赤いハイラックスが土色の荒野を往く。僅かな雑草と時折見える枯れ木。剥き出しの地面と灰色の空模様がまるで、今の私の心象風景をそのまま表しているかのようだった。

私はここ一週間ほど、食事を取れていない。備蓄の食料は全て底をついてしまった。皮肉なことに、車の燃料と弾薬だけは大量にある。勿論、これらは私の空腹を癒せはしない。

「ねえ、ガソリンって美味しい? 私でもいけるかな」

 ハイラックスは何も答えない。答えたところでどうにかなるものでもない。

「何か食べたい……」

 最終手段として、ベルトや靴の革を煮て食べるというのもあるが、本当にこれは最終手段だ。過去に一度だけ試しにやってみたことがあるが、人間の尊厳を脅かすような悍ましい味だった。

私はアクセルを踏み、ハンドルを握りつつ、頭を下げて項垂れる。こういう時に浮かぶ考えは大概無意味か、それを通り越して有害であるものばかりだ。見通しの悪い道路で轢き殺してしまった鹿の肉をバラして食べておけば良かっただとか、草原で大真面目に野草でも漁っておけば良かったとか、いっそのこと今であれば人の肉でも食ってしまえるとか。

この時点で私は、マトモに思考を巡らせることが出来なくなっていた。そのためか、荒野にぽつんと浮かぶように残された廃墟群を見つけた時には、まず第一に自らの目を疑った。今の私は幻覚を見ているのではないかと考えたのだ。

無警戒に銃も何も持たず車を降りたのも、普段だったらありえない、あまりにも軽率な行為だった。それ以前に、普段の私だったらまず、この廃墟群には複数の人間が居るだろうということを何処かで察することが出来たはずだった。

「何者だ!」

 廃墟から銃を構えた男が出てきた時、腰にあるはずの拳銃を手に取ろうとした。しかしそこには、銃どころかガンホルダーすらなかった。丸腰で戸惑う私を取り囲むように、複数の人間が銃を構えて私を見る。私は、自らの不注意を悔いながら、両手を上げて彼らに降伏した。すると、彼らのうちの二人が私に近付き、一人は私に向かって銃を構え、もう一人が私を羽交い締めにする。この世界を生き延びるに相応しい、油断のない所作だと思った。

「君は何者だ。一人か」

 銃を構えた男性が、私に問い掛ける。

「通りすがりのトラベラーです。私の他には、護身用の銃と赤い車が一つだけ」

「銃を持っているのに、何故身につけないんだ?」

 男の、至極もっともな疑問に私は笑みを浮かべようとしたが、疲れ切った顔は上手く動いてくれなかった。

「空腹の辛さを知っているのなら、私が今間抜けに拘束されているのも合点がいきますよ」

「……何だ。腹が減ってるのか?」

「そうですよ。今にも身体の力が抜けてしまいそうなぐらい」

 相変わらず銃は構えたままだが、男の顔に少し動きが出てくる。恐らく、私との会話で交渉の余地があることが分かったからだろう。

「……タダで食料をやるわけには行かない」

「当然ですね。私もそこまで虫の良いことを言うつもりはないですから」

「何か、交換材料はあるのか」

「銃弾とガソリンなら沢山」

 私の言葉に、男は強く反応した。

「銃弾! 種類は?」

「5.56×45mm、NATO弾。あなたが今持っている銃でも使えるはずです」

「欲しい。交換レートはどうしようか」

「……交渉の前に食事にしませんか? 前払いってことで」

 私が言うと男性は銃の構えを解き、笑った。

男に案内されて、私は彼らの生活スペースへと案内される。廃墟群は外から見た限りでは他の地域と大差ない状態だが、中は人が十分生活できるような家具が揃えられていた。テーブルに椅子、干されている衣服。今まで色々なところを旅してきたが、ここまで整った生活をしている集団を見るのは初めてだった。

