第15話・ささやかな願い
俺は明日香と由梨ちゃんがお風呂へ入っている間に家を出て、片道十分ほどの位置にあるコンビニでお菓子やジュースを買って家へと戻った。
「あっ、もうお風呂から出てたんだね」
「お兄さん。お先にお風呂、ありがとうございました」
家に帰ってリビングへ行くと、そこには明日香が持っている可愛らしい猫のデフォルメイラストが描かれた、黄色のパジャマに身を包んだ由梨ちゃんがソファーに座っていた。
「いえいえ。はい、お風呂上がりのアイスだよ。好きな物を取っていいから」
「いいんですか? ありがとうございます」
俺が商品の入った袋を差し出すと、由梨ちゃんはほとんど迷う事なくソーダ味のアイスキャンディーを取り出した。
「それでいいのかい?」
「はい。これがいいです。ありがとうございます。さっそくいただきますね」
「どうぞどうぞ」
「んー! 冷た~い♪」
アイスキャンディーを口にした由梨ちゃんは、とても嬉しそうな笑顔を見せた。
そしてそんな笑顔の由梨ちゃんを見たあと、俺は買って来たアイスを保存する為に台所へと向かい、冷凍庫に自分と明日香の分アイスを仕舞ってからお菓子とジュースを持ってリビングへと戻った。
「それにしても、相変わらず明日香は長風呂みたいだね」
「明日香ちゃんて、いつもお風呂長いんですか?」
「そうなんだよ。いつも最低一時間は入ってるんだ。それにこの前なんか、お風呂の中ですやすやと寝てたんだから」
俺は手に持っていたお菓子とジュースをテーブルに置き、由梨ちゃんの向かい側に座った。
「ふふっ。明日香ちゃん、可愛いですね」
「まあ、手のかかるところもあるけど、可愛い妹だよ」
実際に妹が居なかった俺には、明日香が居なければ一生こんな感覚を味わう事は無かっただろう。
「明日香ちゃん、とても幸せそうですよね」
「そうだといいんだけどね」
「絶対にそうですよ。だって明日香ちゃん、いつも楽しそうにお兄さんの話ばかりしてますから」
「そうなの?」
「はい」
なんだかそんな話を聞いてしまうと、妙に気恥ずかしくなってしまう。
それにしても、明日香はいったい俺のどんな話をしているんだろうか。非常に気になる。
「明日香はどんな話をしてるの?」
「話の内容ですか? そうですね……明日香ちゃんには内緒にして下さいね? きっと恥ずかしがっちゃうと思うので」
「分かった。明日香には内緒にしておくよ」
にこっと微笑み自分の唇に人差し指を当て、内緒のポーズをとる由梨ちゃん。
俺がその言葉にウンウンと頷くと、由梨ちゃんは早速話を始めてくれた。
「例えば、『今日お兄ちゃんが料理を焦がしちゃったんだよ』とか、『朝起こしに行ったらベッドから落ちてた』とか、そんな日常のちょっとした出来事が多いですね」
くすくすと小さく微笑みながら、そんな話を聞かせてくれる由梨ちゃん。
――明日香さ~ん。俺の事を話してるのは分かったけど、そんな恥ずかしい出来事を他人に
「なんだかろくでもない内容だな」
そんな話に俺は思わず苦笑いを浮かべた。
外でそんなアホみたいな事を話されているかと思うと、ちょっと恥ずかしくなってしまう。
「もちろんお兄さんの良い所だってたくさん話してますよ? 例えば、『お兄ちゃんに勉強を教えてもらった』とか、『お兄ちゃんが頭を撫でてくれた』とか。だからそんな話を聞いてると、明日香ちゃんは本当にお兄さんが好きなんだな~って分かるんですよ」
「そうなの?」
「そうですよ。そうじゃないと、あんなに楽しそうにお兄さんの事を話せるわけがありませんから」
「そっか。ねえ、由梨ちゃん。話は変わるけど、拓海さんてどんな人?」
「兄さんですか? ……とても優しい人ですよ。人見知りだった私の面倒をちゃんと見てくれて、学校にも行かせてくれましたし。ちょっと頑固な所はあるけど、本当に優しい兄さんです」
由梨ちゃんは小学生にしては言動がとても大人びている。
