第7話・目標への道は遠く険しく

 明日香が小学校四年生レベルの学力を身に付けてから更に二週間。暦はもう六月の上旬を迎えていた。

 そして驚くべき事に、明日香はもう小学校六年生レベルの学力を身に付けている。これははっきり言って凄いとしか言い様がない。

 明日香の集中力と理解力は、まさに天才的才能と言えるだろう。もはや疑う余地も無く、明日香は小学校に行けるレベルをクリアしている。

 だから本当なら、明日香には『おめでとう』と言ってあげるべきなんだろうけど、残念ながら現実はそこまで甘くない。


「大丈夫か?」

「う、うん……」


 休日のお昼時。

 俺は明日香と一緒に外を散歩していた。季節的にはそろそろ暑くなり始める時期だけど、今日はまったりと散歩するにはちょうどいい気温だ。

 しかし実際は、まったり散歩と言った感じではない。

 明日香は俺の右腕をガッシリと両手で包み込み、ピッタリと密着する様にして歩いているからだ。


「明日香。しっかり目を開けて歩かないと危ないぞ?」

「わ、分かった……」


 俺の背後からひょこっと顔を横に出し、片目だけを開いて周りを見る明日香。その様はまるで、お化け屋敷に来た子供の様に見える。


「ううっ……」


 どうも明日香は俺とサクラ以外の人物には耐性がまったく無いみたいで、他人が近くを通ったり視線を向けられるだけで恐がっていた。

 こんな調子では、学校へ行く事など到底できない。よく分からないけど、これが対人恐怖症ってやつなんだろう。今の明日香にとって、学校へ行く為の最大の問題はこれだ。


「きゃっ!?」


 横を通り過ぎた人物と視線が合ったらしく、明日香は声を上げて再び俺の背中に隠れた。


「……今日はこれくらいにしておくか」

「うん……」


 後ろからしょんぼりとした小さな返事が聞こえたあと、俺達は歩いて来た道を逆戻りし始めた。

 そしてその帰り道でも、明日香は俺の背後で縮こまったまま決して他を見ようとはしなかった。


× × × ×


 この日の夜。

 明日香が就寝したあとで、俺はいつもの様にパソコンで妹系ギャルゲーをしていた。


「なあ、サクラ。ちょっと聞きたい事があるんだけど」

「なーに? 涼太君。スリーサイズとエッチな質問以外ならいいよ?」


 サクラは俺がこの手の発言をすると、毎回必ずこう返してくる。

 俺は毎回サクラのこの言葉を無視して話を進めているんだけど、これってもしかして、スリーサイズを聞け――っていう振りなんだろうか。


「明日香の事なんだけどさ、サクラはどうしたらいいと思う?」


 とりあえず今回もサクラの言葉を無視して話を進める。多分、聞いてもまともに答えないだろうし、別に興味も無いから。

 机の上に座っているサクラには視線を向けず、マウスを動かしてカチカチとクリックする。


「さあ? それを考えるのは涼太君の役目だからね」

「さいですか……」


 一瞬だけ視線をサクラへ向けると、このお気楽極楽妖精は、どこで用意したのか分からない飲み物が入った自分サイズのカップを片手に、にこにことした笑顔でゲームの進行を見ていた。


「ねえ、涼太君。これって遊園地だよね?」


 サクラはパソコン画面を見ながら、もう片方の手で俺の腕を掴んで揺らしてくる。


「ああ。これは遊園地イベントだからな」

「ふーん。これが遊園地なんだね」

「何だ? 遊園地を知らないのか?」

「情報として知ってるくらいかなあ。見守り隊をしてたら、こういう場所に行く機会ってほぼ無いから」


 サクラのこの言葉は、俺にとっては結構意外だった。

 色々な場所へ自由に飛んで行けるんだから、こっそりと遊園地に行って楽しむくらいの事はできそうだから。


「わあ。綺麗な絵」


 俺はサクラと会話をする間も、ゲームのイベントを進めていた。

 パソコンの画面上には、主人公とヒロインが観覧車から夕焼けを眺めているイベントのクライマックスシーンが映し出されている。こういったゲームにはよくある王道イベントだ。


「わーお♪ これは凄いね」


 新たに表示されたイベントCGを見て、サクラが声高らかに立ち上がる。

 パソコン画面には主人公とヒロインが夕焼け空の観覧車でキスをしているシーンが映し出されているんだけど、いつもは一人でこういったシーンを見ていたのに、目の前でサクラが興奮している様子を見ていると、感情移入も何もあったもんじゃない。


