第8話 飲み会帰りの夫

「おかえりなさいませ、陛下」


 麗佳は寝室に入ってきたオイヴァに丁寧に挨拶をした。


「……ああ、今戻った」


 オイヴァは一瞬だけ目を見開く。だが、すぐになんでもないような表情に戻った。

 取り繕うのがはやすぎる。もう少しだけ動揺していて欲しい。


 なにせ、今の麗佳はいつもより可愛いはずなのだ。


 侍女によりいつも以上に念入りなスキンケアを受け、いつもより少しだけ色っぽい感じの化粧をし、おまけにオイヴァの一番気に入っているネグリジェを身につけているのだ。これでいつも通りだと言われたら落ち込んでしまう。


「妃殿下、お茶のご用意が出来ました」


 ヨヴァンカが声をかけてくれる。麗佳は素直に『ありがとう』と返事をした。


 この後は夫婦の時間なので魔王夫妻とお茶を残してみんな去って行ってしまう。いつものことだ。

 オイヴァと並んでソファーに座る。


 カップの中のお茶を見てオイヴァは顔を引きつらせた。


「分かってたんだな、レイカ。……私が酒を飲むと」

「うん。仲間内の集まりだって聞いてたからお酒くらい出るかなって思って。そこでオイヴァを仲間はずれにしてたら逆に問題じゃない? 気を使ってたんだとしてもさ」

「でもハンニは私が酒を飲む事をものすごく気にしているように見えたぞ。大丈夫なのかって表情をして」

「そんなに心配しなくてもいいのに」


 目の前にあるハーブティーは『酔い冷まし』という素晴らしい効能があるのだ。とはいえ、魔術も魔法もかかっていないただのお茶なのでそこまで強い効能はないが、ないよりはいい。


 お酒を飲まなかったとしても、このお茶には疲労回復の効能もあるので問題はない。思いがけぬ勇者の来訪から始まった一日はとても長く、麗佳もクタクタに疲れてしまっていた。オイヴァも同じだろう。


 オイヴァは苦笑してからカップを口に運ぶ。麗佳もそれに習った。


「こんな濃い一日久しぶりじゃない?」

「そうだな」


 大変だったね、と言い合いながら二人で笑う。


「でも、いい知らせもあったから私はそれで満足だよ」


 いい知らせというのは間違いなく麗佳がこれから妊娠する事だ。


 麗佳たちはこれからその予言を現実にするのだ。時期的に考えればそろそろ、もしかしたら今日かもしれない。侍女たちもそれを分かっているから麗佳を磨き上げたのだ。

 それを考えると恥ずかしくなってくる。ついうつむいてしまった。


「大丈夫だよ、レイカ。ラーナハスティ殿もこれからずっと出産まで滞在すると言っていただろう」

「うん」


 麗佳が考えていたのはそういうことではないのだが、頷いておく。主治医がずっと城に滞在してくれるのはありがたい。


「でも、ラーナハスティ一族は大丈夫なのかな。カッサンドラ様が不在で」

「カッサンドラ・ラーナハスティにどれだけ弟子がいると思ってるんだ。一番弟子に後を頼んであるから心配ないと聞いている」


 それなら安心だ。


 ただ、昔ハンニに聞いた話しでは、カッサンドラの一番弟子は、奥さんの事になると我を忘れるという事だった。彼の奥さんが出産の時は絶対に仕事を休んで奥さんの専属まじない師になってしまうという。


 奥さんとしてはありがたい存在なのだろうが、仕事放棄はいけない。そう言うと、オイヴァは声をたてて笑った。


「そういえばウィルもいろいろ考えると言っていたな」

「そうだね。お師匠様、結構張り切ってたもんね」

「私たちの仲がいいのが嬉しいんだよ」


 そういうものだろうか。麗佳にはよく分からない。嬉しいのはオイヴァが幸せそうにしているからではないのだろうか。


 今回の妊娠予言でこれからのカリキュラムを変えるらしい。確かに妊娠中にきつい訓練は出来ない。きっと座学が多くなるのだろう。


 まず明日は薬草の講義をして、明後日はつわりの薬を作ると言っていた。どうやら他の人より自分が調合した方がいいらしい。これはラーナハスティ女史も頷いていたので間違いない。


 開発した女性は、自分がつわりで苦しい中、必死で調合したそうだ。必要は発明の母というが、すごい行動力だと思う。


 また、魔族の子供を人間が産むという事で薬草、そして込める魔術の種類も少し変わるようだ。魔族の赤ちゃんは胎内で魔力を放出したりするらしいので普通の人間の妊娠より大変なのだそうだ。


「ま、何より大事なのは予言を真実にすることだよ」

「そ、そう……だね」


 確かにまずは何よりもそれだ。子供が出来なければ準備も何も必要なくなってしまう。

 でも口に出されると照れくさい。


 隣からオイヴァの笑い声が聞こえる。


「照れることないだろう」


 そう言われるが、そんなのは無理だ。


「レイカ」


 名前を呼ばれる。何? と返事をするより早く口づけが落ちてきた。


 オイヴァの唇からはほんのり甘い果物とわずかな酒精の味がした。

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