要塞
赤いハイラックスが荒野を往く。地表は不自然な穴がそこらじゅうに空き、白骨死体、破壊された兵器たちが打ち捨てられていた。
ここは恐らく、かつて戦場であった場所。一度の攻勢で想像もつかないほど莫大な数の砲弾が使われ、一瞬のうちに命が奪われ消えていく、現世と地獄の境目。
私の乗るハイラックスも、かつては様々な戦場で使用されていた車種の一つであったらしい。
「ねえ君。ここを走るのはどんな気分だい。きっと、走りづらいだろう?」
ハイラックスは言葉を返さない。返す訳がない。しかし、何故だか私は内心、少しだけ気まずい感じがした。
こういった地域では、目ぼしい資源はまずないと考えて良い。もし銃弾や燃料が残っていたなら、生き残った軍人たちが洗いざらいそれらを持ち去ってしまうからだ。
まるでイナゴの大群のようだ、と思った。私は一度、それに出会ったことがある。遠目には巨大な台風か砂嵐のように見えるそれは、通って行った土地の物を全て、洗いざらい食べ尽くしながら移動を繰り返す。そしてそれが通り過ぎた後には何も残らず、生き残った者達は途方に暮れるのだ。
もし、こんな場所で燃料切れでも起こして立ち往生するはめにでもなったら事だ。そうでなくても、さっきから穴ぼこの上を走っては車体が大きく揺れ、私の身体とハイラックスの車体を傷めつけてくるので、そういう意味でもこの場所は好きになれなかった。
しかし、旅とは理不尽なもので、ささっと抜けてしまおうと思った時には足止めを食らい、長居してもいいかと考えると途端にそこから旅立たざるをえない状態になったりすることが多々ある。
今回もそうだった。前方には土の色と混じるように塗られた要塞。そしてその周りを兵士たちと、角ばった形状の軍用車両が取り囲んでいた。
彼らは私の存在に気付いたらしく、車を走らせこちらへと近付いて来た。私は逃げることもせず、車を停止させ、彼らを待つ。ここでもし少しでも逃げる素振りや、ましてや攻撃する素振りを見せた日には、私たちは正面の要塞から容赦のない猛攻に晒され、私は灰に、そしてハイラックスはただの鉄くずへと生まれ変わるだろう。
二台の車がこちらへ近付くと、少しの距離を置いたところで停止し、銃を持った兵士三人が車を降り、私の元へと駆けつけた。
彼らが私の車を取り囲むようにして銃を構えるので、私は窓を開いて声をかけた。
「一体何の用ですか?」
一人の兵士が答えた。
「お前こそ、何の用があってここに近付いた!」
「私は目的地もなく、ただ旅をしているだけですよ」
「お前は何処のスパイだ」
「ですから、ただの旅人ですってば」
兵士というのは、兵士としての教育が完了したその日から、ある種の神経症じみた人間不信を患うことになる。即ち、味方以外は敵かスパイであり、中立的な民間人にもスパイや敵、敵に与する者が入り混じっており、最悪の場合味方にも敵が居る。そして、自分たちの使命はそれら敵及び敵を利する存在を撃滅せしめることにある。誰の言葉だったか……そうか、これは育ての親の、あの人が言っていたことだった。
「敵でないと言うのなら、その中を調べさせろ」
「本当に、敵でも何でもないんですけどね……」
私は車から降り、両手を頭の後ろに回して降伏の意思を示す。
一人の兵士が私に銃を向け、残りの兵士がハイラックスの中を荒らし回る。その最中に、彼らは叫んだ。
「銃がありました!」
すると、私に銃を突きつけている兵士が私に問う。
「お前、何故銃なんか持っているんだ!」
「身を守るためですよ。徒手空拳で身を守れとでも?」
その直後、ハイラックスの中身を漁る兵士がまた声を上げる。
「手榴弾もあります! しかもロケットランチャーまで!」
私の車の中には、確かに武器が沢山積まれている。それらは自分の身を守るためのものではあるのだが、確かに端から見ればワンマンソルジャー、人間火薬庫状態だ。今更ながら、怪しまれても仕方がないような気がしてきた。