「サクラ。ちょっと落ち着けよ。明日香が目を覚ますだろうが」

「あっ、ごめんごめん♪」


 ペロッと小さく舌を出し、自分の手で軽く頭をコツっと叩くサクラ。


 ――なんだろう。ゲームやアニメではよく見る可愛い仕草なのに、実際に目の前でやられると結構イラッとくるな……。


「ねえ。涼太君も琴美ちゃんとチューがしたいんじゃないの?」

「なっ、何だよ急に!?」

「急にも何も、涼太君は琴美ちゃんの事が好きなんでしょ?」


 ニマニマとしたいやらしい笑顔を浮かべながら、サクラは俺の目の前へ飛んで来た。


「な、何の事かなあ?」

「コ・イ・ツー♪ 誤魔化すなよ~♪」


 俺の頬をツンツンと突きながら、ニンマリと口をアーチさせてサクラは茶化してくる。


「な、何で俺が琴美を好きだと思うんだよ?」

「そんなに誤魔化さなくてもいいって。この前デパートで会った時に、涼太君が心の中でそう言ってたわけだし」

「はあっ!?」


 その言葉に驚き、俺は思わず目の前に居るサクラを両手で鷲掴わしづかみにした。


「ちょ、ちょっと! 何するの!?」

「こここ心の中で言ってたって、どどどどういう事だよっ!?」

「りょ、涼太君落ち着いてー! 身体が潰れちゃうよ!」

「お兄ちゃん。何を騒いでるのぉ?」


 唐突に開けられたら部屋の扉から、眠そうに目を擦りながら明日香が入って来た。

 そしてそれを見た俺は、慌ててサクラをベッドに向かって放り投げた。


「きゃっ!?」

「わ、悪い。うるさかったか?」

「うん。あれ? サクラどうしたの?」


 投げられた衝撃が強かったのか、サクラはベッドの上で伸びていた。そんなサクラを見て、寝ぼけまなこの明日香が首を傾げる。


「あ、ああ。ちょっとサクラと騒ぎ過ぎたんだよ。ごめんな、明日香」

「二人で遊んでたの? ずるい……明日香も一緒に遊びたい」


 そう言って不満げに頬を膨らませる明日香。最近は本当に表情が豊かになってきた。


「違う違う。別に遊んでたわけじゃないんだよ」


 そう言って明日香の背中を押して部屋まで送ろうとすると、不意に明日香が後ろを振り返って机の上のパソコンを見た。


「お兄ちゃん。そのゲームって面白いの?」

「えっ!?」


 明日香からのこの質問は、どう答えていいのか非常に困る。

 もちろん俺にとっては凄く楽しいんだけど、明日香いもうとの前で妹系ギャルゲーが面白いと言うのはさすがにヤバイと思う。


「あー、ほら。もう遅いから、良い子は早く寝ないと。なっ!」

「う、うん」


 俺はちょっと強引に明日香の背中を押し、明日香の部屋へと連れて行く。

 そして明日香をベッドに寝かせて部屋を出ようとしたその時、明日香が急に俺の服を掴んできた。


「どうした?」

「お兄ちゃん。私、頑張るね」


 明日香はにこやかな笑顔を見せながらそう言った。

 それはきっと、早く外に一人で外へ出られる様になるね――という意味なんだろう。


「ああ。でも、無理はダメだからな?」

「うん」


 ――よしよし。いい返事だ。


 明日香のこういったところは本当に素直でいいと思う。世の中のひねくれた老若男女の手本にしてもらいたいくらいだ。まあ、俺もその内の一人だろうけど。

 そんな事を考えている自分を冷静に分析すると、俺が世間で言うところのシスコンになってきているみたいで、時々恐ろしくなる。


「あ、そうだ。一人で出掛けられる様になったら、ご褒美にお兄ちゃんが遊園地に連れて行ってやるぞ」

「遊園地?」

「ああ。とっても楽しい場所だ」

「分かった。頑張るね!」


 嬉しそうな表情を見せる明日香を見たあと、俺はお休みと言ってから部屋を出た。


 ――明日香と遊園地か。ちょっと楽しみが増えたな。行く時はついでだから、サクラも連れてってやるかな。


 部屋に戻った俺はまだベッドの上で伸びたままのサクラを、サクラ自身が作ったベッドが置いてある机の上ヘ移動させて寝かせ、ゲームをセーブしてからパソコンをシャットダウンした。

 俺はパソコンの電源が切れた事を確認してからベッドへ移動して寝そべり、リモコンで部屋の灯りを消してから瞳を閉じた。するとそれなりに疲れていたからか、眠りにつくのにさほど時間はかからなかった。

 そしてこの日、俺は夢を見た。懐かしくて嬉しくて、それでいて悲しい夢を。

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