言ってたんだけど」
「いや、そんな連絡は受けてないね」
「えーっ……」
困った表情を浮かべながら首を傾げる琴美。
どうせ母さんの事だから、あとで言えばいいや――くらいに思って忘れてたんだろう。昔から母さんにはそういうところがあったから。
「でも、涼君のお母さんが言い忘れてたとしても、先生にも引越し作業で休んで、それが終わったらちゃんと学園に出て来るって言っておいたよ? 涼君、先生から聞いてない?」
「えっ? いや……そう言われてみれば、確かにそんな事を言ってたかも……」
「もうっ! お兄ちゃん!」
隣に居る明日香がぷくっと頬を膨らませる。
でもそのあとに明日香が見せた表情は、どこかほっとした柔らかな感じに見えた。
「わ、悪かったよ……」
俺は二人に向かって深々と頭を下げた。自分の聞き違いから思い違いを起こしていたとは、本当に恥ずかしい。
「でも、ありがとね。涼君のあの言葉がなかったら、私はきっとここには居なかったから」
「そっか。それなら良かったよ」
「これからもよろしくね。涼君、明日香ちゃん」
俺達に向かって深く頭を下げる琴美。
そして頭を上げたあとに見たその顔は、今まで見てきた琴美の表情で一番の可愛らしい笑顔だった。そして俺は、不覚にもその笑顔に見惚れてしまった。
こうしてお互いに真相を知ったあと、俺達は琴美が作ってくれていた料理を軽く食べながら続きの話をし、琴美はみんなで片付けをしたあとで隣の家へと帰って行った。
そしてその日の深夜。
布団に入った俺のもとにフラリとやって来たサクラと、今日の出来事を話し込んでいた。
「――そっか。それじゃあ、全部上手くいったんだね」
「まあ、一応な。俺は何もできなかったけどさ」
「そんな事はないよ。涼太君がその気持ちを琴美ちゃんに伝えなかったら、きっとこの結末は無かったと思うよ?」
「そうなのかな?」
「そうだよ。それに行動を起こすっていうのは、なにも物理的に何かをするって事だけじゃないもん。例えできる事が一つしかなくても、その一つを実行した事で、相手が一の行動や二の行動を起こす切っ掛けにもなるんだから」
「そっか。そうかもな」
サクラの言葉に妙に感心してしまった。
普段は軽い発言が目立つサクラだが、こういった時の発言には目を見張るものがある。
「でもまあ、とりあえず良かったね」
「おう。ありがとうな、サクラ」
「うん。それじゃあ、おやすみなさい。涼太君」
サクラはそう言うと、俺の机の上にある自作のベッドへ飛んで行った。
「おやすみ。サクラ」
そう言って目を閉じると、すぐに心地良い眠りの波が訪れ、俺はそのまどろみに包まれていった。
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