日常

 赤いハイラックスが草原を往く。空は蒼く、大きな雲がゆっくりと流れていく。それと同じように、私の時間もまたゆっくりと流れていた。

「ここ、何にもないね」

 ハイラックスは勿論、一言も言葉を発さない。ただ、緑を踏み締め、私に従うままに車輪を回転させるだけだ。

旅をしていれば、様々なことが起こる。撃ち合いになることもあるし、人と会うことも勿論ある。川や海、その他様々な自然現象に足止めを食らう時だって多々ある。食料や燃料の不足なんてしょっちゅうだ。

ところが、今はそういった問題が何一つ起こっていない。天候も良く、車の中の物資は何一つ不足することなく揃っている。実のところ、旅の大半というのはこういった何もない日で埋め尽くされている。だと言うのに、何か大変な目にあったりすると、その時の記憶ばかり印象が強くなって、こういう風な何もない日の存在を忘れてしまう時がある。そうなると、今の私のように退屈な気持ちになってしまったりするのだ。

「全く、贅沢な話だよ」

 ハンドルを握りながら、私はそう呟いた。

そうだ、時間があるのなら普段出来ないことをしておこう。思い立ったが吉日とばかりに、私は車を停め、まず車内の荷物の整理を始めた。旅先で拾ったり、貰ったりした様々なものを、今までの旅を振り返るがてら広げて見て、いらないものは全て捨ててしまう。例えば、食べ物と引き換えに無理矢理押し付けられた紙切れ。昔はこれでどんなものとも交換出来たらしいが、今はせいぜい掃除ぐらいにしか使うことが出来ない。私はそれを水に浸し、ハイラックスにこびりついた泥を綺麗に掃除していく。いらないものは他にもあった。水を欲しがっていた物乞いが居た時に、水と引き換えに貰ったキラキラと光る石。かつてこれはダイヤモンドと呼ばれていたらしいが、今の私に必要なものとは言えない。首にかけられるようになってはいるが、こんなものを身につけたら遠くから狙われやすくなる。私はこれを遠くへ投げ捨てた。

このように、車に積んであった細かなゴミを捨てたり、使ったりした後に、私はハイラックスのシートを弄って平らにし、銃の整備を始めた。ついつい忘れてしまいがちだが、こういった定期的な整備が時に命を救う、と育ての親に教わった。といっても、これも慣れたもので、大した時間はかからない。そうなると次は銃の試し撃ちをしなければならないのだが、遠くの木を撃つというのも無駄球を撃っているような気になってしまうし、どうしようかと私は悩んだ。

「たまには、肉でも食べようかな……」

 一人旅を長くしていると、こんな風に独り言が多くなる。たまには言葉を発しておかないと、いざ人に出会った時声の出し方が分からなくなることがあるので、その対策のためだと自分で自分を騙しておく。

まず第一に、車内の荷物から発掘した糸を使ってウサギを捕まえるトラップを作る。草むらの中から、ウサギやその他の動物が使っている獣道を見つけ、その入り口の辺りにトラップを設置する。ウサギの丁度首の高さぐらいのところに糸の輪っかが来るようにしておくと、運が良ければウサギが捕まっている。これを五つほど、バラけた場所に作っておく。

第二に、銃の試し撃ちも兼ねて鳥を撃ってみようと思う。こういう土地なら鳥の一羽や二羽なんてそこらへんに居るだろうし、人を撃つのに比べれば、自分が食べるだけずっと気分はマシだ。

最初から言ってしまうと、この判断は間違いだった。彼らは人間なんかより余程警戒心が強く、すばしっこかった。鳥そのものは何度も見かけたのに、私が少し近付くだけですぐに逃げてしまう。挙句、本気で気配を殺して匍匐前進までしたのに、彼らは私に気付いて逃げてしまうのだ。意地になった私は狙撃銃を取り出し、遠距離から鳥に狙いをつける。その結果、一羽だけ仕留めることが出来た。

「ざまあみろ!」

 私は笑った。しかし、仕留めた鳥の姿を見て、私はすぐに後悔した。口径が大きすぎて、鳥はバラバラになっていた。その様子を見て冷静になった私は、虚しい気持ちを胸に抱えたまま、バラバラになった鳥の肉を拾い集めた。

夕方になり、火を炊いて鳥を焼く。鳥の形が残っていないので、綺麗に羽を毟ることが出来ず、食べづらくてしょうがなかったが、それでも肉は肉だ。明日への活力になる。

次の日、五ヶ所に設置したウサギのトラップを見に行く。ウサギが一羽もかかってはいなかった。昨日今日と私は自然に馬鹿にされっぱなしだ。これなら人を撃つほうがずっと楽かもしれない。気分の問題は置いておくとして。

二日間の日常はこのようにして終わりを告げた。旅先に行くだけが旅ではなく、その過程もまた旅の一つだ。日々起こる出来事のその辛さに押し潰されてしまいそうになる時もあるが、それ以上にこの二日間のような日々の方が余程多いのだ。忘れてしまいそうになるが、こんな風な何気ない日常をこそ、常に頭の片隅に置いておくことのほうが、普段の自分にとっての活力になる。そんな気がした。

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