第9話・初めてのお買い物

 明日香の行方不明騒動から数日後。

 学園から帰った俺は明日香とサクラと白い仔猫を連れ、自宅から一番近い場所にあるペットショップへと向かっていた。

 そんな中、俺は夕陽が沈んで行く風景を眺めつつ、視線を隣に居る明日香へと向けた。隣に居る明日香は仔猫を優しく抱き抱えたまま、とても明るい笑顔で歩いている。

 そしてサクラは明日香の右肩に座り、仔猫はそんなサクラをじっと見ている様に感じた。

 よく動物は人間に見えないものが見えると聞くけど、もしかしたらこの仔猫には、サクラの姿が見えているのかもしれない。

 まあ、それはともかくとして、明日香がこうやってある程度平然と外を出歩ける様になったのは、この仔猫のおかげだと思う。


「えっと……確かこの辺りだったはずだけどなあ……」


 おぼろげな記憶の中にあるペットショップを探す為、俺は辺りを見回した。


『涼太君。あれじゃないの?』


 まるですぐ近くで喋っているかの様にして聞こえてくるサクラの声。

 その声にサクラが居る方を見ると、道路の向かい側の奥を指差していた。


「あっ、あれだあれ!」


 目的地であるペットショップを見つけた俺達は、近くの信号機付き横断歩道まで移動を始めた。するとちょうど多くの人達の帰宅時間と重なっているからか、横断歩道のこちら側にもあちら側にも、沢山の人が信号待ちをしているのが見えた。


「お兄ちゃん。信号変わったよ?」

「あっ、悪い悪い」

「早く行こう! お兄ちゃん」


 明日香は初めてのペットショップに行くのが楽しみで仕方ないらしく、家を出てからずっと、ソワソワと落ち着かない様子だ。

 そして青信号の横断歩道を渡ってから目的のペットショップへ入ると、店内は外観で見たイメージとは違ってかなり広く感じ、同時に店員さん達の『いらっしゃいませ』という声が至る所から聞こえてきた。


「さてと。とりあえず餌から見るべきかな――って、あれっ!?」


 明日香が居た方を見るとそこには既に明日香の姿は無く、俺は慌てて店内を捜し始めた。だが、そんな明日香の姿は、ものの一分もしない内に見つかった。


「わあー♪ 小さーい♪」


 ご機嫌な様子で明日香が釘付けになっていたのは、仔猫や仔犬が居るコーナーの一角だった。

 そしてその一角に居る明日香は、少しの汚れすらも感じさせないキラキラとした瞳で小さな動物達を見ている。


『サクラ。聞こえるか?』

『はいはーい! 感度良好ですよー!』


 サクラも動物が好きなのか、明日香と同じくテンションが高い。


『俺は必要な物を見て来るから、サクラは明日香を見ててくれないか?』

『アイアイサー! 了解でありまーす!』

「さてと。とりあえずは餌コーナーだな」


 元気なサクラの返事を聞いたあと、俺は天井からぶら下がっているコーナー案内のプレートを見ながら目的のコーナーを探し始めた。


「おっ。ここだここだ」


 探していた猫の餌コーナーはわりとすぐに見つかり、俺は一通りどんな物があるのかを見て回り始めた。

 餌に仔猫用や成猫せいびょう用があるのは知ってたけど、それでもかなりの種類がある。目移りする程の種類がある餌を前に、俺はかなり悩んでいた。正直、どれを選べばいいのかさっぱりだったからだ。

 相手が人間なら、『どれを食べたい?』と聞けば済む事だけど、相手が猫ではそうもいかない。

 そして俺は、あれやこれやと猫の餌が入った袋を手にとっては悩むを繰り返した挙句あげく、もういっそ仔猫の前に商品を突き出してどれに近寄って来るかで決定しようかな――などと、わりと本気で考えてしまっていた。