だけどこうして話している時に見せる笑顔は、やはり年相応の女の子らしい。
「そっか。それじゃあ、拓海さんとちゃんと仲直りしないとダメだよ?」
「あっ、やっぱり知ってたんですね」
苦笑いをしながら照れくさそうにする由梨ちゃん。
「まあね。拓海さんと仲直りしたくてハンバーグの作り方を習ったんでしょ? しっかりやるんだよ?」
「はい、頑張ります。お兄さんには全部お見通しなんですね」
全部と言うほどではないけど、ある程度は察しがついていた。まあ、喧嘩の理由も理由だし、すぐに仲直りできるだろう。
「でも、こうやって幸せでいると、余計に寂しくなるんですよね……」
由梨ちゃんの口から出た言葉は、プールで初めて拓海さんと知り合った時に聞いた言葉と似ていた。
「由梨ちゃん……」
「あっ、ごめんなさい。急にこんな事を話して。でも、いずれ兄さんとお別れする日が来るかと思うと…………」
由梨ちゃんの言いたい事はなんとなく分かる。けど、今の俺にはその言葉に何も言う事ができなかった。
「お兄ちゃーん。お風呂あがったよ~」
ちょうど良いタイミングと言うべきだろうか、由梨ちゃんとは色違いの空色のパジャマを着た明日香が、さっぱりとした表情で髪の毛を拭きながらリビングへと入って来た。
「おう。それじゃあ入ってこようかな。由梨ちゃん。そこのお菓子、明日香と自由に食べていいからね」
「ありがとうございます」
「明日香。冷凍庫にアイスが入ってるから、好きな物を食べていいぞ」
「ありがとう。お兄ちゃん」
俺はリビングを出てお風呂場へと向かい、そこで明日香達が着ていた洋服などを洗濯機へ入れて動かし始めた。その中に俺の着ていた洋服はもちろん入れない。
年頃の女の子は男の服と一緒に洗われるのを極端に嫌がると聞いた事があるからだ。
俗に言う、お父さんの服と一緒に洗わないでよねっ――的な感じの、女の子の心理を読み取っての行動なんだけど、もしも将来結婚をして娘ができて、その娘にそんな事を言われたら、俺は大泣きする自信がある。
そんな事をつい想像してしまい、俺は少し気分が落ち込んだ。
そしてお風呂へ入ってから二十分くらいで浴室から出た俺がリビングへ戻ると、そこにはソファーで肩を寄せ合って寝ている明日香と由梨ちゃんの姿があった。
「あらら」
なんだかこんな二人の姿を見ていると、仲の良い姉妹の様に見えるから不思議だ。そしてもしもこの二人が姉妹だったら、間違い無く由梨ちゃんがお姉さんだろう。
そんな事を思いながら俺はゆっくりと二人を起こさない様に近付き、まずは由梨ちゃんを抱え上げて明日香の部屋へと運び始めた。
年頃の女の子に触るというのは個人的に抵抗もあるけど、あのまま放っておいて風邪でもひかせたら拓海さんに申しわけない。
そして明日香の部屋へ辿り着いた俺は、明日香の使っているベッドへ由梨ちゃんを寝かせ、そっと掛け布団をかけた。
由梨ちゃんは相変わらず穏やかな表情で小さな寝息を立て、すやすやと眠っている。そしてそんな由梨ちゃんの寝顔を見ていると、拓海さんが由梨ちゃんと居て幸せだと言うのがよく分かる。
俺はそんな由梨ちゃんを起こさない様に気を遣いながら静かに部屋を出て、リビングのソファーで眠る明日香のもとへと向かった。
「んんっ……おにい、ちゃん?」
リビングに戻ってソファーに寝ていた明日香を抱え上げようとしたその時、明日香が刺激で目を覚まして上半身を起こした。
「あっ、悪い。起こしちゃったみたいだな」
「由梨ちゃんは?」
「由梨ちゃんはついさっき明日香のベッドに運んで寝せてきたよ」
「そっか……」
それを聞いてなんだか
俺はそんな明日香の隣に座り、少し話をしようと口を開いた。
「なあ、明日香。今日はちょっと変だぞ? 何かあったのか?」
その言葉を聞いた明日香は、更に口をアヒルの様にして
