第6話 安全対策
最初に沈黙を破ったのは麗佳だった。
「それは現在進行形ですか? それとも未来ですか?」
なんだか語学の文法の話をしているみたいだな、と心の中でツッコミを入れる。
「未来の話です。多分、遅くても一ヶ月以内には……」
「そうですか」
今でも何と言ったらいいのか分からない。
「レイカ、どうした? 私たちにも分かるように話してくれ。先ほどからラーナハスティ殿と何の話をしているんだ」
オイヴァが真剣な顔で聞いて来る。麗佳は反射的にごくりとつばを飲み込んでしまった。
「一ヶ月以内に私が妊娠するらしいんだけど……」
どう伝えたらいいのかわからないのでそのまま言ってしまった。しかもつい日本語で話してしまった。魔術で通じているからまだよかったのかもしれない。
オイヴァは一瞬固まる。そして次の瞬間、突然麗佳に詰め寄って来た。
「でかした!」
「まだだから! まだでかしてない! これからこれから!」
驚くあまり、思わず変な言葉を返してしまった。
「オイヴァ、落ち着いて!」
そう言いながらも麗佳自身が落ち着いていない。いまだに日本語で喋っているのがその証拠だ。でもこの状況で落ち着けというのはとても難しい。
「しかし、大丈夫なのでしょうか?」
ヒューゴが心配そうに尋ねて来る。
「ヴィシュ王国の事か?」
確かにそれは心配だ。将来、魔王位を継ぐ子供の誕生をあの国は絶対に喜ばない。
おまけに四ヶ月後にヴィシュの王族が訪問する。その時にアーッレ王の手の者が麗佳に何かしようとする可能性はとても高い。
だから予言を現実にしないという選択肢を取ることも出来るのだ。
うつむいていると、オイヴァが呆れたようにため息を吐いて麗佳の体を引き寄せた。
「今を避けたとしてもいずれレイカは私の子を産むんだ。それを都合が悪いという理由でいちいち避けていては何もならない」
麗佳を抱きしめながらそんな事を言う。オイヴァの言葉はもっともだ。
「それに王妃の身は間違いなく皆が守る。そうだろう?」
その言葉にオイヴァの臣下達が『はい、陛下』と答える。本当にありがたい。
「だからいつも通りの生活を送ろう。いいな? 王妃」
いいな? と問いかけているが、これは命令だ。頼もしい言葉だが、その言葉の中の意味はそういう事である。
はい、と返事をするが、つい笑いを混ぜてしまった。
「レイカ……」
咎められるが、これは仕方がないだろう。
でも、緊張や不安がほぐれたのはよかったのかもしれない。
「予言が現実になるまでは箝口令を徹底しろ」
「もちろんでございます」
この命令は国内対策だと麗佳にはすぐ分かった。人間の、それも元勇者である麗佳が王妃の位にいるのを面白く思わない魔族はまだいる。麗佳を押しのけて王妃の座に着きたい貴族女性もいる。
さすがに王妃のお腹にいる王太子を殺すわけにはいかないし、王太子から母を奪うわけにはいかない。だが、ただの人間である王妃を殺すだけなら何の問題もない。彼らにとってこの一ヶ月間は最後のチャンスなのだ。
そういう貴族がいた場合、彼らは国王であるオイヴァを軽んじているのだ。本人はそう気づいてはいないかもしれないが。
そんな貴族がいない事を願いたい。だが、間違いなくいるはずだ。
「ただし、王妃の護衛は今まで以上に厳重にしろ。もちろんそれくらいは分かっているだろうが」
それは難しい命令だ。大丈夫だろうか、と心配になる。ただ、すぐに隠密の方からテレパシーで『はっ』と返って来たのでほっとする。確かに彼らに頼めば密かに護衛をしてもらう事が出来る。
「大丈夫だからな、レイカ」
何だか速攻で対策をされたような気がする。近い将来、護衛対象が増えるのだから当たり前だ。
「ありがとうございます」
心からのお礼を告げる。今、お礼を言っている対象はオイヴァだが、心の中ではこれから守ってくれる者達全員にも向けて言っている。
「ところでレイカ、もう仕事は終わったのか?」
「ええ、今日までにやらなければいけない分は終わりましたわ」
いきなり話題が変わった。何故、今、魔術師の仕事の話になったのだろう。そろそろ魔術史の授業があるのでそろそろ上がろうと思っていたが、それに関係はあるのだろうか。
「では戻ろうか。私の執務も終わったから」
それは嬉しい申し出だ。ほんの少しの時間でもオイヴァと一緒にいられるのはとても嬉しい。
魔術師長の方にそっと視線を向けると、一つ頷く。上がっていいという事だろう。麗佳はオイヴァに『はい』と返事をして彼の手を取った。
「どこに行くのですか?」
その時、近くから鋭い声が上がった。ウィリアムだ。何か誤解をさせてしまったような気がする。
「魔術史の教科書を取りに行きます」
