教えて、理央先生! たとえ『かえで』が偽物の存在であっても、彼女との『思い出』は本物なんだ!

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三限目、『かえで』ちゃん大増殖で、ブタ野郎大ピンチ⁉

「──ここで恒例の質問タイムです、『自分の前世は誰だと思いますか?』と尋ねられた際に、『のぶなが』等の歴史的偉人の名を挙げる人が大勢いることについて、あずさがわはどう思うかい?」


 ………………………………は?


 またいきなり、極端な方向転換したものだよな?

 何だよ、『前世』って。

 ほんの今まで、『かえで』のようないわゆる『記憶喪失中だけの仮人格』なるものが、集合的無意識を介して記憶喪失中の花楓かえでの脳みそにインストールされた、『別の可能性の世界パラレルワールドの花楓』の記憶や知識であることを、量子論やユング心理学に基づいて論証するという、非常にアカデミックなことをやっていたというのに、この落差は一体何なんだ?

 しかし、抗議の目を向ける僕に対して、質問者の白衣美少女のほうは、眼鏡に覆われた端整な小顔の中の瞳を悪戯っぽく輝かせながら、回答を待ち構えるばかりであった。

「……何でふたがいきなりそんなことを言い出したかはわからないが、あくまでも僕の個人的意見として言わせてもらえば──」

 そこで俺は一呼吸して気持ちを落ち着かせてから、率直な意見を言い放った。


「馬鹿か、そいつら。前世なんか、あるはずないだろうが⁉」


 物理実験室中に響き渡る、僕の本心からの叫び声。

 だがそれでも、目の前の少女は、まったく動ずることはなかった。

「へえ、前世なんてあるはずがない、ねえ。どうしてそうも自信満々に、断言できるわけ?」

「そりゃ、そうだろう。前世なんてものは、パラレルワールドなんかよりもよほどあり得ない、単なる『個人的な妄想』だろうが? そもそも何で、信長を前世に持つやつが腐るほどいるんだ? これこそは前世なんてものが何の根拠もない、個人的願望の顕れに過ぎないことの証しだよ」

「ほう、やはり梓川も、何人も信長を前世に持つのは、おかしいと思うわけだ?」

「当然だろう!」

「ちなみに話は変わるが、そもそも梓川は、今回における大本の案件である、まったくの赤の他人であるしま嬢に、すでに消え去ったはずの『かえでちゃん』の人格が乗り移っていることに関しても、やはり懐疑的なわけなのかい?」

「もちろん! 過去の記憶を失っていた花楓自身に、もう一人の花楓とも言える『かえで』の記憶や知識がインストールされていたというのは、納得できないこともないけれど、まったくの赤の他人に、僕の妹を自称する『かえで』の記憶や知識がもたらされることなんて、あるはずがないだろうが⁉」

「……ふうん、そうかい」

「ああ、そうだとも」

 何度問われようが、きっぱりと即答する僕に対して、まさしくその毒舌白衣美少女は、

 ──今回の会合において最大級の、衝撃のお言葉を述べられた。


「だったら梓川は、花楓ちゃんにとってあくまでも可能性上の存在に過ぎない、『別の世界の自分』である『かえでちゃん』なんて、実のところは確固たる存在なんかではなく、単なるまやかしのようなものに過ぎないって言うわけなんだね?」


 へ。


「いやいやいや、何でそうなるんだよ⁉ 僕はけして、そんなつもりで言っていないぞ! だいいち、花楓が記憶喪失中に限って『かえで』になっていたことと、赤の他人がいきなり『かえで』を名乗りだすことや、不特定多数のやつらが『自分の前世は信長』なんて騙りだすことは、まったく話が別だろうが⁉」

「そんなことはないよ? 何せ、記憶喪失中の仮人格も、突然まったく他人のようになる多重人格化も、前世なんかに目覚めるのも、すべては同じシステムに基づいているのであって、しかもこのシステムにおいては、同一の過去の偉人を前世に持つ者が、大勢いようが別に構わないんだからね」

