第9話 case2 探索編 3

「さてと、ここか」


 倫太郎は、件の研究所を見渡せる高台の公園にやってきていた。常人ならば双眼鏡を使わねば伺えない距離ではあるが、忍者視力ならば問題なく見通すことが出来る。とは言え透視や千里眼のスキルを持っていないので、あくまで外観を観察できる程度になってしまうのだが、そこは事前に渡されていた資料と照らし合わせることで、公表されている部分の内部構造も把握することは出来た。


「だがまぁ所詮は表向きの資料だ、ご丁寧にここが秘密の実験場ですなんてことが書かれているわけでなし、と」


 倫太郎が、資料と現実を照らし合わせていると背後から中性的なハスキーボイスの声が掛けられる。


「お待たせしました、申し訳ございません」

「いいや、俺も今来たばかりだ、そっちこそオジョウサマのお見送りごくろうなこって」

「いえ、お嬢様にお仕えすることは僕にとって至上の喜び、それを苦と感じたことは一度もございません」

「へーへー、そりゃ何よりなこって。そういやお前さん、名前何ってんだっけ?何度か顔を合わした事はあるが、こうやって一緒に仕事をするのは初めてだ、そん位教えてくれてもいいだろう?」

「これは失礼いたしました。僕は添田明そえだ あきらと申します、若輩の身ではございますが、お嬢様の身の回りのお世話を任せられています」


 へらへらと、緊張感のない倫太郎の質問に、明はそう静かに、だが芯のこもった返事をした。


「それでもって今回は、俺のお目付け役ね。まぁ精々足を引っ張らないように気を付けるんだな」

「……僕もそろそろ中忍認可の話が持ち上がっています、今回の任務に派遣して頂いたお嬢様の顔を潰すような真似は致しません」


 明は、倫太郎の嘗めきった挑発に心を揺らされてしまう。倫太郎はその様子を見て自分の若いころを思い出そうとしたが、彼は物心ついた時から河童忍者に嫌気がさしていたので、プライドなどまるでなかったことしか思い出せなかった。むしろ相手がこっちを嘗めた態度を取ってくれればこれ幸いと、相手に仕事を丸投げしてきた事しか思い出せず、微粒子レベルで反省をしたが、そのレベルの反省なので1秒後には全て忘れていた。


「あー、そんじゃ一つ聞きにくい事を聞くんだが、お前さん河童忍者についてはどの程度知ってるんだ?」

「お嬢様から一通り聞き及んでおりますが、それが何か?」

「いやな、これを聞かなきゃいけないこと自体、嫌で嫌で嫌で嫌でしょうがないんだが。

 もしお前が実物の河童忍者を見て、笑ったり同情したりした場合、俺はお前も敵と見なさなきゃいけなくなる、これはお互いにとって非常に不幸な話になってしまうと俺は思うんだ」

「その点につきましても、お嬢様から注意を受けているのでご安心ください」

「ああ、それならいい。俺の事は空気かなんかだと思っててくれ。それで出来れば今回の記憶から俺の部分は消しといてくれ」

「…………お嬢様の許可が下りれば、前向きに善処いたします」


 明は主人である翔子の言葉を思い出しながら慎重に回答をする。曰く『倫太郎は、腕はまぁ自分には及ばないもののそこそこ立つのだが、それ以上に厄介なのが自身の収めた忍術に対する重度のコンプレックスなので、その点について刺激しなければ危険は少ない』とのことだった」

 明は翔子の世話役だ、彼女の良い所も悪い所もよく知っている、その中でも特徴的なのはプライドの高さだ。そんな彼女がひどく憎憎しそうに『そこそこ腕が立つ』と称したならば、この一見緊張感のない男の腕前がどの程度なのか想像がつく、おそらくは明にとっては、はるか高みに存在するものだろう。だが、明にも翔子のお付としてのプライドがある、古来より天狗のぷらいどは高いと決まっているからだ。





「よーし、まぁ何時までもこんな所でだべっていてもしょうがねぇ、とっとと捜査に行くとするか」

「分かりました、ではどの様に?」


 翔子の経営する豊前シークレットサービスは河童探偵社とは比べ物にならないほどの大規模興信所だ、当然明も調査についての心得はある、なので同業他社の倫太郎の手法に少なからず興味を持っていたが。


「あ? んなもん、隠形の術使って侵入するのが手っ取り早いじゃねぇか」

「…………随分と大胆な手法ですね」

「まぁ訳の分からん物を調べるんだからな、こっちも訳の分からん手を使った方がつり合い採れるんだよ」


 倫太郎はひどく投槍にそう言い捨てる。明はそれに思う事はあれど、今回はあくまでも彼がへまをしないか、若しくはへまをした際に豊前の名前を出さないか見張る為ことが明の任務だった。

 明は言いたいことを堪えて大人しく倫太郎の指示に従う事とした。





「河童忍法、水遁空気羽織オプティカルカモフラージュ

「天狗忍法、隠形風霞てんぐのかくれみの


 二人の忍者は身隠しの術を使い、易々と所内に侵入し内部を進む。忍者の前には監視カメラ等意味をなさない、恐ろしきは彼らの忍術であった。

 彼らの精妙な体術は足音のみならず風すらも巻き起こすことなく進む不可視の忍者を捕える事など常人にはまずもって不可能である。幾度か研究員とすれ違う事があったが、だれも部外者が侵入したことになど気づきはしなかった。

 それはお互いにとって幸運なことである、明はともかく、倫太郎の容姿は緑の皮膚を持つ異形の生物、即ち河童である、もし万が一それを見て平常心を保てる人間など、先ず存在しなかったであろう。





「(あの、何処に向かっているのですか?)」


 迷いなく、研究所を進む倫太郎に、明は問いかける。明たちが入手した資料は一般的な見取り図だ、勿論今現在、目当てのものが何処にあるかなぞ記録されている訳はない。


「(あー? 勘だよ勘、ハードボイルドの勘はここぞと言う場所では外れねぇんだ、良いから黙って俺について来い」」

「(…………倫太郎様は確信してなさるのですね、この研究所に例の品物がある事を)」

「(あー? お前らが此処にあるって言い出したんじゃねぇか)」

「(我々が入手したのは、あくまで噂です。どこからか怪しげな柔らかい鉱物の様な触媒を入手して、奇妙な実験をしていると言う内部の噂を入手したのです)」

「(はーん? そうだったか? まぁどうでもいい、俺の鼻はこの場所にヤバイ品物があるってビンビン言っている、どっちにしろ碌な事はしちゃいねぇ、それに加えて柔らかい石を手に入れたって噂なんだろ? まず間違いなく関係はあるぜ)」


 倫太郎はニヤリと笑って、そう答える。そう、ハードボイルドはためらわない。自分の信念を曲げることはあまりない、それが彼のハードボイルド。

 そして彼らはとある倉庫の前へとたどり着いた。

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