素直に答える。サボリだと思われてたらたまったものではない。
なのに、何故かオイヴァが、がっくりしたような表情になっている。おまけにオイヴァの様子を見たウィリアム、ヒューゴ、ウティレ、そして何人かの魔族が肩を震わせている。明らかに笑いをこらえているのだ。
何だというのだろう。
「オイヴァ陛下、レイカ殿下はこれからが大変なのですから」
息を一つ吐いて笑いを振り払ったウィリアムがゆっくりした口調で言い聞かせるようにそう言った。
「だから……」
「ですから、ご自身でその身を守れるようにしなくてはならないのです。今まで以上に」
その言葉はものすごく重い。そして大切な事である。ごくりとつばを飲み込んでから麗佳もしっかりとウィリアムに向き合う。
「警備をつけるのも勿論大事ですよ。でも最後に自分を守れるのは自分自身しかいませんからね」
大事な話が始まった。なので真剣に聞く。
「レイカ殿下も覚えがあるでしょう。仲間から引き離されて敵地に一人ぼっちで挑みにいく羽目になったり……」
その原因である男が頬を引きつらせた。何でウィリアムはそんな事を知っているのだろうと不思議に思うが、きっとオイヴァに聞いたのだ、と思って納得しておく。でなければ話が進まない。
あれは一応、助けを求めに行ったのだが、そんな事は今はどうでもいいのだろう。問題はオイヴァがあの時何を考えて行動していたかである。
「去年の事もそうです。対策をしていなければ、貴女はヴィシュに捕われていたでしょう。殺されていたかもしれません」
そういえば、あの魔道具を壊す、という提案を最初にしたのは、目の前にいる麗佳の師匠だった。
「分かりますね?」
ウィリアムがオイヴァの方を見て尋ねた。反射的に返事をしそうになるが、尋ねられているのは麗佳ではないのでこらえる。麗佳はきっと分かっていて当たり前なのだ。
オイヴァが悔しそうに頷く。
「それより、レイカ殿下を守りたいのなら、オイヴァ陛下もある程度鍛えませんといけませんよ」
「え……?」
いきなりウィリアムが爆弾発言をした。
「陛下も……ですか?」
驚きすぎて思わず復唱してしまった。
「必要でしょう。ヴィシュの王族が来るのだから」
そういえばそうだった。確かにそちらの対策も必要だ。
来なきゃいいのに、と麗佳は心の中でつぶやいた。オイヴァも同じ気持ちなのか眉を潜めている。
「陛下の魔術の腕が鈍って来ているというのは前から気になっていたんですよ。なのに、いつも執務が忙しくて時間がないとか。別に大丈夫などと言って逃げて……」
「毎日基礎トレーニングはしているからいいだろう」
「それは当たり前の事です」
「……はい」
オイヴァが叱られているのは珍しい。幼い頃に魔術の家庭教師をしてもらったと言っていたから、いまだに子供扱いをされているのだろう。
『基礎トレーニング』というのは、魔術の基本である光、水、火、風などの魔術を手のひらの上で交互に出していくトレーニングである。とっさの時にどんな魔術でも使えるようにと、五百年くらい前に考案された練習法なのだそうだ。
それ自体はそんなに難しいものではない。麗佳とオイヴァは朝食が終わってから、公務が始まるまでの間にぱぱっとやる事にしている。
とはいえ、今日は忙しくて朝食がずれ込んだせいで、いつもの時間に出来なかった。なので王宮魔術師の仕事が始まる前にこの部屋の片隅でやらせてもらった。オイヴァはどこでやったのか知らないが、きっとどこかでやったはずだ。
それでも、やらないという選択肢はない。トレーニングをしないと何となく魔術の調子が悪い気がするのだ。
「今日はずっとレイカ殿下と一緒にいたいのでしょう。授業の片手間になってしまいますが、それでよければおさらいをしましょう」
「わかった」
と、いう事は魔術の授業中もオイヴァといられるのだ。なんだか楽しみだ。
「せっかくですから、レイカ殿下も実践をしましょう。これからしばらく体力的に負担のかかる事は出来ませんからね。今日のうちに出来る事はやっておきましょう」
「えっと……では、今日の歴史の座学は?」
「もちろんやりますよ。当たり前でしょう。相殺訓練はその後です」
穏やかそうな笑顔のまま厳しい事を言って来る。変更ではなくて追加だった。おまけに実践の中でも一番きつい相殺訓練——同時に複数の魔術が襲いかかってくるのに対処しなければいけない——だ。
今日の魔術の修行はいつもにも増して大変そうだ。麗佳はオイヴァと顔を見合わせて苦笑をするしかなかったのだった。
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