第8話・頑張りの空回り
気だるく感じる月曜日の授業も終わった夕方。
学園から帰った俺は、自室の机の上にある小さなベッドの上でぐっすりと寝ているサクラを横目に見ながら私服に着替え、急いで明日香の部屋へと向かった。
「明日香。夕食を作る前にいつもの散歩に行こうか」
明日香の部屋の前に立ち、ドアをノックしてからいつもの様に声を掛ける。
いつもならすぐ明るい返事と共に元気良く明日香が出て来るんだけど、今日は出て来るどころか返事すらない。
「明日香? 居ないのか?」
再びドアをノックして名前を呼んでみるが、やはり明日香からの反応は無い。
「開けるぞ?」
明日香からの反応が無い事に心配になった俺は、とりあえずそう言ってからゆっくりとドアノブを回して扉を押し開け、顔だけを扉の隙間から出して中を覗き見た。すると覗き見た部屋の中に明日香の姿は無く、ベッドの上には綺麗にたたまれたパジャマがあるのが見えた。
それを見た俺は明日香が別の場所に居ると思い家の中を捜し回ったが、結果としてどこを捜しても明日香の姿を見つける事はできなかった。
そしてその事に嫌な焦りを感じた俺は、自分の部屋で呑気に寝ているサクラを起こしに向かった。
「起きろサクラ! 明日香がどこにも居ないんだ!」
「ほへっ!? あしゅかがいない?」
俺の声で目を覚ましたサクラは寝ぼけているのか、
「ちゃんと目を覚ませサクラ! 明日香が居ないんだよ!」
「えっ? 何で?」
「それが分からないからサクラに聞いてるんじゃないか!」
「わ、分からない……」
「どういう事だよっ! サクラは見守りが役目なんだろ!? だったら何でちゃんと見てないんだよ!」
サクラの無責任な言葉を聞いた俺は一気に頭へ血が上ってしまい、早口でサクラを責め立てたあとでそのまま玄関へと走った。
「明日香の靴が無い」
さっきは明日香が外に行ったという可能性を考えてなかったから、明日香の靴があるかどうかなんて確認していなかった。
そして状況的に明日香は一人で家の外へ出て行ったのだと確信した俺は、急いで外に出て玄関の鍵をかけ、夕陽が沈んでいく街中へと飛び出した。
「――ハァハァ……くそっ、いったいどこに行ったんだ?」
携帯の時計を見ると十八時を過ぎていて、家を出てから既に二時間くらいが経っていた。あれから俺は色々な場所を捜し回っているけど、未だ明日香を見つけるには至っていない。
しかし、それもそのはず。俺は何の当ても無く、ただひたすらに、がむしゃらに捜し回っているだけだから。
こうしていると、見当をつけて捜せばいいのに――とか思われそうだけど、そもそも明日香は一人で外を出歩けなかったんだから、行きそうな場所の見当なんて想像がつかない。
辺りは既に夜の
しかし過度な焦りは冷静な判断を鈍らせる。だから俺は落ち着く為に大きく深呼吸をし、もう一度冷静に考えを巡らせていく。
――よく考えろ……明日香は一人で外を出歩けなかったんだ。てことは、家から遠くに行った可能性は低い。捜すならやっぱり家から近い場所だ。
「…………もしかしてあそこなら」
俺は一つだけ明日香が居そうな場所を思いつき、急いでその場所へと向かった。
「――ハァハァ」
急いでやって来たのは、自宅から五分くらいの位置にある公園。
かなり急いで走ったせいか、俺は目的地の公園前に着くと息切れで苦しんだ。
俺はとりあえず息を整える為に下げていた頭を上げ、深呼吸を始める。そして何度か深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いたところで公園の中へと入った。
公園の中には砂場が一ヶ所、ブランコが二つ、高さの違う鉄棒が三つ、そして滑り台といくつかの穴が開いたドーム型の遊具が一つあり、俺は迷う事なくドーム型の遊具がある方へと向かった。
「にゃーん」
穴の開いたドーム型の遊具に近付いて行くと、そこに開いている穴の中から猫の高い鳴き声が聞こえてきた。
俺はその声に導かれる様にして進み、いくつか空いている穴の一つから中を覗き込んだ。
「お兄ちゃん……怖いよぉ……」
