第14話 コンラド・プロテルス
オイヴァと麗佳は執務室で書類仕事をしていた。
「イリーネ、これをエルシー王妃殿下に届けて頂戴」
「かしこまりました、王妃殿下」
書いたばかりの手紙を女官に預ける。
「今朝お前に届いた茶会の誘いか?」
「ええ。明日の。お誘いを受けるという事になっていたでしょう?」
「警備は厳重にするから」
「……ありがとうございます」
オイヴァが本当に心配性になってしまった。罠の可能性もあるから当たり前なのかもしれないが。
あちらも舞踏会で大騒ぎして毒見したのだから、麗佳がしても許されるはずだ。
「それにしても、昨日のマウリッツ王子の態度は何なんだ」
エルシー王妃への手紙で昨日の夜会の事を思い出したオイヴァが不機嫌そうに呟いている。
確かに麗佳も気になっている。最初は
「どこか……観察、というか探るような目でしたね」
その目を思い出しながらそう答える。
とはいえ、麗佳を観察した所で何が出てくるわけでもない。
「オイヴァを怒らせようとしていたのかしら?」
出てくるとしたら魔王の怒りくらいだ。
「私があの場で怒り狂って怒鳴り散らしたり、攻撃魔法を放ったりするとでも思われていたのか?」
オイヴァが眉をひそめている。
「そうかもしれないと思っただけですわ。その前にプロテルス公爵令息にも話しかけていらっしゃいましたし」
「ああ、コンラドにか。確かに話しかけてたな」
これは気にしていないようだ。おまけに笑っている。この違いは何だろう。
オイヴァはこうなると分かっていた上でプロテルス公爵令息を夜会に参加させたのだろうか。
でも、理由が分からない。
「多分、そろそろ……」
オイヴァがそう呟いた時、彼の侍僕がプロテルス公爵令息の来訪を告げた。オイヴァが『ほらな』と言うように唇の端を上げる。
麗佳は急いでオイヴァの隣に移動した。普段の仕事は対面でするが、臣下の訪問の時には並んで迎えるのだ。
部屋に入ってきたプロテルス公爵令息はどこか緊張しているように見えた。当たり前だ。
対するオイヴァは表情こそは厳しいが、そこまでピリピリはしていない。
「コンラド・プロテルス」
オイヴァがプロテルス公爵令息に話しかける。フルネームで呼ばれ、プロテルス公爵令息の方は震えている。
「どうだった? 久しぶりの夜会は」
プロテルス公爵令息は何も答えない。悔しそうに唇を噛んでいる。
「よく分かっただろう。お前がヴィシュにどう思われているのか」
オイヴァは冷たい声で追い詰めていく。
「分かっています。それでも……。いえ、だからこそお断りさせていただきます」
「この状況で拒否するというのか、お前……」
オイヴァは呆れた表情でそんな事を言っている。だが、麗佳には二人が何のことを言っているのかさっぱり分からない。また麗佳達に内緒で何かを企んでいるのだろうか。
でも、『何の話をしているのですか?』と聞ける雰囲気ではない。同席しか許されていないような気がする。聞いているうちに分かるだろうか。
「お前が皆にどう思われているのか、昨日充分に理解しただろう?」
そう言いながら冷酷な笑顔でプロテルス公爵令息を威圧している。オイヴァが気付いているか分からないが、先ほどと同じ事を言っている。よほど大事なことなので二回言ったらしい。
「なんなら、最初から王命にしてやってもいいぞ。それなら頷かざるを得ないだろう」
「な、何故、そこまで……」
その緊張感の中でイリーネが帰ってきた。部屋の異様な雰囲気に何事かと思ったようで軽く目をぱちくりしていたが、プロテルス公爵令息を見た途端に納得したような表情になる。
オイヴァはイリーネには話を通したのだろうか。本当に何が起こっているのか分からない。
プロテルス公爵令息はそんなイリーネの表情を見て何かを悟ったらしい。驚愕の目をオイヴァに向けている。
「ああ、言っておくが、カシミルやホウルラ達に何とかしてもらおうと思っても無駄だからな。話は通してある。……みんなこちら側だ」
オイヴァからの威圧にプロテルス公爵令息は金魚のように口をパクパクしている。
カシミル、イリーネ、そしてホウルラはスオメラ公爵の子供達だ。イリーネは侯爵家に嫁いでいるが、親子の縁が切れたわけではない。
つまり宰相一家に許可を取らなければならない何かをオイヴァが企んでいるということだ。これは間違いなく宰相も了承しているのだろう。
