感動する小説

星 太一

感動する小説

 感動する小説が書きたければどうすれば良いのか、私は知っている。小説家が主人公に近い人物――もっと言うならば主人公が一番愛した相手を殺せば良い。どんな方法でも良い。事故、病気、老衰……。私はあらゆる手段で主人公の傍に居る人を殺してきた。

 確か、最近書いた物では冴えない男子中学生を励ましてくれていた女子中学生が癌で死んだ。三年間ずっとすぐ傍にいただけに、読者からの反響は大きかった。また、一番新しい作品では娘の病死をきっかけとした家族の物語を書いた。狂った母親、うろたえてばかりの父親。彼らの更生のきっかけは夢に出て来た娘の一言。その一言に日本中が泣いた。私はいつしか愛の巨匠として持ち上げられていた。

「先生、次の作品も期待しています」

 担当が私の原稿を読みながら満足そうな笑みを浮かべた。今回のも何とか上手くいったようだ。最近マンネリ化していないかどうかヒヤヒヤしていたが、まだまだ大丈夫そうだ。

「それじゃ」

「ああ。これからもよろしく頼むよ」

 バタン

 単調な音をたてて、ドアが閉まった。すっと、緊張がほぐれる。今回も何とかやりおおせた。

 その瞬間、どっと疲れが押し寄せてくる。

 ……今日はもう疲れた。酒でも飲んで眠ろう。

 私は崩れ落ちるように布団に体を埋めた。


 ――と、私は真っ白な空間に立っていた。ただただ広いだけの空間。そこには私以外に小さな女の子が居た。しくしく泣きながら彼女は

「お父さん、もう止めて。お父さん、もう止めて」

と、何度も何度も繰り返した。胸がきつく締め上げられそうになった。

「お父さん、お父さん」

「や、止めてくれ、もう止めてくれ! ミカ!」

 私が彼女の言葉を遮るようにそう叫んだことで目が覚めた。

 私の周りを囲んでいたのはいつもと変わらない朝だった。

 夢だった。


 私はすぐに夢に出て来た女の子――娘の言葉の意味を理解した。夢に彼女を出したのは何を隠そうこの私だ。彼女の言葉の意味は私が一番良く知っているつもりだ。

「そうだろうけど、無理なものは無理なんだ、ミカ。ミカだって分かるだろう? 読者が待っているんだ。私は殺し続けなければならないのだよ」

 私は天を仰ぎながら何度も繰り返した。実はこのような夢は今回が初めてでは無い。小説を書き上げる度に夢を見た。夢を見出したのは五年前だった……と思う。何がきっかけだったかは、すまない、心当たりはあるが言いたくない。人生最大の恥だ。

 ただ、冷静に考えれば今回のは初めてのパターンだった。娘に言い返した。彼女の叫びを否定した。どうして私にそんなことが出来たのか。不思議で不思議で仕方がない。

「ミカ……もう、お父さんどうすれば良いのか分からないよ。お父さんは何がしたいのかな」

 自然と涙がこぼれてきた。どうしよう、どうしよう。どこで間違えたのか分からない。私の何がいけなかったのか?

「……出掛けよう」

 寂しい中年は静かな家から蒸し暑い空気の中に身を投げた。


 私の娘、ミカは六年前に亡くなった。肺ガンだった。沢山の薬や様々な治療を試したが、運命は残酷だった。私の妻はミカが死んでから数日はずっと途方に暮れていた。私はこのことを誰かと共有したくて、小説におこして、それから小説賞に応募した。そしたら、なんと大賞をとってしまった。

「貴方の作品には愛が溢れています! 是非、私達の会社で単行本を出させて下さい!」

 私は一気に注目の的になっていた。

 しかし、それを心の底から喜ばなかった人が居た。私の妻だ。彼女は

「娘の死のお陰で大先生になれて良かったわね」

と私を責め続けた。私も当然

「そういうつもりで書いている訳じゃ無い。君こそよくそんなことが言えたな!」

と何度も彼女を責めた。

 そしていつしか私はひとりぼっちになっていた。――どうしてこうなったのだろう。今じゃあもう分からない。

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと、ある家の前で足が止まった。ある兄弟の声が聞こえたのだ。

「お兄ちゃん、ヒントちょうだい!」

「しょうがないなぁ。じゃあね、これは頭使って考えるんだよ。だから、この文はここを読んで、この文はここを読んでってしてくの。そしたら……?」

「……あ! 分かった! バナナ食べたい、でしょ!」

「そう、正解!」

 何だか懐かしい会話だ。ミカと同じ。

 彼女も病室で私に何度もなぞなぞだと言って、変な文字列を見せてきた。ヒントはいつでも「頭使って考えるんだよ」だった。最初はどの問題文も内容が無かったが、段々意味を持つようになってくるのを見ると、凄いなぁと思うようになってきた。純粋に才能があると思った。愛しい存在だった。