「明日香。お兄ちゃんは超能力者じゃないんだから、何かあるなら言ってくれないと分からないぞ?」
そう言うと明日香はチラチラとこちらを見ながら、何かを言いたそうにモジモジし始めた。
明日香が拗ねたりした時の態度は本当に分かりやすい。誤魔化すのが下手と言うか素直と言うか。だけど元が素直なだけに、何について拗ねたり怒ったりしているのかが分かり辛いタイプでもある。
普通に考えれば素直なタイプはそういうのも分かりやすいと思うかもしれないけど、実はそうでもない。なぜかと言うと、素直であるが故に何が原因でそうなっているのか――という選択肢の幅が非常に広くなるからだ。
「だってお兄ちゃん、由梨ちゃんと楽しそうにしてたから…………」
「由梨ちゃんは明日香のお友達なんだから、仲良くするのは当然だろ?」
「そうだけど……なんだか由梨ちゃんと話してる時のお兄ちゃん、凄く楽しそうだったから……」
その言葉を聞いた俺は、明日香の不機嫌の原因がなんとなく分かった。
今日の明日香が見せていた妙な態度は、由梨ちゃんと話をしている時に見られた。つまりこれは、由梨ちゃんに対するちょっとした嫉妬みたいなものだったんだろう。
「もしかして、明日香は自分より由梨ちゃんの方が俺に好かれてると思ったとか?」
俺がそう尋ねると、明日香は少し恥ずかしそうな表情を浮かべながら小さくコクンと頷いた。
「お兄ちゃんも由梨ちゃんみたいな子がいいでしょ?」
俺は隣に居る明日香の頭へ手を差し出し、その頭へポンと手を置いてから優しく撫でた。
「あっ……」
「明日香。そんなの誰かと比べても仕方ないだろ? 明日香は明日香、由梨ちゃんは由梨ちゃんなんだから。確かに由梨ちゃんはとってもいい子だけど、明日香だっていい子だ。それは比べられるもんじゃない。違うか?」
「でも……」
「う~ん……それじゃあ、由梨ちゃんにも拓海さんてお兄さんが居るけど、明日香は誰かに拓海さんと俺とを比べて、『どっちがいいお兄さん?』って聞かれたらどう答える?」
「どっちがいいかなんて言えない。だって、どっちもいいお兄ちゃんだもん」
「だろ? それと同じ事さ。俺だって比べられない。だけど明日香の事が大事なのは確かさ」
「お兄ちゃん……うん。分かった」
どうやら納得してくれたらしく、明日香はすっきりとした満面の笑顔を見せてくれる。
「さあ。もう遅いから、明日香も寝るんだぞ?」
「うん。あの……」
「なんだ?」
「あのね……今日はお兄ちゃんと一緒に寝ていいかな?」
――やれやれ。明日香は本当に甘えん坊さんだな。でも今日は由梨ちゃんに構いっぱなしだったし、今回くらいはいいか。
「分かった。それじゃあお兄ちゃんは飲み物飲んで来るから、先に部屋に行って寝てていいよ」
「うん!」
元気よく返事をし、部屋を出て行こうとする明日香。
俺はそんな明日香を見たあとで軽くリビングを片付けながら、就寝する為の準備を始めた。
「お兄ちゃん」
「なんだ? どうした?」
「明日香ね、お兄ちゃんの妹で良かった」
明日香はそう言うと、にこっと微笑んでから二階の部屋へと上がって行った。
「お兄ちゃんの妹で良かった――か……」
世の中にはもっといい兄貴がたくさん居ると思う。それでも明日香は俺で良かったと言ってくれた。それは素直に嬉しい。
俺はそんな幸せを噛みしめながら台所へと移動し、冷蔵庫の中から取り出した冷たい麦茶を口にした。急速に温まった身体に、冷たい麦茶が染み渡る感覚が心地良い。
そして麦茶を飲み終えてからリビングへと戻り、電気を消して窓のカーテンを閉める為に近付いて空を見ると、そこから僅かな星々が見えた。
星に願いを――というのがあるけど、俺もつい願ってしまう。それが無理な事だと分かっていても。この幸せがずっと続きます様に――と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます