第16話・夏休みのとある一日

 抜ける様な青空に輝く太陽が、憎たらしいほどに暑苦しい陽射しを浴びせてくる夏の昼間。せみ達が短い命を謳歌おうかしようと必死に声を張り上げている駅前通りを歩きながら、俺は視線をあちらこちらに泳がせていた。

 日本の夏は誰にとっても地獄の暑さだが、男にとっては別の意味で熱くなる季節でもある。

 昼の駅前通りにはたくさんの人が行き交い、その中でも薄手の服に身を包んだ女性は特にこちらの視線を奪う。そしていつもならそんな女性の姿に表情が緩んでしまうところだけど、今日はそんな事にうつつを抜かす気分ではなかった。


「どうしたの? 涼太君。浮かない顔をしちゃって♪」


 俺の隣には薄いピンク色の小さなハートがちりばめられた白地のTシャツに、生足が存分に見えるホットパンツ姿の女性が居る。そしてその女性は悪戯な笑みを浮かべながら、俺の顔を覗き込んでいた。

 俺の顔を覗き込んでいる女性の声はとても妖艶で、それでいて官能的な響きをしている。

 俺より高い身長、スラリと伸びた長い手足、ほどよく引き締まった腰のくびれ。着ているTシャツのサイズが小さいからか、その豊満な胸とボディラインが更に強調され、尚且つヘソ出しスタイルという姿。

 そしてその見事なまでの容姿とはアンバランスとも思える金髪のツインテール。だがそのアンバランスさが良い意味でのギャップを生み出しているのか、近くを通り過ぎて行く男性の視線、更には女性の視線すらも見事に奪っている。


「なんて言うか……どうしてこうなったと思ってさ……」


 疲れた吐息をふうっと吐きつつ、隣に居る女性を横目で見る。

 本当ならこんな女性と並んで歩けるなんて天にも昇る気持ちになるんだろうけど、その正体が分かっている以上、そんな気分にはならない。


「溜息なんて吐いてないで、もっと楽しそうにしてよ。ね? 涼太君♪」


 その女性は俺の腕に自分の腕を絡ませ、身体をり寄せてきた。

 俺はそんな行動に思わずドキッとしてしまったけど、それは俺がまだ純情であるからだと信じたい。


「た、楽しむって言ってもなあ……それよりサクラ。本当に明日香の方は大丈夫なのか?」

「もうー。涼太君は本当に心配性だなあ。そんなんじゃ近い将来に頭が禿げちらかっちゃうよ?」


 サクラはクスクスと笑いながら俺の頭を見つめた。


 ――コイツ、何気にじいちゃんがツルツルだったから気にしてる事を……。


「まあ冗談はともかくとして、明日香なら大丈夫だよ。あっちの天生神はまだ新人だけど、とっても真面目で優秀な子だから」


 由梨ちゃんが泊まりに来た日から二日後の今日。

 今度は明日香が由梨ちゃんの家へ泊まりに行く事になり、既に朝から由梨ちゃんと共に出掛けている。

 あれから拓海さんと由梨ちゃんは無事に仲直りができたみたいで、昨日の晩に拓海さんからお礼の電話がかかってきた。その時に『今回のお礼がしたい』と拓海さんに言われ、今度は明日香をお泊りに招待してくれたわけだ。

 ちなみに拓海さんと由梨ちゃんが喧嘩をした理由だが、朝食の目玉焼きに醤油をかけるかソースをかけるかで喧嘩になったらしい。喧嘩の理由としては本当にしょうもない理由だけど、まあ喧嘩なんて第三者からすれば大概たいがいしょうもない理由なのがほとんどだ。

 兎にも角にもそういった経緯があって今日は明日香の初外泊なのだが、なぜか見守り役のサクラはこうして俺の隣に居るわけだ。


「その、――ってのが、とてつもなく不安を掻き立てるんだよな」

「もーっ! それってどういう意味よ!」


 不満そうに口を尖らせるサクラ。

 そりゃあ普段のサクラを見ていれば不安にもなる。そもそもまともに仕事をしてるのかさえも怪しいのだから。

 俺は天生神の仕事がどんなものかを詳しくは知らないけど、それでも俺が普段目にするサクラは、寝ているか何かを食べているかの頻度が非常に多い。そしてその合間に散歩と称してどこかへ行っているわけだが、それすらも何をしているのか分からない。

 そう考えると、俺がサクラについて知っている事などほぼ皆無かいむと言っていい。まあ、由梨ちゃん側に居る天生神がどんな人物かは知らないけど、今回は拓海さんも由梨ちゃんも一緒に居るんだから、そこまで心配する必要は無いだろう。