 そして散々悩んだ結果。俺は手に持っていた餌を棚に戻し、とりあえず明日香の居る場所へ戻ってみる事にした。


「おっ!」


 明日香が居たコーナーの近くまで戻って来た時、女性店員さんが明日香に話し掛けているのが見え、それを見た俺は少しだけ近寄ってその様子を見守る事にした。


「可愛い仔猫ちゃんね」

「う、うん……」


 明日香の視線の高さに合わせて話をしている店員さん。その口調はとても優しげで、感じの良さそうな人だ。


「動物は好き?」

「うん……好き……」


 明日香は仔猫を抱き締めながら、必死の様子で答えている。ようやく他人に慣れ始めたとは言え、仔猫が居なかったら逃げ出していたかもしれない。


「今日はね、動物と触れ合えるコーナーがあるんだけど、良かったら来てみないかな? 可愛い動物がいっぱい居るよ?」

「いいの?」

「もちろん。行ってみる?」


 その言葉に明日香は表情を明るくしながら、コクンと大きく頷いた。

 俺は店員さんが明日香を案内する様子を見ながら、ゆっくりとそのあとを追った。

 そして辿り着いた動物触れ合いコーナーには沢山の小さな犬や猫が居て、それぞれ区切られた柵の中で元気に遊んだり寝たりしている。すると店員さんは明日香が抱いていた仔猫を預かり、明日香は柵の中へと恐る恐る入って行く。


「わあー♪ ふわふわ~♪」


 毛の多い仔犬を優しく触りながら、明日香はとても嬉しそうにしている。

 俺はその様子を柵の近くまで来て見ていた。

 それにしても、なんて活き活きとした表情だろうか。こうして楽しそうに動物とたわむれている明日香が幽霊だなんて、とても信じられない。


「お兄さんですか?」


 そんな事を思いながら明日香を見ていた俺に、明日香を案内してくれた優しい雰囲気の店員さんが話し掛けて来た。


「はい。よく分かりましたね」

「あの子を見ている表情が、お兄さん――って感じに見えたんですよ」

「ありがとうございます」

「今日はお買い物ですか?」

「はい。その仔猫を飼う事にしたんで餌とか色々な物を見に来たんですけど、種類があり過ぎてどれを買っていいのか迷っちゃって」

「そうだったんですね。それでは妹さんが戻られたら、ご一緒に必要な物選びをお手伝いしましょうか?」

「いいんですか?」

「もちろんです」


 にこやかな笑顔でそう言ってくれる女性店員さん。これが大人の魅力というものだろうか。とても心地良い包容力を感じる。

 そしてそんなやり取りから約十分後。

 俺は戻って来た明日香と店員さんと一緒に必要な餌や飼育道具などを選んで回った。一人で選ぼうとしていた時とは違い、流石はペットショップの店員さんが居ただけあって、必要な物が揃うまでにそう時間はかからなかった。

 そして選んだ商品をカゴに詰め込んでレジへと向かう途中。仔猫が明日香の腕の中から飛び下り、目の前にあった商品にじゃれつき始めた。


「何してんだ?」

「これが欲しいのかな?」

「なるほど。それじゃあ、これも買うか」

「こちらは犬用のリードになりますが?」

「はい。でもいいんです。なんだかコイツが気に入ってるみたいなんで」


 俺は仔猫がじゃれついていた犬用のリードをカゴに入れ、再びレジへと向かって歩き始めた。そして仔猫は明日香に再び抱き抱えられ、満足したかの様に大人しくなった。

 こうして会計を終えたあとで色々と親切にしてくれた店員さんにお礼を言い、俺達は店を出た。

 そしてペットショップからの帰り道。ご満悦の様子で仔猫を抱き抱える明日香に、俺は大切な話を始めた。


「明日香。そろそろ仔猫の名前を決めないか?」

「名前?」

「ああ。さすがにずっと名前が無いのは可哀相だろ?」


 明日香は俺の言葉に進めていた足を止め、真剣に考える様子を見せたあとで口を開いた。


「…………小雪こゆき」 

「こゆき?」

「うん。小さな雪で小雪。どうかな?」


 何でそういう名前が候補として出てきたのかは分からないけど、明日香がそれでいいなら俺は構わない。


「小雪か。うん、いいと思う。よし、お前の名前は今日から小雪だ。分かったか? 小雪」

「にゃーん♪」

「小雪か……」


 その時、俺の後ろで飛んでいたサクラの呟きがかすかに耳へ届いた。

 後ろを振り向かなかったからその表情は分からないけど、なんとなくその声音こわねには、悲しさの様なものを感じた。

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