第16話 怒りの茶会
ヴィシュの王族を死なせないように命じたのは確かに自分だ。だが、オイヴァは今、それを撤回したくなってしまっている。
ヴィシュの王太子がレイカをお茶に誘った。既婚者だと分かっていて、二人きりでお茶をしようとしたのだ。これはどう考えても『誘惑』だとしか思えない行為だ。
本人には別に悪意はないのかもしれない。マウリッツ王太子はまだ若いし、男女のなんたるかを知らないのだろう。そう考えないと落ち着かない。
まだ、レイカがきちんと断りの姿勢を見せたから冷静でいられるのだ。そうでなければ、その場で殺しに行ったかもしれない。
とりあえず、オイヴァが釘を刺しに行くことで落ち着いた。その手紙もオイヴァが書いた。一応、『王妃は明日、予定が入っているので、代わりに自分が参加する』と書いたが、向こうはそれだけだとは思わないだろう。裏の意味も読み取ってくれれば幸いである。
ただ、レイカには、ヴィシュ側が魔王夫妻を引き離して罠に嵌める可能性もあるのではないかと言われた。確かにその可能性はなくはない。
自分の身は自分で守れるから何の問題もない。問題はレイカだ。
もう少し護衛の人数を増やした方がよかっただろうか。もう充分すぎるくらいつけているが、心配になってしまう。
でも、心配している場合ではない。やれることはやった。今、自分が考えなければならないのはこれから参加する茶会だ。
自分はマウリッツ王子の真意を聞かなければならないのだ。どうしてあんな事をしたのか問いたださなければならない。
決意を固めてマウリッツ王太子の泊まっている部屋に向かう。茶会はそこで行われるのだ。
オイヴァが部屋に着くと、マウリッツ王太子の従者であろう男性が迎えてくれる。
だが、歓迎されている様子はない。厳しい視線を向けられる。
「どうぞ」
それだけを言う。まさか魔族の前ではそんな態度を取ってもいいとでも思っているのだろうか。
そんな事をしてオイヴァが機嫌を損ねるとは思わないのだろうか。それともわざと怒らせているのだろうか。
静かに眉を潜める事で不快感を示す。だが、向こうは気にしていないようだ。オイヴァの方を見ようともしない。
「王太子殿下、魔王をお連れいたしました」
その言葉に、オイヴァは今度こそ怒気を向けた。さすがにマウリッツ王太子の従者が怯える。
そんな風になるのなら喧嘩を売らなければいいのだ。
部屋の中のマウリッツ王太子もどこか緊張しているように見える。
とりあえず定型の挨拶を交わす。だが、少しだけ視線に軽い怒りを見せた。
最初からこういう態度を取られるとは思わなかったのだろう。マウリッツ王太子が分かりやすく怯えている。だが、それはオイヴァの妃を誘った代償として考えればまだまだ足りないのだ。
威圧感を残したまま席に着く。
サーブしてもらったお茶にもお菓子にも毒のようなものは見当たらない。密かにつけている毒見役からも大丈夫だというサインももらった。でも、あえて口はつけない。それで、『お前達など信用しない』と示しているのだ。
魔王の異様な雰囲気に周りもどうしたらいいのか分からずオロオロしている。
「さてと、マウリッツ王太子、少しお伺いしたい事があるのですが」
オイヴァはすぐに本題に入った。
心当たりがありすぎるのだろう。マウリッツ王太子がびくりとする。そして、何故か人払いをした。
おかしすぎる。とりあえず、オイヴァの方は隠密だけはしっかりと残しておいた。
「申し訳ありませんでした」
だが、マウリッツ王太子の話は謝罪から始まった。戸惑いのあまり、オイヴァは怒りの表情を消しそうになってしまう。
「どういう意味での謝罪ですか?」
「魔王陛下からの手紙を受け取った時に母に問いただされまして……その……」
叱られたという事なのだろう。あれはどう考えても非常識な行為だった。
「分かっていただけたのなら、私から言うことは何もありませんが……」
そう言ってから一呼吸分だけ溜める。
「……私の妃を誘った理由くらいは教えていただきたいですね」
威圧感のある笑みを向ける。マウリッツ王太子の口から『ひっ!』という言葉が漏れた。一国の王族なのだから、それくらい耐えたほうがいい。
「マウリッツ王太子殿下は、いつもこうやって女性を誘っているのですか?」
彼にとってはかなり侮辱的な発言だろう。でも、そう取られてしまってもおかしくはない行為だったのだ。
「誘っているわけでは……!」
心外だというようにそう怒鳴る。それから今の状況を改めて考え直したのか、『いや……』と小声で言って小さくなった。
「確認したい事がある時は、男女関係なく、こうしてプライベートの場で話を聞いた事はあります」
もう呆れ返るしかない。よく周りが許したものだ。
「他国で同じ事をしてただで済むと思うのですか?」
でも、言うことはしっかりと言う。まだオイヴァは彼の事を許していないのだ。
「それで? 王妃に何を聞こうとしたのですか?」
一応尋ねてみる。マウリッツ王太子が『え?』とつぶやいてオイヴァの顔をまじまじと見た。
「私は基本的に妃と情報を共有していますから、答えられる事もあると思いますよ」
どうぞ、と言う。ただ、威圧感は消さなかった。
マウリッツ王太子はしばらく考え込んでから思い切ったように口を開いた。
「魔王陛下は今後、ヴィシュを征服する気が……」
「ないが?」
食い気味に遮って答える。
正直、ヴィシュなどいらない。大陸に領土を広げる気などない。『ヴェーアル王国』はこのそこそこ広い島だけで充分なのである。
予想外の答えだったのだろう。マウリッツ王太子が戸惑っている。
「ヴィシュにはそう広まっているらしいですね。勇者時代のレイカから聞いて驚きましたよ」
これで元々そんな気が無かったと分かってくれればありがたい。
「それで、何故王妃にそんな事を聞こうとしたのですか?」
この話題ならオイヴァに聞けば済む話である。魔王が恐ろしいので魔王妃にクッションになってもらおうとしたのだろうか。
マウリッツ王太子は困ったように口ごもる。
「えっと……その……魔王陛下は……魔王妃殿下をヴィシュの形だけの女王に据えようと考えていらっしゃると思いまして、それで、どういうつもりなのか、ご本人にお話を聞こうかと」
「……なん、だって?」
あまりのとんでもない話にオイヴァは唖然としてしまった。
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