「今日は私が涼太君にお礼をする為にこうしてるんだから、楽しんでくれないと困っちゃうよ」

「わ、分かったから! 身体をり寄せるなって!」


 そう、今日はサクラからのお礼と言う事で、俺達は一日デートなるものをしようとしている。だがもちろん、女の子とのデートなどゲーム以外ではした事が無い俺は、このデートにはかなり抵抗があった。

 そもそもなぜサクラとデートをする事になったのかと言うと、それは以前、明日香が小学校に通いだしてからしばらくした頃に起こった出来事が原因になる。

 あの時はサクラが風邪をひいた事が切っ掛けで、俺は明日香と一緒に天界のある場所へと行く羽目になった。その時は明日香へ甚大じんだいな影響が出ると聞いたので天界へ行く事を決意したわけだが、風邪が治ったサクラからあとでちゃんと話を聞くと、実は俺の命も危なかったかもしれないと聞かされた。

 細かい説明はこの際省くが、要するにサクラは明日香最大のピンチから救ってくれたお礼をしたいという事で、現在こうなっているわけだ。


「涼太君。あそこでちょっと休もうよ」


 ペチャクチャと話すサクラの話を聞きつつ歩いていると、急に立ち止まってワクワクバーガーがある方を指差した。


「ああ、いいね。行こうか」


 今日は明日香が由梨ちゃんと出掛けてからサクラに付き合っているから、その提案には素直に頷いた。


「ああー。涼しい~」


 店内に入ると、サクラは開口一番そう言い放った。


「あれっ? サクラって確か、寒さとか暑さを自分で調節できなかったっけ?」

「ん? 確かにできるけど、今は無理なんだよね。この状態になるだけでも結構力を使っちゃってるから」

「ふーん。そういうもんなんか」


 いつもは小さな妖精として飛び回っている奴が、こうやって普通の人間サイズになるというのは、相当に不可思議な力が働いているというのは想像できる。

 注文をする為に並んでいた列が進み俺達の順番が来た時、俺はサクラに何を注文するかを聞こうとしたんだけど、サクラはそんな俺を押し退け、とても手慣れた感じで店員さんに注文を始めた。

 この際だから、サクラがなぜ手馴れているかという事については目を瞑っておこう。面倒だから。


 ――それにしてもサクラさん。俺に意見も聞かずに俺の分を注文するってどういう事ですか? 俺の意見は聞く必要が無いって事ですか?


 働いている店員さんが優秀だからか、サクラが注文した品は五分も経たずに揃い、俺はサクラと共に二階席へと移動をした。

 移動した二階席もやはり夏休みだからか、たくさんのお客さんで混み合っている。しかしサクラは目ざとく二人席を見つけ、そこに素早く陣取った。


「さあっ! 遠慮無く食べてねっ!」


 目の前にはにこにこと満面の笑みを浮かべるサクラと、この夏ワクワクバーガーが出したなバーガーがそびえ立っている。その高さたるや、ゆうに三十センチはあるだろうか。


「遠慮無くはいいんだけど、全部は食べられないと思う」


 そんな俺の言葉を聞いているのか聞いていないのかは分からないが、サクラは夢中で目前のセットメニューに舌鼓を打っていた。

 そんなサクラを見て小さく溜息を吐いた俺は、とりあえずせっかくのおごりだからと、目前のタワーバーガーに手を伸ばす。

 しかしこのでかさのバーガーってのは、どこから口をつけていけばいいのか正直分からない。手に持って食べるのは不可能だから。だから仕方ないので、俺は上の段からちまちまと剥がしつつ食べていく事にした。


「――それにしても、あの時は本当に助かったよ。涼太君には感謝してもしきれない」


 俺がようやくタワーバーガーの半分ほどを食べ終えた頃、サクラが不意にそんな事を言ってきた。


「まあ、色々と大変だったのは確かだけど、もう終わった事なんだから、そんなに気にしなくていいと思うけどな」

「うん。私は明日香と涼太君を不幸にしなくて済んだよ。ありがとう」


 そのしおらしい様子は普段のサクラとは全然違い、少し戸惑ってしまう。

 サクラにはサクラなりの気苦労があるという事なんだろう。だけどそのすべてを察してやれるほど、俺が大人ではないのがなんだか虚しい。


「あれっ? 涼君?」


 ザワザワと騒がしい店内において尚、しっかりと耳に届く美しいソプラノ声。


「こ、琴美!?」


 その声に横を向くと、そこにはセット商品が乗ったトレーを持つ琴美が居た。


「おっ、これは面白い展開になりそう♪」


 向かいの席では、なにやら小さく不穏な発言をしながら怪しげな笑みを浮かべているサクラ。

 こうして俺の夏休みの午後は、暗雲立ち込める様相を見せ始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る