 なっ⁉

「花楓が『かえで』になったのも、別人格化も、前世の目覚めも、全部同じシステムだって⁉」

「まさにこれぞ、集合的無意識とのアクセスを介しての、『別の可能性の世界』の存在の、記憶や知識のインストールのことだよ。花楓ちゃん自身や羽島伊代嬢の『かえでちゃん』化は、『パラレルワールドの自分』の記憶や知識のインストールだし、『信長を前世とする』人たちにおいても、文字通り織田信長ご本人の記憶や知識のインストールなわけなんだし。──そしてこれらはすべて、ただ単に集合的無意識にアクセスできればよくて、しかもインストールされるのはただの記憶や知識なんだから、花楓ちゃん以外の人物に『かえでちゃん』の記憶や知識がインストールされようが、大勢の人たちに信長の記憶や知識がインストールされようが、別におかしくはないってことなんだよ」

 ──‼

「そんな馬鹿な! 複数の人間が同時に織田信長を前世に持てるだと⁉ しかも花楓以外の人間が『かえで』になれるなんて、そんなことがあって堪るか!」

「ああ、うん。別にこのシステムを全否定しようが構わないんだけど、その場合同じシステムで花楓ちゃんの中に生み出された、『かえでちゃん』そのものを全否定することになるんだけど?」

「……何、だと?」

「だってついさっきも言ったように、現代物理学及びユング心理学に基づけば、『記憶喪失中の仮人格』なんてものは、集合的無意識を介しての『別の可能性の世界の花楓ちゃん』の記憶や知識をインストールするやり方以外では、けして実現することは不可能なんだもの」

「うっ」

「……でもねえ、ある意味梓川の言っていることのほうが、正しいとも言えなくもないのよねえ」

「え」


「そもそも『記憶喪失中の仮人格』なんて、確固として独立的に存在するものではなく、まさしく集合的無意識を介して与えられた、単なる『記憶や知識』といった実体無き物に過ぎないのであって、『かえでちゃん』なんて人物が確固として存在することを、実証することなんて不可能なのよ」


 ……何……だっ……てえ……。


 かえでが存在していた確証なぞないなんて、そんな馬鹿な!

 何で今更、そんなことを言い出すんだよ⁉

 その時の僕は、あまりといえばあまりのことを聞かされて、この上なき怒りのあまり、怒鳴り散らすことすら、すっかり忘れ果てていた。


 しかしその反面、至極冷静なる自分もまた、存在していたのだ。


 ……そうだ。前世に目覚めることやまったくの赤の他人になることが、けしてあり得ないと言うのなら、記憶喪失になったからって、完全に新たなる人格になったりすることだって、常識的にあり得ないじゃないか。

 結局のところ『かえで』なんて、あくまでも花楓本人そのものの別人格ならぬ、別のでしかなかったんじゃないか?


 つまり『かえで』なんて、最初から最後まで、まったく存在しなかったのではないのか?


「──どうやら、わかってくれたようだね」


 すっかりうなだれてしまった僕の姿を見て、ようやく表情を和ませる白衣の少女。

「『かえでちゃん』が、実体なんか無い、単なる偽物の存在だったことを」

 ……そうだ。

「あくまでも花楓ちゃんは花楓ちゃんで、人間がまったく変わってしまうなんてことは無いことを」

 そうだ。

「つまり、君は誰もなくしてないし、何も失っていないし、後悔することなんて、全然無いことを」

 そうだ。

「もうこれ以上、自分を責める必要も、過去を悔やむことも、無いことを」

 だから、そうだと、言っているだろうが⁉


「──だったら、どうして君は、泣いているんだい?」


 え?

 そう言われて慌てて頬に手をやれば、確かに幾筋かの滴が流れ落ちていた。

「……どうして……こんな……かえでなんて……本当は……存在しなかった……はずなのに……」

 もはやただしどろもどろにつぶやくばかりの僕に対して、その少女はこの上なく優しく言い諭す。

「それはね、君の中には、いまだに『かえでちゃん』が、住んでいるからだよ」

「で、でも、かえでなんて、いやしなかったんじゃ……」

 そして彼女は、まさしく女神と見紛うほどの、極上の微笑みをたたえながら言い放つ。


「確かに『かえでちゃん』なんて、実際には存在しない、偽物でしかなかったかも知れないけど、君の心の中にある彼女との『思い出』は、間違いなく本物なんだよ。──そう。君にとって『かえでちゃん』は、れっきとして存在しているわけなのさ!」


