第22話 強者と後ろ盾

 落ち着かない。


 ため息を吐きたかった。でも、今そんな事をするのは良くない。王族らしく、しゃんと背筋を伸ばしていなければいけない。


 ヴェーアルに送られる隠密は少なくない。隠密を送ってくるのはヴィシュだけではないのだ。彼らを全員捕らえていたら牢屋が超満員になってしまうだろう。

 その中にはただ『魔王家の生活を主に報告する』という役目の者もいる。刺客の場合は捕えなければいけないが、彼らに害はない。なので放置する事にしている。それにこちらも魔法も含めて同様のものを各国に送っているのだ。

 それに関しては今送られているヴィシュの隠密も同様にしている。


 見ているだけとはいえ、前日に来た者に関しては損害があったので、しっかり拷問や尋問をしたが、そんな事は珍しい。


 今日はその事でヴィシュに『害を加える気がないのなら別に見ていただいてもいいですよ』とアピールする場なのだ。だから見せても別に問題のない所はあえて見せている。とはいえ、今日ほど大盤振る舞いする事は普段はない。今日だけだ。


 それは分かっている。でも、こんな『授業参観』は嫌である。敵に見張られているのは本当に不愉快だ。おまけに、まだ少し昨日の体調不良も残っている。

 もう、最近ではおなじみのふかふかのクッションの中に沈み込んで逃げたくなってしまう。


「レイカ殿下」


 ウィリアムが声をかけてくる。麗佳は姿勢を正した。


「はい、お師匠様」

「気持ちは分かりますけどね……」

「すみません」


 先ほど言葉に続くのは『あまり甘えた態度をとってはいけませんよ』だろう。その理由は麗佳も分かる。だからきちんと謝る。


「納得がいってないようですね」

「え? はい」


 素直に答えてしまった。ウィリアムの前ではいくら取り繕っても無駄なのだ。

 ウィリアムは苦笑する。でも、その苦笑の仕方が麗佳の内心をしっかり理解しているようで複雑だ。年の功というやつだろうか。


「大丈夫なのでしょうか? 授業内容を公開してしまって」

「まだ未公開の魔術を研究しているわけではありませんから」


 それもそうだ。そんな難しい事をまだ麗佳が習えるはずもない。

 それなら安心なのだろうか。そう思っておくしかない。


 いい加減授業に入りましょう、と言われ、はい、と返事をする。


 今日は新しい魔術文字を習う、覚える文字が増えると使える魔術が増えるので嬉しい。

 でも、今日出てきたのはなんだかどこかで見たような気がする。

 でも、教えてもらった覚えはない。そうなのだったとしたら間違いなく覚えているはずだ。

 考え込んでいる麗佳をウィリアムはどこか楽しそうに見ている。


「お師匠様、この文字は……」

「どこかで見た覚えがある。そういう事ですか?」

「はい」


 素直に認める。ここは隠してもどうしようもない。


 それにしてもどこで見たのだろう。ウィリアムに教わっていないという事は、勇者時代に見たのだろうか。もうあれから何年も経っているのでわりとうろ覚えだ。


 ウィリアムは小さく笑い一枚の小さなメモ用紙を差し出した。


 それは麗佳が昔いつも持ち歩いていた小さいサイズのリングノートの一枚を破ったものだった。とても懐かしい。今は王族にはふさわしくないとしてリングノート自体は実家に置いてもらっている。


 でも、今、大事なのはリングノートではない。そこに書かれたものだ。


 これはラヴィッカの街で必死に移した『カンペ』の中の一つだった。いろいろな術を調べている中で全部はとても覚えきれないのだ。大事そうなものをそのノートに書き写したのだ。

 そしてこれは……。


「攻撃系の魔術をどんなものでも解く術ですね」

「そうですね」


 これを使った時の事は忘れられない。オイヴァと軽く戦った時の事だ。殺されそうになった時に必死にその手から逃れようとして使った術だ。とはいえ、その時オイヴァの方が本当はどういうつもりだったのかは分からない。聞けばいいのだろうが、まだ怖くて聞けていない。


 そして、これは目の前にいる麗佳の師匠が開発した術でもある。どうやらレベルが高すぎて発動出来るものはほとんどいないらしい。麗佳は珍しい『例外』のようだ。

 今思えばあれは火事場の馬鹿力みたいなものだったのかもしれない。


 何を考えているのかと聞かれたので素直に答える。するとウィリアムはおかしそうに大笑いをした。


「そんな勢いだけで発動出来る術だったら、私の弟子はもっと多かったはずですよ」


 つまり、偶然ではなかったらしい。それだけの才能があったと言われるのは少し気恥ずかしいが、正直に嬉しい。


 これは間違いなく褒められている。なので素直にお礼を言う。


 そして、これは麗佳達を見ている隠密へのメッセージでもあるのだろう。麗佳はわりとヴィシュの者達に馬鹿にされている。よく『あの小娘』と呼ばれているのもそういうことだ。

 今回の事はきっとそれも払拭する目的があるのだ。だからあえてこの場でこんな話をしている。そうして『大魔導師デイヴィス』が麗佳の後ろ盾にいるのだと示してくれている。


 これはもっと深く考えれば、『魔王妃に何かがあればイシアル王国をも敵に回す可能性がある』という事でもある。ヴィシュ側はそこまで深読みしないかもしれない。エルシー王妃あたりが気付いてくれればありがたいのだが難しいだろうか。


 でもしないならしないでも問題はない。『大魔導師デイヴィス』の後ろ盾だけでも十分に大きいのだ。

 最初にこの部屋に入室して、いつも通り『よろしくお願い致します、お師匠様』と挨拶した途端、上の方から誰かが転んだようなガタンとした音が鳴ったのだ。


 仮にもプロであろう隠密が『驚いたあまりに大きな音を立てて転ぶ』などという初歩的なミスをするほど驚いたのだ。つまり効果はあったという事だろう。


「それにしても、改めて見ましたが、わたくしの知っている文字も幾つかありますね。この魔術式」


 素直に思った事を言うと苦笑いされた。


「上級レベルの魔術でも簡単な文字が混ざっているのもたくさんありますよ」


 言われてみればそれはそうだ。逆はないだろうが。


「さて、いつも通り、この文字の意味とその文字を中心に作る基本的な魔術式を教えましょう」

「分かりました」


 完全に授業に入った。説明された後はその術を実際に発動する実践が待っている。敵に見られているからこそ気は抜けない。ここまで言われて失敗するわけにはいかないのだ。


 麗佳は気を引き締めてウィリアムの言葉に集中した。

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