「これじゃ、言い逃れはできんな。ついてきてもらおうか」
「本当に、旅人なんだけれどなあ……」
そうは言ったものの、私自身、この言葉を信じてもらえるとは思っていなかった。
私は彼らに手を縛られ、銃を突きつけられながら、遠くに見えていたあの要塞まで徒歩で行くことになった。
要塞の中は軍事施設らしく頑丈な作りをしていた。確かに、これなら並大抵の攻撃では崩れることはないだろう。
中に居た兵士たちの私を見る目は、憎むべき敵に対するそれではなく、どちらかと言うと珍しい来客に対する奇異と興味とを滲み出させていた。
彼らの手によってボディチェックが行われた後に、私は要塞内の独房へと叩き込まれた。
独房内は光が少なく、多少湿気ってはいたものの、ベッドとトイレは備わっていたし、監視する兵士に欲しいと言えば水も与えてくれた。言ってしまえば、ここでの生活は退屈ではあるが、快適ではあった。てっきり、拷問を受けたり、兵士たちの前で見せしめのために処刑されたりするものだと思っていたが、流石に彼らはそこまで過激な集団ではなかったらしい。
実際、彼らも兵士としての教育こそ受けてはいるが、敵と呼ばれる存在についてはどうも懐疑的で、内心ではその実在を疑っているらしく、代わりばんこでやってくる監視兵から様々な質問を受けた。
「お前って本当に敵なのか?」
「旅人ですよ?」
私は彼らと、このやり取りを何度しただろうか。数えられないぐらいだろうし、数える気もなかった。
「外は敵で一杯なのか?」
「そんなことはないです。悪い人も良い人もそれなりに居ますよ」
「君は一体どこから来たんだ?」
「さあ。どこかに居た女性が私を産んだことだけは確かですね」
「君は一体何を食べるんだ」
「毎日、貴方たちがくれるご飯食べてるの、見えませんか?」
彼らは皆大人だと言うように、私に質問を繰り返すその姿は、全てのものに興味を示す小さな子どものようだった。初めこそ、面倒な感じがしたこの質問の繰り返しもやがて私にとって心地良い暇潰しの時間になり始めた。
私が独房に叩き込まれて、四日立った時。私がベッドの上で寝転がりながら、内心この生活も悪くないなと考え始めていた頃だった。
「おい、起きているか」
「はいはい。私は敵じゃないですよ」
どうせ彼らが開口一番口にする質問といえば大体これだったので、私は聞かれる前からそう答えていた。
「君が敵であるか否かは、この後に決まることだよ」
しかしどうやら、今日の訪問者は普段と性質が違ったようだ。
「ようやく判断しようという気になったんだ」
私はそう言ってベッドから起き上がり、声の主に近寄った。
その人物は、確かに今までに見た兵士たちとは全く違った。顔の左半分は焼けただれ、左目は塞がっている。その口元は真一文字に結ばれていて、残る右目の眼光は鋭かった。
「これは、一体何処で手に入れたものだ?」
男はそう言って、黒く汚れた鉄製の飾りを取り出した。よく見るとそれは、男が身に着けているものと少し似ている。
「それは、私の育ての親の持ち物ですよ」
「そうだったのか。なら、その人は今何をしているんだ」
「手紙を残して、何処かへ行きました」
「その手紙にはなんと?」
「『旅に出ろ』と」
「それだけか?」
「それだけ、ですよ」
「それだけだと、判別しかねるな」
「あの人のことを知っているんですか?」
「かつての私の上司だよ……ところで」
「なんですか?」
男性は私を強く睨みつけながら、言った。
「君が懐に隠しているそのナイフを渡してはくれないかね?」
「条件があります。私を外に出してください。勿論、身の安全を保証してもらう必要がありますが」
「ふむ、保証しよう」
「なら……」
