第31話 刺繍の会

 ベッドの上で刺繍針を動かす。なんだか重病人になった気分だが、オイヴァに『絶対安静』だと言われているので仕方がない。


 今は小さなタペストリーを作っている。とは言っても細かいデザインなので、難しいし、時間はかかる。でも、このデザインの元を考えたのは自分ので文句は言えない。

 出来上がったらこの寝室に飾るのだ。


「妃殿下、ご気分が悪いという事はございませんか?」

「ええ。大丈夫よ」


 こんな状態なので、部屋にいるホウルラにまで心配されている。


「……兄上は大げさなんだもの」


 リアナの言葉にものすごく頷きたい。本当にその通りだ。


 ただ、お腹の子はまだ『開放感!』モードなので、母親が大人しくしていなければいけない。なんて元気な子なのだろう。


 この第一次魔力成長期と呼ばれる妊娠初期が過ぎればしばらくは安心だ。でも、しばらくはこの『安静』が続くのだろう。


 それで、退屈しているであろう麗佳のために、ホウルラがこの刺繍の会を提案してくれたのだ。ベッドに座っている状態ならオイヴァは何も言わないだろうということだ。


 ホウルラは幼い頃から幼馴染としてオイヴァと仲良くしているのでこういう事はすぐ分かるのだ。まあ、姉弟みたいなものなので問題はないだろう。実際の年齢はホウルラの方が年下なのだが。


 刺繍の会は麗佳がここに嫁いで来た頃から行われていた。王妃にこの国の刺繍を教えるという名目で始まったこの会では、刺繍だけでなくこの国の内情なども教えてもらっている。


 ホウルラは、さすが現宰相の娘だけあってこの国の事に詳しい。時には小さな噂話——とは言ってもほぼ真実だと確定しているもの——も教えてくれたりする。

 とはいえ、今日は麗佳の体調が思わしくないのでそこまで重い話はしない。なので、のんびりと刺繍を楽しみながらおしゃべりをしている。


「それにしてもそれだけ大げさなら、妊娠発表のパレードは冬になってしまうわね」


 リアナがからかうようにそう言ってくる。


「もしかしたら真冬の月を通り越して晩冬の月になってしまうかも」

「それはさすがにありえませんわ、姫様」


 ホウルラが冷静に返している。それは麗佳も同感だ。


「どうして?」

「真冬の月にはわたくしの誕生日があるし、その次の月にはもう年末が近いでしょう。わたくし達の結婚記念日もあるし。行事が盛りだくさんの時に重ねてくることはないわ」


 わかりやすく丁寧に説明する。


「では初冬の月は?」

「……それはありそう」


 初冬の月というのは、いわゆる地球で言う十二月だが、その月にはほぼ何もないので、冬まで伸ばすのなら可能性はありそうだ。


「でしょう?」


 リアナがドヤ顔をしている。さっき晩冬の月二月になるかもって言ったよね、という指摘はしない事にする。


「まあ、わたくしの体調次第よね。早く元気にならなくては」


 それだけ言う。でも大事な事だ。


「だからと言って無理をされては陛下が心配されますからね」


 ホウルラが一応という感じで注意してくる。それくらいは麗佳でも分かっている。だから今日もベッドで休んでいるのだ。


「でも書類仕事くらいは出来ると思うのよ」


 つい愚痴ってしまった。これに関しては無理もないと思う。こういう状態なので仕事もしっかり減らされてしまったのだ。

 これも安定期に入るまでの我慢なのだろうか。納得がいかない。もし、公務をしない王妃なんて噂が立ったらどうしてくれるのだろう。


「兄上は結構余計な事をするから」


 リアナがぼやいている。なんだか機嫌が悪そうだ。たまに『兄上は理不尽』と怒ることがよくあるが、今度は何があったのだろうか。


「何かあったの? リアナ」


 とりあえず何があったのかは聞いておきたいので尋ねる。リアナはやはり不機嫌そうに頬を膨らませた。


「義姉上もご存知でしょう? コンラドの事よ」

「コンラド。ああ、プロテルス公爵令息ね」


 それならきちんと覚えている。近いうちにリアナと婚約するであろうことも。


 それにしても、リアナが機嫌を損ねるという事は、プロテルス公爵令息の事をよく思ってはいないのだろうか。

 スオメラ公爵家の者達がみんな賛成しているから大丈夫だと勝手に思っていたが、そうではなかったのだろうか。


「では兄上がコンラドから爵位を取り上げてあたくしに渡すという事も知っているのよね」

「……そこ?」


 思わず素で聞き返してしまった。どうやら縁談が嫌だという話ではなかったようだ。


「それ以外に何の文句があるというのよ! そんな事をしておいて申し訳程度に『女公爵の配偶者』という地位を与えるなんて、コンラドに対する嫌がらせとしか思えないわ! 兄上は何を考えていらっしゃるのかしら!」


 そう言いながら布を拳でバシバシ叩いている。布に罪はないからやめてあげて欲しい。それにそんな事をしたら布が傷んでしまう。


「姫様、そういう意味ではないと思いますわ」


 ホウルラも苦笑いしつつそうなだめる。だが、それでリアナが大人しくなるわけがない。その証拠にホウルラまで睨まれてしまっている。


「ホウルラは知っていたのでしょう? どうして止めなかったの? ホウルラだってコンラドとは友人でしょう?」

「友人だからこその判断でございます」


 そうとしか言いようがないのだろう。

 正直言いづらいとは思う。オイヴァ達のやっている事は、一言で言えば『連座阻止』なのだ。プロテルス公爵家は罰せられるべきだが、何の罪もないコンラドまで父親の罪を被る必要はないと。


 でも、リアナは分かっていない。だから怒っているのだ。


 一旦、布をベッドの上にある小さなテーブルに置いてからお茶を一口飲む。


「ねえ、リアナ。オイヴァにはリアナの気持ちは話したの?」

「どうせ聞いてはくれないと思うわ」


 ふてくされているが、そんな事はないだろう。オイヴァだって大事な事はきちんと話し合うべきだという事は分かっているはずだ。


「わたくしからもオイヴァに話しておくから」


 とりあえずそれだけを言ってなだめる。


「絶対よ。コンラドが不当な扱いを受けるなんて許せないもの」


 そんな事を言ってくる。話しておくのは、リアナに事情を詳しく説明する方の話である。でも、今はそんな事を言う必要はないだろう。

 なので『わかったわ』とだけ返事をしておく。


 リアナが少しだけ落ち着いたので、麗佳は刺繍をもう一度手に取った。


「ホウルラ、ここのステッチの事で少し聞きたい事があるのだけど……」


 そしてさらりと話題を変える。今のは不自然ではないだろう。

 大丈夫だったようで話題は刺繍のステッチの事になった。麗佳は心の中でホッと息を吐いた。

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