「まさかとは思うが、食べ物の好き嫌いはするまいね」

 欠けの目立つ食器にスープをよそいながら、先程まで私に向けて銃を構えていた男性は言った。

「ええ、勿論。いざとなったらベルトでも食べますよ」

 私が言うと、男性は大きく笑った。

「ははは。君は冗談が上手いな!」

 冗談ではないということは、この際言わないでおこうと思う。

彼らが出してくれた食事を有り難くいただいた後に、私は男と話を始めた。

「今一番余っているのはNATO弾ですが、私は他にもう一種類弾薬を持っています。もし何でしたら、交換に使ってもいいです」

「……君は銃に詳しいようだね」

「ええ。まあ、ある程度は」

「実のところ、私達はあまり銃器の類に詳しくなくってね。君に言われて初めて、自分の使っている銃弾の種類を知ったぐらいさ」

「じゃあ、もしかして整備無しで使ってきたんですか?」

「そうなる」

「それは無茶ってもんですよ。いざって時に使えないのはマシな方で、最悪の場合指が吹き飛びますよ」

「なら、弾薬の交換よりも先に、銃器の種別を教えて欲しい。それに銃の整備もやって欲しい。その間の食事と寝床を保証する。それでどうだ」

 この話に、一も二もなく私は食いついた。


 ■ □ ■


「……銃の博覧会ですね。これは」

 私が案内されたのは、乱雑に銃が積み重ねられた廃墟だった。今から、これらの銃の分類を彼らに教えなければならない。

「まず、これがAK‐47。次にこれがグロック17。これがFA‐MASで……一体これ、どこで手に入れたんですか。銃の種類に統一性がなさすぎます」

「大体は拾い物さ。集まってきた連中がそれぞれ持っていた物だったり、偶然拾ったりだよ」

「これなんてStG44じゃないですか。こっちはデグチャレフPTRD1941……骨董品ですよ」

「使い物になるか?」

「ここらへんの古い奴は錆が多くて駄目です」

「……そうか」

 自動小銃、拳銃、対物ライフル。全て合わせて三十二丁。そのうち使い物になりそうなのは半分といったところだった。

「この大きいのは対物ライフル。大きい標的に使うものです」

「大きいものというと、人間相手とか?」

「人に使ったらオーバーキルですよ。胴体に当たれば身体が消し飛ぶような銃です。使うなら車とかですよ」

「なんと物騒な」

「銃は物騒なものです……次にこれが拳銃。手軽に持ち歩けるので護身用ですね。最後に、あなたが使っていたのは自動小銃。連射が出来ます。人相手に使うにはこれが一番でしょうね」

「ふむ……成る程」

 大体の銃の分類について教えた後、私は彼らに机と椅子を借り、車に積んだままの整備用具を持ち出し、銃の整備を始めた。その作業の間に、彼らの境遇について聞くことができた。

「俺達は全員、色んなところで旅をして集まった仲間なんだ。そこらじゅうを転々として、今ここに定住している」

「食料はどうしてるんです。自給しているようですけれど」

「ああ、元々農業に詳しい奴が居たのさ。そいつが中心になって農場を作ってるんだ。今年で三年目になる」

「三年!」

「農業以外にも、それぞれ皆得意なものがある。この服は麻を使って作っているし、野草を見分けられる奴も居れば、狩りが出来る奴も居る。ナイフ一本で野生動物を狩ることが出来るんだ」

「へえ、そりゃすごい」

 会話をしながら整備をしていると、廃墟の中へ何人もの子供たちが入ってくる。

「お、おい。今銃の整備をしてもらっているんだ。邪魔しちゃ悪いだろう!」

 男はそう言って追い出そうとするが、子供たちは中々出ていこうとしない。

「机のものと、私に触りさえしなければ、ここに誰がいようと構いませんよ」

「……すまないな」

「いえいえ。きっと珍しいんでしょう」

 子供たちは言葉を発さずに、私の手元とバラされた銃を物珍しそうに見つめていた。

「……子供も居るんですね」

「珍しいか?」

「私は子供の死体しか見たことないですから」

 そう言うと、男は気まずそうに黙り込んでしまった。

「……すいません。暗い話をしてしまって」

「構わないよ。俺も旅をしている時は嫌な風景を沢山見たからね。定住してからは無縁だけれどさ……それより。質問いいかい?」

「どうぞ」

「君は、旅をやめて安全に暮らしたいとは思わないのかい」

 ほんの少しだけ考えて、私は答えた。

「安全は何物にも代えがたいものです。けれど、私は旅をやめません。それが私の生きる意味ですから」

「それは、君が決めたことなのかい」

「いいえ。私の育ての親に言われて、です」

 私の答えを聞くと、男性は残念そうに溜め息をついた。

「君がここに居てくれれば、助かったんだけどな」

「私みたいなのは少ないでしょう。きっと、これからもっといい別の人が定住してくれますよ」

「だといいなあ」

 私は、何日かかけて全ての銃の整備を終えた後、彼らと交渉して弾薬と保存食を交換した。あの男性以外の定住者にもここに残ることを勧められたが、私はその全てを断った。

 私がここを旅立とうとしたのは夜明け前。地平線の向こうが薄白くなり始めた頃だった。

「ジャガイモは保存が効くけど芽に毒があるから、生えてきたら取り除いて食べてくれ」

「ええ、分かりました」

 そんな味気ない会話を最後に、私は車に乗り込んでエンジンをかけ、この場所を後にした。

「案外、あそこで旅を終えても良かったかもな」

 朝焼けの太陽に向かって車を走らせながら、考える。きっと、彼らが今見ている日の出こそ、人類の第二の旅立ちなのではないかと。そうであれば、流浪の旅に身を窶す私の見る日の出は何なのだろうか。

「きっと、私にとっての日の出は……」

 何でもないそこにある、一日の始まりに過ぎないだろう。そう考えると、歴史の始まりの上に立つ彼らが、何だかとても羨ましく思えて仕方がなかった。

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