 それが、今では私を苦しめている。なんたる皮肉。逆に笑える。

「もう、小説やめたい」

 私はぼそりと呟いた。


 また夢を見た。また目の前には娘が居た。でも、今度は泣いていない。

「お父さんがいけないんだよ。ミカを何度も何度も殺すから」

「……ごめん」

 私は、ゆっくりと注意深くその三文字を彼女に向けて飛ばした。それは弱々しく落っこちてしまったかもしれない。

 そんな私をよそに、娘は先程とは違う話を始めた。私の言葉は届いたのか?

「……ねえ、お父さん。今度はあたしが死なないお話書いて! お姫様と王子様のお話!」

「……でも」

「もう私が死ぬの見たくない」

 ――そこで目が覚めた。


「こんにちは。今回はどんなお話ですか」

「どうでしょうか。長くて短い時間の間に色々ありましたから」

「何ですか、それ」

 そう談笑したのも一瞬の出来事。その後凍り付いた空気を今でも忘れられない。

「どうされましたか。一体、何を言いたいのですか?」

「どうされたも何も、私は至って正常です。今回はこれでいきます」

「冗談じゃないですよ。こんなので載せられる訳ないじゃ無いですか! 内容が滅茶苦茶だ」

「良いですよ。これが最後ですから」

「え、は、何言って……」

「さよなら」

「ちょっと!」

 私は担当に背を向け、部屋に引き返した。

 奥の方でドアが無情な音を立てたのを聞いて、少し悪いことをしたかもしれない、と思った。

 でもこれで正しかったとも思った。


 私の最後の作品はその後つつがなく発表され、逆の意味で大きな反響を呼んだ。

『○○先生、遂に重い精神疾患にかかったか!?』

『○○、突然の引退発表! 原因は担当とのトラブル!?』

 意味の無い記事が横行し、家のドアを見知らぬ人が何度も叩いた。でも、決して応じない。娘の為だから。


 明るいテレビ画面が私の作品を報じている。もう何回目だろうか。

『今回話題になっている○○の小説です。ご覧下さい、たった一ページでまるで幼子の日記のような内容になっております。読んでみましょう。


 ミカちゃんのなぞなぞ


 ミカちゃんは今日も元気いっぱいです。

 髪を自分でとかして結べます。

 イチゴのケーキが大好きです。

 ママのケーキが特に好きです。

 豆は少し苦手です。

 でも、最近は頑張って食べます。

 遊ぶのも大好きです。

 りこちゃんとよくお絵描きをします。

 画家になるのが夢なんだよね。

 とても楽しみです。

 うさぎのうさ子がとても上手でしたね。

 さあ、これなーんだ!


 ――という内容なのですが、コメンテーターの原さん、どうですか……』

 ぷつりと音を立ててテレビが消えた。そして、誰かが歩み寄ってくる足音が聞こえる。

「誰か居るのか?」

 私が振り返ると、そこに居たのは――妻だった。

「『ミカ今までありがとう』でしょ?」

 私は唖然とするしかなかった。彼女は泣いていたのだ。

「何故お前がここにいる? 私とは別れたはずだろう」

「ごめんを言いに来たの。テレビでこれを見て、何だか凄く申し訳なくなったの」

 私の目の前もぼやけてきた。そうだ、これが悲しいだ。今まで麻痺しきっていた悲しいだ。

「ごめんね……ごめんね」

「私も……最初は自分達の気持ちを共有したかっただけだったんだ……なのに、結局こんな風にしてしまって……! わああ……!」

 私達は久し振りに抱き合った。


 感動する小説。私が言うのも難だが、マンネリ化している気がする。誰それが死んだ、誰それがそれに泣いた……。果たしてそれは本当の感動か。そもそも感動とは何か。

 感情に訴えるのが感動か、大きな意味を持たせた死が感動か。正解は無いだろう。

 だが、人は何故かは分からないが、どうも人の死に大きな意味を、感動を持たせたがる。それは確かに大事なことだが……何か他に大事なことを忘れてはいないだろうか? 貴方の求める物はそれは本物か?

 じっくり考えていって欲しい。


 こんなしがない作家の最後の言葉を聞いてくれてありがとう。

 またいつでも遊びに来てくれ給え。

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