4-7

 クリスマスが過ぎ、今年も残すところ二日となった朝。

昨晩は上手く眠ることが出来なくて、寝不足気味な重い体を起こしてカーテンを開ける。

 まさか、こんな風に年末を過ごすことになるなんて思いもしなかった。今年もギリギリまで働いて、狭いアパートの一室で一人今年残された時間を過ごすものだと思っていた。

 机の上に置かれた携帯電話に手を伸ばす。メッセージが一件届いていて、送り主は鳴海達也、メッセージはあっさりしたもので「十時半くらいに駅に着くはず」とそう書かれている。僕はそのメッセージに「待っている」と返事をし、朝食を食べて出かける支度をすることにした。

 コートを着て、マフラーをして玄関を出る。冬の風に乗って眠気は飛んでいき、僕は駅へと歩いて向かう。

 またこうして三人であの学校に集まる時が来るなんて想像こそしても現実には起こり得ないことだろうとばかり考えていた。でも、それが今日現実のものになろうとしていて、正直な所夢でも見ているのかと思えるほどだった。

 タイムカプセルを掘り起こす。そして、もう一度みんなで手紙を埋める。彼女にそんなメッセージを送ったところ、「じゃあ、三人で掘り起こしに行こう」という返事がすぐに届いた。

 三人というのは言うまでもなく僕、彼女、鳴海のことで、どうやら彼女も鳴海もタイムカプセルを掘り起こしてはいないらしかった。

 僕はてっきり成人式の日にすでに掘り起こしたものだと思っていたのだが、実際の所はまだ掘り起こしていないということだった。彼女から送られてきた「掘り起こすのなら、やっぱり三人揃った時じゃあないと」という文面を見た時、僕は一度「ごめんね」と打った後、その言葉を消して「ありがとう」と返事をした。

 鳴海には彼女が連絡をしてくれて、それから怖い位にあっけなく十二月三十日にタイムカプセルを掘り起こしに行くことが決まった。

 こんなにも簡単なことだった。それなのに僕は再び三人で集まることは叶わない夢のようなものだと思っていた。


「…………」


 鳴海はどう変わっただろう。彼女からの話によると、鳴海は高校を卒業した後、中学の時に語っていた通り体育、健康系の学部に進学したらしく、大学を卒業した後はこちらの企業に就職して働いているらしい。

 ほんの少し、鳴海と再会するのが怖い。数年ぶりに再会する友人に何と声をかければいいのか分からない。「久しぶり」「元気にしていましたか」「変わらないね」「変わったね」「急にごめんね」「来てくれてありがとう」そんな風に、水面へ向かう水中の泡みたいに言葉は浮かんでくるけれど、しかしどれも適切じゃない気がしてしまう。

 商店街を抜けて小さな駅へ。木造のベンチに座り、冬の空を見上げる。

 鳴海と彼女は、あの後どうなったのだろう。

 後悔が一つ。とても大きな後悔。僕の胸には淡い青春の欠片のようなものがずっと刺さっている。

 忘れてしまいたいけれど、きっと忘れることなど出来ないだろう。

 中学生であった僕は、早々にこの町を離れて遠くの音楽科のある高校へ進学することに決めていた。進路について、言うまでもなく彼女や鳴海に話をする機会はあって、僕がこの町を出て行くという話をした時に二人が浮かべた表情を僕は未だ的確に言葉にすることが出来ない。

 彼女と鳴海は同じ高校へ。僕は遠く離れた高校へ。僕達はずっと一緒に居たから、いつかこうして離れ離れになることなど全く考えていなかった。彼女は驚いた表情をした後、顔一瞬曇らせて、頬を掻きながら微笑んだ。鳴海は驚いた後、クシャリと笑って「応援してる」と僕の背中を叩いた。

 思春期特有の凝り固まった意地を持ち、本当に望んでいること、夢と現実の的確なバランスの取り方を知らなかった僕は、そのまま何かに追い立てられるように進学先を決め、そうしてこの町を出て行ったのだ。

 僕は彼女や鳴海とは違うから。僕は二人のように頭は良くないし、人付き合いも上手くはなくて、とにかく僕も、僕だけにしか出来ないものを、これさえあればいいと思えるものを求めていた。

 本当は彼女や鳴海と離れたくはなかった。許される限り、ずっと一緒に居たかったのだと思う。でも、僕はそうすることが出来なかった。自分自身でも分からない意地のようなものと、ピアノに対する執着と、僕自身が持ち合わせている情けない性格がそうさせたのだ。

 素直に言葉にすることが苦手だった。子供の頃は自分の発言にあれこれと悩むことなどなかったのに、いつの間にかじっくりと考えた上で、それでいて足元を一つ一つ確認するかのように言葉を発するようになった。

 そう言った点で、音楽は僕にとって万能であったのは確かだろう。僕は口下手だから、その代わりに音楽に伝えたいことを込める。

 最初で最後。そんな捻じれた思いの掃きだめとして、僕は中学を卒業する前に曲を作った。別れの手向けとして、曲を作った。

 でも、結局その曲が実際に音となって響き渡ることはなかった。

 卒業式の後、僕は二人を音楽室に誘おうと、黒板にデカデカと「卒業おめでとう!」なんてカラフルに書かれた教室に足を向けた。

 そこには在校生から受け取った花束を抱える彼女と鳴海の姿があった。

 僕にとって、音楽が最大限出来る感情を伝える手段で、「今までありがとう」だとか、「また会おう」だとか、そんな言葉は何か違うと思っていて、だからこそ僕は曲に何かを託そうとした。

 でも、やっぱり二人は違った。同じものだと思っていたけれど、それは僕の勘違いだったのだ。二人はしっかりと大人へ近づいて行くようで、僕の知らない遠くへ歩んでいくのだとそう思った。

 卒業式。春ではなくて、だからと言って冬でもない。そんな空気に似合う言葉を、鳴海は彼女に伝えていた。

 鳴海の声を僕は教室から少し離れた廊下の隅で耳にして、「ああ、やっぱりそうなのだ」と、僕はそのまま校舎を去った。

 あの楽譜は一体どこへ消えてしまったのだろう。自室の棚にもなかったし、机の引き出しの中にも、ベッドの下にも見当たらなかった。


「…………」


 すべて今更だ。今更そんなことを考えた所で過ぎ去った時間は過ぎ去ったままで、後悔は後悔のまま重く沈む。

 その重く沈んだ際、一緒に堕ちて行った空気が何年という時を経て水面へと浮かび上がる。

 小さな駅に短い電車がやって来た。

 改札の向こう側からこの町へ。


「よ、信世」


 大人になった彼は、昔の頃と同じように僕の名前を呼ぶ。

 変わらぬ距離で、彼は僕の前に現れた。

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