「にゃーん」
穴の中へ顔を突っ込んで中を覗くと、別の穴から電灯の光が射し込む場所に白く小さな猫を抱いた明日香が居た。
「明日香」
「お、おにい……ちゃん?」
「まったく、こんな所に居たのか。かなり捜し回ったんだぞ」
「お兄ちゃーん!」
穴から顔を覗かせていた俺の方へ、明日香が白猫を抱いたままやって来る。
そしてドームの低い位置に開いている穴から出て来ると、白猫を放してから俺に飛び付いて来た。
「怖かったよぉ……」
「よしよし。もう大丈夫だから」
泣きじゃくる明日香の頭を優しく撫でていると、明日香が抱いていた小さな白猫が俺達の方へと近付いて来た。
「明日香と一緒に居てくれてありがとな」
近くまで来た小さな白猫を見ながらお礼を言うと、その白猫は俺達を見上げながら『にゃーん』と優しげに一鳴きした。
「明日香。どうして一人で出掛けたりしたんだ?」
「あのね。今日、テレビで見たの……」
「何を?」
「遊園地……みんな楽しそうにしてた。だから早くお兄ちゃんと一緒に行きたかったの……」
「そっか……でも明日香。頑張るのは良い事だけど、周りに心配をかけるのは駄目だぞ?」
「ごめんなさい。お兄ちゃん……」
「よし。お兄ちゃんとの約束だ。明日香、小指を出して」
「えっ? うん」
不思議そうに小首を傾げる明日香が差し出した小指に、俺は自分の小指を絡ませた。
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます、ゆーびきった!」
明日香は俺がしている事を見ながら、ポカンとした表情を浮かべている。
「これはな、大切な約束をした時の誓いなんだ」
「大切な約束?」
「そうだよ。これはお兄ちゃんと明日香の大事な約束だ」
「うんっ!」
そう言うと明日香は、笑顔で大きく頷きながら返事をした。
居なくなった時はかなり焦ったけど、とりあえず何事もなくて良かった。
「涼太君! 明日香を見つけたんだね!」
明日香を無事見つけられた事に俺が安堵していると、空に浮かぶ半月がある方からサクラが飛んで来た。
「遅いぞ、サクラ」
「ごめんなさい、涼太君。私がしっかりしてなかったから……」
いつもはお気楽極楽なサクラだが、今回ばかりはさすがにしおらしい。
しかしいつもお気楽な奴がこんなだと、こっちが拍子抜けしてしまう。
「サクラも明日香を捜してくれてたんだろ? ありがとな。それと、さっきは俺も言い過ぎたよ。ごめん」
「涼太君……」
「サクラ。ごめんなさい」
「ううん。こっちこそごめんね、明日香」
「さあ。腹も減ったし、帰ろう」
「にゃーん……」
「ねえ、お兄ちゃん。この猫、連れて行っちゃ駄目?」
明日香はちょっと寂しげに鳴いた仔猫を見ると、その仔猫を抱き上げてそんな事を聞いてきた。
「明日香。この猫はどこに居たんだ?」
「あそこの箱の中に居たの」
明日香が指差す場所には、小さめのダンボール箱が置いてあった。
見たところ仔猫には首輪も付いてないし、どうやら捨て猫らしい。
「うーん……」
「連れて行っちゃ駄目?」
両手で仔猫を抱いた明日香が、瞳を潤ませながらもう一度俺にそう聞いてくる。
ここで簡単に『いいよ』と言ってしまうのはどうかと思うけど、こんな表情を見せられては駄目とも言い辛い。
「……お前、ウチに来るか?」
「にゃん!」
明日香に抱き抱えられた仔猫に向かってそう問い掛けると、その仔猫は即座に元気な鳴き声を上げた。
「ウチに来たいってさ、明日香」
「連れて行っていいの?」
「ああ」
「ありがとう! お兄ちゃん!」
嬉しそうにしながら仔猫を抱き締める明日香。
そんな明日香に抱き締められ、仔猫もなんだか嬉しそうにしている様に見えた。
「良かったね、明日香」
俺の右肩にちょこんと座り、サクラも微笑ましそうにしている。
「だけど明日香。ちゃんと面倒を見るんだぞ?」
「うん! 分かった!」
こうして明日香の行方不明騒動は終わり、この日から我が家に新しい家族が増えた。
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