私は拘束されたその時から今に至るまでずっと隠し持っていた折り畳みナイフをその男性に渡した。すると男性はナイフをポケットにしまい、牢の鍵を開け、言った。
「少しの間、ついてきてはくれまいか」
「いいでしょう」
私は牢を出て、その男性と共に要塞の中を歩いた。私を見た兵士たちは驚きこそするが、この男性の手前であるからか、私については何も言わず、ただ男性に向かって敬礼をしていた。どうやら男性は、この要塞内において相当の地位に居るらしい。
当たり前かもしれないが、独房の中とは違い施設内は明るかった。また、屋内でありながら農場が作られている。
私はやがて、施設の地下に存在する部屋へ案内される。中には独房内とさして変わらない簡易なベッドに、木製の机が一つ、椅子が二つあった。
「かけたまえ。ここは私の部屋だよ」
私が椅子に座ると、男は言う。
「ここの兵士たちはどうだね」
男性の言葉に対し、私は率直な意見を述べた。
「警戒心がなさすぎますね。女の身包み一つ剥げない兵士が居ますか?」
私がボディチェックを受ける際、彼らはせいぜい服の上から私の身体を触るぐらいで、後は下着まで私の服を脱がせて、目で確認する程度しかしなかった。
この点においては、まだそこらじゅうに居る強盗らのほうが余程徹底している。
「では、施設の中はどうか」
「立派ですよ。色々な場所を旅してきましたが、ここまで文化的な空間は初めてです」
家畜を飼うだけの食料の余裕があり、屋内に農場を作り上げるだけの技術があり、武器を持っている。これ程までに理想的な集落は他にないだろう。
「そうか……ありがとう。一つの場所に閉じ込もっていると、目が曇って悪い部分に目が行かなくなるものでね。他者の、それも様々な知見を持った人物による評価というのは実に参考になる」
「知見……というほどのものでもないですよ」
男との間に沈黙が揺蕩う。先にその水の中から顔を出したのは、私の方だった。
「何故、軍隊式にするんですか? 敵は、一体何処に居るんですか」
「……そうだな。君は、肉を食べたことがあるな?」
「ええ、あります」
「この要塞にも家畜は居る。そして彼らを殺して肉を得る。それは何故か。生きるためだ」
「そうでしょうね。でも、その話には何の意味が?」
「人は死から遠ざかると、徐々に弱っていく。死を司るものを忌避し、遠ざけ、一部の人間に押し付け、自らは綺麗な身であると錯覚しながら、実際は何かを殺して生きている」
「人はいずれ死ぬのですから、死から遠ざかることはないのでは」
「かつて、そういう時代があったんだ。その意識があったから、一度我々という種が滅びかけたんだよ。だからこそ、我々は軍隊という形式を崩さずに生きている」
「外に出れば、死なんてそこらへんに転がっているというのに?」
「ちょっとした矛盾だがね。死があるところに生きていると、人は安心して生きていけないんだ。だが、同時に死から遠ざかろうとしたら、人は弱くなる」
一拍置いて、男は言葉を続けた。
「人は殺さなければ生きていけないんだ。それなら、殺すために生まれてきたというのも、外れてはいないと思うんだよ」
「殺されそうだから反撃をするし、生きたいからこそ殺す。それ以上でも、それ以下でもないんじゃないですか。それ以上に死を意識する必要が、果たして何処に?」
「まあ、君にもいずれ分かるさ」
私とその男との会話は、ここで途切れた。
私はその後解放され、無事だったままのハイラックスと共に要塞を後にした。あの男は、本当なら私を仲間にするか、そうでなければ見せしめとして処刑するつもりだったらしい。それを助けたのは、育ての親の、あの男の人が身に着けていた勲章を私が持っていたから。ただそれだけだ。
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