第13話 『歓迎』の舞踏会

 魔王の巧みなリードで楽しそうに踊る魔王妃を、エルシーは先ほどから見ていた。


 妊娠中であろう彼女に無理をさせないように、簡単な曲が選ばれている。でも、難しい曲を踊っているのと同じくらい、彼らのダンスはみんなの視線を引きつけている。


 今日の魔王妃は美しい緋色のドレスに身を包んでいる。それに魔族特有であろう魔術がかかっているのはなんとなく分かった。

 これは一番上等のマタニティドレスだ。

 魔王夫妻が隣国の王族に敬意を払っているのは、そのドレスを見るだけで分かる。


 今日はエルシー達を迎える『歓迎の舞踏会』が開かれているが、魔族達にはこれは不本意なのだろう。先ほどから社交辞令以外では声をかけられていない。何人かの魔族の有力貴族からダンスには誘われた。でも、それだけだ。


 だが、その代わり、厳しい言葉もかけられない。


 給仕から差し出される飲み物にも変なものは何も入っていないようだ。マウリッツの侍僕が騒いで確認していたので間違いない。


 これが、魔王なりの配慮だということにエルシーは気づいていた。やはり、ヴィシュで息子に言った通り、魔王は他国に対する礼儀を知っているのだ。


 分かっていたが、やはり魔王がエルシー達を呼び出したというのは嘘だ。そして、魔王妃が呼び寄せたというのも、息子の考えすぎだ。


 こんな状況で敵国の王族を招きたい者などいない。それは人間でも魔族でも同じようだ。


 昨日の茶会でも、オブラートには包んでいたが、『貴方方が来てとても迷惑だ』というような事を言われた。それも魔王本人にだ。

 気持ちはとても分かる。


 だからだろうか。少しだけ魔王妃におせっかいをしてしまった。あちらは、攻撃の言葉だと捉えたかもしれないが、あれは間違いなくエルシーにとっては『しなくてもいいおせっかい』だった。


 夫王の性格上、エルシー達の訪問が終わった後に魔王妃の妊娠を知ったら攻撃材料にしそうなのだ。悪い噂という形で。

 だから、先に『ヴィシュの王妃は訪問初日に気づいていた』という証拠は作っておいた方がいい。あの発言は夫王の息のかかった者も聞いていた。


 ある程度あの発言による悪い影響もあるだろうが、それは魔王側がなんとかするだろう。あの愛妻家の魔王ならそれくらいしていなくてはいけない。


 ヴィシュ敵国の王妃としてはこれくらいはしても許されるはずである。


 マウリッツはどうしているのだろうと探してみると、一人の貴族であろう魔族と話していた。とはいえ、向こうも取り繕ってはいるが、あんまり友好的には見えない。

 大丈夫だろうかとハラハラする。一体何を話しているのだろう。ここからでは話し声は聞こえないのだ。


 話が終わったようで、マウリッツがその貴族の側を離れる。そしてこちらに歩いてきた。


「お母様、こちらにいらしたのですか?」

「ええ、マウルも休憩?」

「はい」


 そう言った後で軽く沈黙した事で、彼も居心地が悪いことが分かる。


「さっき、あの魔族の方と何を話していたの?」

「少し挨拶をしていただけです」


 挨拶をするだけであんなに警戒されるだろうか。


 でも、もしかしたらそうなのかもしれない。この場所ではエルシー達は異質な存在なのだ。一言話しかけただけでも『何の用だ!?』と言われて逃げられてしまいそうだ。あの魔族は逃げていなかったが、笑顔の裏で『嫌だ』という意思は見えていた。


「うちの王家と仲良くしてくださっている魔族のご子息なのだそうです。それで、お父様がよろしく伝えろと」


 危険な発言だと分かっているようで声を潜めている。それでも、エルシーは頭を抱えたくなった。きっと、その魔族はこれから魔王に警戒されるだろうし、変なことを言ったということで、エルシー達の印象もさらに悪くなっていそうだ。

 とは言っても、それが国王の命令ならば、そうしなければならないのだろう。間違いなく、監視はいるのだから。


「危ないことはあまりしないでね」


 とりあえずそれだけを言う。


「一応、挨拶をしただけなので」


 それでも安心だとは言えない。でも命令の実行を最低限にしたならまだ良かったのかもしれない。


「これから滞在中にその方と話す予定はあるの?」

「今のところはありません」


 その返答にほっとする。滞在中にこれ以上魔王を怒らせるわけにはいかない。


「それより……」


 そう言って沈黙している。安心するのはまだ早かったようだ。他の魔族には接触する予定があるのかもしれない。

 本当に何を考えているのだろう。


 この国の王族を敵に回すのはやめなさい、と叱責しようとしてやめる。それは今更だ。もうヴィシュ王国は充分すぎるほど魔王を敵に回してしまっている。今、滞在中のエルシー達が無事なのが不思議なくらいだ。


 魔王夫妻がこちらに近づいてきた。身を固くしそうになるのを堪え、笑顔を作る。


「エルシー王妃殿下、マウリッツ王太子殿下、楽しんでいらっしゃいますか?」


 相変わらず魔王妃の肩を抱きながらそんな事を言ってくる。


 しばらく壁の花になっていたから気にかけてくれたのだ。それでも、それは『主催者の役割』だからやっている。それだけだというのはよく分かっている。


「ええ。こんな素晴らしい夜会を開いてくださってとても感謝しております」


 なのでありきたりな返事で返す。間違いなくこう返せば正解だ。


 それにしても魔王は本当は何をしに来たのだろうと不安になる。先ほどの息子の行動について、余計な事はするなと釘を刺しに来たのだろうか。


 だが、この城の生活には慣れたか、不自由はしていないか、という話しかしていない。声にも棘もない。おまけに笑顔だ。だからこそ恐ろしい。内心では何を考えているのか分からないのだ。


 息子も不安なのかあまり発言をしない。でも、とりあえず魔王ほど怖くないとはいえ、魔王妃の方ばかり見るのはやめた方がいい。

 魔王妃はその視線を受けてどこか困惑しているような表情をしている。


 とはいえ、この場で注意も出来ない。魔王が気にしていない事を願うだけだ。


「マウリッツ殿下はどうですか?」


 魔王がマウリッツにそう問いかける。それで、魔王がとても気にしているという事が分かる。当たり前だ。配偶者を他の男性にジロジロ見られたらいい気はしない。

 魔王に話しかけられて、マウリッツは驚いたように彼のほうを見た。


「いいえ。何も不便はありません」

「そうですか。それならよかったです」


 何とか取り繕ったようだ。


 引き続き舞踏会を楽しんでください、という定型的な挨拶をしてから魔王夫妻は離れる。王族なので他にも話すべき者はたくさんいるのだ。


「マウル、あまりお母様をヒヤヒヤさせないでちょうだい」


 二人が完全に離れた後、エルシーは息子に小声でそう注意した。

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