 ──っ。

「だからもう君は、『かえでちゃん』を失ったことを、後悔する必要なんて無いんだ。──だって、また再び相まみえることも、けして不可能ではないんだからね」

「なっ、またかえでに、会うことができるだと⁉」

「言ったでしょ? 『かえでちゃん』なんて、集合的無意識を介して与えられた、単なる『別の可能性の世界』の存在の、記憶や知識でしかないって。──ということはつまり、これからだって、花楓ちゃん本人でも赤の他人の誰かさんでも、思春期症候群の悪戯かなんかで、集合的無意識にアクセスさせられて記憶や知識をインストールされることによって、『かえでちゃん』なってしまうことも、十分あり得るんだよ。──まさしく、のようにね!」

 へ?

 双葉の言葉に促されるように、入り口のほうへと振り向けば、そこにはくだんの羽島伊代嬢が、日本人形のごとき秀麗な小顔の中の黒曜石の瞳を、涙で潤ませながらたたずんでいた。

「……ごめんなさい、いきなり自分のことを『かえで』なんて言って、混乱させてしまって。急にこんなこと言われても、信じられないわよね。──そう、そうなの。すべては私の冗談なの! だから全部、忘れてちょうだい!」

 そう言うや踵を返して、部屋を出て行こうとする同級生。

「あっ、待って!」

 それをすかさず駆け寄って、その手首を捕まえて、無理やり押しとどめる。

「こちらこそごめん! せっかく僕に会いに来てくれたというのに、信じてやれなくて」

「……え、ということは」

「うん、君は間違いなく、『かえで』だ、僕の妹なんだ!」

「──ああ、お兄ちゃん、嬉しい!」

 まさしく感極まったようにして、僕の腕の中に飛び込んでくる『かえで』。

 もはや何の迷いもなく、ひしと抱き留める『お兄ちゃん』。

 しかし、そんな幸福な時は、ほんの一瞬だけの、夢幻でしかなかったのだ。


「──話は聞かせてもらったわ!」


 いきなり実験室の扉が開け放たれ、なだれ込むように入ってくる、数名の少女たち。

「……さんに、ともに、のどかに、しょうさんじゃないか? 何で雁首並べて、こんなところに現れるんだ?」

「いいえ違うわ、私たちは、麻衣でも朋絵でものどかでも翔子でもなくて──」

 その時、続けて少女たちが口を揃えて一斉に宣ったのは、間違いなく本日最大の爆弾発言であった。


「「「「あなたの妹である、『かえで』なの!」」」」


 は?

「ちょっ、よりによって、何てことを言い出すんだ⁉ 『かえで』がそんなに大勢、いるはずないだろうが!」

 もはや何が何だかわけがわからなくなってしまった僕に対して、律儀に答えを返してくれたのは、もちろん蘊蓄大好き眼鏡少女であった。

「あら、さっきちゃんと言ったでしょう? ただ単に集合的無意識にアクセスさえすれば実現できる前世返りや別人格化は、別に対象の人数を限る必要はないって」

「ふ、双葉さん? 確かにそんなことをおっしゃっておられたようですけど、ということは──」

「ええ、ある意味ここにいる全員が、『本物のかえでちゃん』と言えるの」

 な、何だってえ⁉

「ま、そういうことで、邪魔者はそろそろ、退散させていただきますわ」

「な、何で、こんな状況において今更、双葉が邪魔者になるんだよ?」

「ようく考えてご覧なさい。『かえでちゃん』が『お兄ちゃん』とは血の繋がっておらず、君のことを憎からず思っている女性たちの肉体に宿ったことを。──もちろんそれは、実の妹の肉体ではけして為し得なかった、『本懐』を果たすために決まっているでしょ?」

「ほ、本懐って、ま、まさか……」

「じゃあ、あんまり部屋を汚さないでね。もちろん守衛さんの巡回にも気をつけるのよ?」

 そう言い終えるや無情にも、扉を閉めて足早に立ち去っていく、親友の少女。

「……あ、あの、皆さん、落ち着いて。馬鹿な真似はよしましょう。いくら肉体的には血縁関係に無いからって、僕たちは精神的には兄妹なのであって…………あっ、だめ! 四方八方から力ずくで、服を脱がそうとするんじゃない! や、やめて! 僕初めては、海の見えるホテルでって、決めているんだから! あ、あ、あ、あ、あ──────────っ!」

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