何の話かはまだ分からないが、プロテルス公爵令息に勝ち目がないという事だけはよく分かった。
「もう観念したほうがいいぞ、コンラド」
笑顔でとどめを刺している。勝ちを確信して余裕だからなのか、どこか表情が穏やかに見えた。
「どうして、そこまで……」
プロテルス公爵令息が先ほどと同じ質問をした。
「前にも言ったが、こうしないと貴族の権力バランスが壊れてしまうんだ」
分かるだろう? と子供に言い聞かせるような口調で言っている。
「それは分かりますが、それはすでに飲んだ条件を実行に移せば終わる事では?」
「それでは王家への攻撃材料が増えるだけだ。プロテルス公爵の派閥が助長するだろう。公爵が投獄されて力が弱まっているとはいえ、まだ危険がないとはいえないからな」
キッパリと言われ、プロテルス公爵令息がうなだれている。自分の父親の事なので複雑な気持ちなのかもしれない。
「派閥が復活した時に新たに頭に据えられる危険性があると?」
「『危険性』どころではない。一部がその方向で準備していると情報を得ている」
それは麗佳も初耳だ。内心驚いていると、オイヴァがテレパシーで『数日前に隠密から連絡が来たんだ』と教えてくれる。かなり新しい情報らしい。
「それほど、僕の周りは危ないっていう事ですか?」
「そうだ」
オイヴァがきっぱりと言った。プロテルス公爵令息はもう泣きそうだ。
「国王としてそれはどうしても避けたい。分かるな?」
「はい」
「これが成立すれば、お前がこちら側だという事が周りに伝わるだろう」
「だからって、カシミル様達まで巻き込んで!」
「人聞きが悪いな。私は誰も『巻き込んで』なんかいない」
オイヴァと、そしてイリーネまで苦笑している。
「本来なら……」
プロテルス公爵令息がそれだけ言って口をつぐむ。
そして困ったようにキョロキョロと視線を彷徨わせて、何故か麗佳と目があった。
「そ、そうだ! この話を進めたら、王妃殿下が悲しむのではないのでしょうか?」
『わ、私ぃー!?』と咄嗟に言い返しそうになって堪える。いきなりどうしてこちらにふられないといけないのだろう。わけが分からない。
「何故レイカが悲しむという話になるんだ」
オイヴァも同じ事を思ったようで訝しげにそんな事を尋ねている。
「前に似たような話が父から出た時に、王妃殿下が『寂しくなるからそんなのは嫌だ!』と我儘を言って潰した、という噂を聞いたので」
全く身に覚えがない。大体、王妃の我儘一つで物事が簡単に決まってしまうなんていう事はない。もし、麗佳が個人的な我儘で何かを潰そうとしたら、待っているのは各方面からの説教である。
「そんな事があるわけがな……」
オイヴァが呆れた表情でそう言いかけて、止まる。そして、『ああ』とつぶやいて吹き出した。
本当に全くわけが分からない。誤解なら何とか解きたいが、内容が分からなければどうしようもない。
「陛下?」
「多分、『馬の骨』の話だろう」
珍しい言葉が出てきた。確かその言い方は魔族語では存在しなかったはず、と考えて麗佳も思い出した。
プロテルス公爵が、リアナとアイハ王国の王子との婚約話をオイヴァに無断で勝手に進めていた話だ。
「あれはただの公爵の暴走だったのでは? 陛下も、というより、陛下が一番反対していらっしゃったではありませんか」
「そうだな。ただ、あの時の公爵には、お前の評判を落とす材料が必要だったんだよ」
それは分かる。あの時の麗佳は、まだ『王妃』ではなく、ただの『王の婚約者』で立場が弱かったというのもある。
その話の流れで、麗佳にもオイヴァが何を企んでいるのかやっと分かった。
反対はしないが、大丈夫なのかと心配になる。でも、他ならぬオイヴァが決めた事なのだから心配いらないのだろう。
「後で詳しく説明する」
ちらりとオイヴァを見ると、そう返事が返ってきた。とりあえず『わかりました』と返事をする。
そして、オイヴァは改めてプロテルス公爵令息に向かい合う。
「まあ、まだ時間はある。ゆっくり良い返事を出来るように考えるといい」
どうやら良い返事しか期待していないようだ。
プロテルス公爵令息は困ったように俯きながら『はい』と答えた。
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