第20話 謎の言葉

「それで、手紙の原文がなくなってしまったと……」


 オイヴァが冷え冷えとした声を出している。


「申し訳ございません!」


 目の前の三人の文官達がぶるぶる震えながらひれ伏している。


 そんな姿を見ると、少しだけ気の毒に思えてくる。でも、やってしまった事が重すぎるのだ。麗佳は顔の前で扇子を広げながら無言で座っていた。今、彼らに助け舟を出すべきではない。

 執務室にはゴージャスな扇子はふさわしくないかもしれないが、一応威圧用にと渡されたのでとりあえず持っている。でも、実際は今が夜中なのであくびを隠すためだろう。夏なので持っていても不自然ではないのがありがたい。


 何も言わない王妃を見て事の重大さを改めて思い知ったのだろう。余計に三人が震えてしまった。


 とはいえ、ヴィシュの隠密があんな所まで入ってくるのは予想外だった。捕らえられた男は先ほどオイヴァ主導でしっかりと尋問されたようだ。


 麗佳も尋問について行こうと思ったのだが、オイヴァに恐ろしいほどの笑顔で『留守番していなさい』と言われてしまった。いつもなら王宮魔術師として無理やりにでもついていったかもしれない。でも、今は体の方が大事だ。とは言っても、待っている間は全然眠れなかったのだが。

 尋問時の魔術師の付き添いはユリウスに頼んだそうだ。前ラヒカイネン侯爵家嫡男が来たら敵もびっくりだろう。ある意味最高な人選だったのかもしれない。


 それに、麗佳がいなかったぶん遠慮なく拷問が出来たはずだ。それは尋問から帰って来た時のオイヴァの雰囲気でよく分かった。侵入者は相当恐ろしい目に遭ったに違いないが、仕方のない事だ。捕まった隠密の末路などそんなものである。

 結果、いろいろと吐いてくれたようなので、後で話を聞くつもりだ。王妃が情報を持っていないのはまずい。それはオイヴァも分かってくれているはずだ。


 とりあえずその場では、侵入者がアーッレ王の遣わした隠密だったという事だけ教えてもらった。


 今はそれより目の前の三人と、燃えてしまった手紙の方が大事だ。侵入者の拷問が終わるまで見張り付きで待たせていたせいで、彼らの怯えが最高潮になってしまっている。


「あの……陛下の魔法で手紙を復活させる事は?」

「無理だな。魔法で燃やしてしまったものは、いくら私といえどもどうにもならん。普通に火を使うのとは違って灰が出ないからな」


 軽く助け舟を出してみたが、追い打ちをかけるだけになってしまった。これはもう責められるしかない。


 それにしてもこの言い方だと、灰があれば復活させる事が出来るという事だ。

 魔術では破れた手紙をくっつける事が一応出来る——とはいえ麗佳はまだ出来ない——くらいだ。それでも跡が残ってしまうので完全復活とはいかない。

 だから、灰から紙を完全復活出来るというのはとんでもないことなのだ。さすが『魔王』の魔法だと感心する。

 とはいえ、今はそれが出来てもどうしようもないのだが


 その魔王が重々しいため息を吐いた。それだけでまた男達がびくっと震える。


「一応、翻訳の写しは残っているのだな?」

「は、はい」


 実際には『翻訳魔法を使った結果を分かりやすく紙に書き直したもの』なのだが、ヴェーアルでは『翻訳の写し』といえばこれなのですぐに意味が分かる。


 三人の文官の中でリーダー格の男がうやうやしく——と言っても手は震えていたが——オイヴァに紙を差し出す。これがあるだけまだ良かったのかもしれない。


 オイヴァが静かに紙に目を通す。真剣に読んでいるからだろうが、表情が険しいのが恐ろしい。麗佳でさえそう思うのだから、文官たちはもっと怯えているだろう。


「……理解できない単語があったのか」


 そして、問題を突く。

 『ひっ!』という声が聞こえた。オイヴァは別に責めているつもりはないだろう。真実を言っているだけだ。でも原文がない以上、責めているに等しい。


「王妃」

「えっ!? あ、いえ。何でしょうか、陛下」


 いきなり呼ばれる。それに驚いたせいで余計な前振りを入れてしまった。オイヴァは軽く吹き出した。そして、翻訳の紙を渡してくれる。


「お前には分かるか?」

「確認してみます」


 そうとしか言えない。とりあえず紙を受け取る。


 ざっと文に目を通す。


 手紙は謝罪から始まっていた。彼もあのせっかちなやり方はいけないと思っていたらしい。

 オイヴァが怒っていたのも麗佳が困惑していたのも気づいていたという。


 それでも焦っていたのは、どうやら、足を滑らせて崖から落ちた瞬間に召喚されてしまっていたらしい。その崖自体はあまり危険のない所らしいが、それで行方不明になると死亡扱いにされるのではないかと心配したようだ。


 ここまで読むと、彼が『元の世界に戻れる』と確信していた事がよく分かる。オイヴァの『違和感』は当たっていたということだ。


 でも、それは何故だろう。読み進めていけば理解できるだろうからそうする。


 それにしてもこの翻訳版には注釈が加えられていて分かりやすい。敬称忘れもきちんと補足で付け加えられている。どうやら『魔王』の表現も間違っていたようだ。

 これに関しては仕方がないと思う。魔王の分かりやすい直訳は『闇の国王』なのだ。

それに対して勇者が書いたのは『悪魔の王』だ。麗佳にはなるほどと思うが、オイヴァ達には『悪魔の王って何だよ』と戸惑ってしまうに違いない。だからきちんと意味をとって意訳をしてくれたのだ。そういう点では彼らに感謝すべきだろう。


 と、感謝している場合ではない。肝心の『勇者が事情を知った理由』を確認しなければならないのだ。


 続きに目を通す。そして困ってしまった。


 その手紙に書いてある肝心な言葉が先ほどから問題になっている『文官たちが分からなかった単語』だったのだ。『〇〇のおかげで自分は真実を知る事が出来た。勇者達にはとても感謝している』と書いてあった。


 その単語はどうやら『レド』と言うらしい。ただ、『レッド』か『レード』、あるいは『レト』かもしれないと補足が書いてあった。正しい発音が分からない。文字が分かれば発音もある程度確定するかもしれないが、原文が焼けてしまったのでどうしようもない。


 『レッド』だったら英語で赤だが、彼の喋っていた言語は英語ではなかった。


「……もっと詳しく書いてくれればいいのに」


 勇者のせいではないが、小声でつい文句の独り言が口から出てしまった。


「申し訳ございません、王妃殿下!」


 文官がまた揃って頭を下げる。


 返事をしようと思ったが、オイヴァに厳しい視線で止められる。つまり情けをかけるなと言っているのだ。それだけの事を彼らはしてしまった。そういう事だ。


 最後まで読み進めてみたが、肝心な事は分からなかった。分かったのがせっかちだった理由だけというのはちょっと複雑だ。


「王妃も分からなかったか」

「ええ。これだけの情報ではわたくしにもどうにもならなくて……。お役に立てなくて申し訳ございません」

「構わん」


 そう言っているが、オイヴァの表情は少しだけ残念そうに見える。


 シュンと俯く。オイヴァが気にするなというように麗佳の腕を軽くポンポンと叩いた。

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