第5話 まじない師見習いの予言
部屋の中に緊張が満ちる。
ラーナハスティ女史とハンニは『まじない師』だ。
『まじない師』というのは、いわゆる予言者兼産婦人科医みたいな存在だ。
麗佳はまだ妊娠していないので、今回の用は間違いなく『予言』だろう。
何かとんでもない事が起きようとしているのかもしれない。
「ハンニ、何があった?」
オイヴァが少し緊張したような声で尋ねる。
こんなに人がいるとは思わなかったのだろう。ハンニはがちがちに固まっている。部屋に入って来た時は予言の内容の事で興奮していたが、今、冷静になって逆に緊張してしまったという事だ。
「ハンニ、私たちに報告があるのだろう?」
オイヴァの声が厳しくなった。無理もない。緊張の為とはいえ、大事な報告をじらされているのだ。
麗佳の記憶が正しければ、これはハンニの初めての予言報告なのだ。それをラーナハスティ女史が命じたと言うことは、これはハンニ自身が見た予言に違いない。
麗佳はヨヴァンカとそっと顔を見合わせ、一緒に視線だけでそっとハンニに応援を送る。きっとエルッキがここにいれば同じようにしていただろう。
ハンニがこちらに目線を返して来たので意図は伝わったはずだ。先ほどよりは緊張度合いが減っているように見えるのは麗佳達の応援が伝わったからだろうか。
「先ほど、映像予言の実習をしたのですが、そこで、ヴィシュのエルシー王妃殿下と、マウリッツ王太子殿下がこちらに訪問されているのが見えまして……」
『は?』と言う声が聞こえる。誰の声だろう。もしかしたら麗佳自身の声だったのかもしれない。
それだけその報告はこの部屋の全員にとって衝撃的な内容だった。
「それは確かな情報か? ラーナハスティ殿」
オイヴァが問いかける。わざわざラーナハスティ女史に聞いたのは、間違いなく報告前に
もちろん、信憑性のある予言だからこそ報告をしているのは分かっている。でも形式的に聞いておく必要がある。
もちろん、ラーナハスティ女史は『はい、魔王陛下』と答える。それは皆が予想していた事だ。
それにしても何でそんな事になっているのだろう。
「いつ頃だ?」
「服装からして夏だと思います」
「そうですね。おそらく晩夏の月くらいかと」
「そうか」
今が春の月の終わり頃なので、もう四ヶ月あるかないかだ。
それまでに対策などをしなければならない。
例年ならば夏の離宮の一つに滞在している頃だが、この調子では無理だ。その滞在は離宮の近くの地方の視察も兼ねている。その領地の住人達は、夏に国王が来るのを毎年楽しみにしているのに、と申し訳ない気持ちになる。
「どういうつもりだ。最近は春の月か晩春の月くらいにしか動かなかったのに……」
オイヴァが不機嫌そうにつぶやく。確かにそうだ。麗佳が召喚されたのも晩春の月だった。ゴールデンウィークの次の週末だったのでよく覚えている。
アーサー、ジャンとマリエッタが召喚されたのも春だった。
それに、勇者ではなく王妃と王太子が来るというのも疑問の一つだ。
先ほどヴィシュ王妃の話をしたからなのだろうか。噂をすれば影、というのはこういう事なのかもしれない。これからはあまりヴィシュの王族の事は噂しない方がいいのだろうか、と現実逃避をする。
「名目としては、去年のお詫びだとでも言うつもりなのでしょうが、それにしても……」
「あまりにも遅すぎますね」
ラヒカイネン父娘の言葉に皆は同意するように頷いた。ウティレなど、呆れすぎたのかため息まで吐いている。
それに名目はそれだとしても本当の目的は絶対に違う。あの国が謝罪するなどあり得ない。
きっと、プロテルス公爵の代わりが欲しいのだ。
今は昔と違ってオイヴァがしっかりと睨んでいるのである程度は安心だ。ただ、オイヴァは少し厳しすぎる所がある。なので、彼の統治に不満を持っている貴族も大勢いるのだ。
麗佳も何度もお茶会で貴族夫人達から不満を——かなりオブラートに包まれていたが——聞いている。
ある程度誤解を解いたり、オイヴァに非があれば麗佳から進言してみたりして、わだかまりを少なくしようとは努力しているが、それもどこまで効いているのかは分からない。
ただ、ヴィシュの味方に着いてまで反抗して来る馬鹿はいないはずだ。その件に関してはプロテルス公爵がいい見せしめになってくれた。筆頭公爵が今や惨めな『魔力供給機』にされているのだ。それより身分の低いものがどうなるのか想像はつくだろう。
つくと思いたい。
そっとため息を吐く。オイヴァが案ずるような目を向けてくれる。
「このお城に……王城に来るのね?」
一応確認する。大事な事だ。
「はい」
ハンニの言葉は予想してたものだったが、『いいえ』であって欲しかった。
敵国とはいえ、王城に他国の王族が訪問するのだ。何もなく、ただ、のんびり過ごしてくださいと言って城に放置するわけにはいかないだろう。社交が必要だ。外交や社交は王妃の公務である。
歓迎の舞踏会は絶対に開催しなければいけないし、個人的に王族同士の小さな茶会や晩餐会も開かなければならない。
それにしても、この国の誰も彼らを歓迎していないのに『歓迎の舞踏会』を開くというのは変な話だ。
「大丈夫だよ、レイカ。お前一人に社交を背負わす気はない。相手がヴィシュ王家ならなおさら」
オイヴァが優しくなだめてくれるのが不幸中の幸いだ。麗佳は素直にお礼を言う。
「とりあえず女官長に話を通しておきませんと……」
「ああ、そうだな。パウリナの協力はどうしても必要だな」
「ええ」
ちらっと部屋の隅に控えている女官のイリーネに目配せを送る。イリーネはお辞儀をして部屋を出て行った。これでパウリナに伝わる。
もちろん、途中でヴィシュ側の気が変わって話がなくなる可能性もある。それでも準備しておくに超した事はないのだ。来ないならそれはそれでいい。むしろそちらの方がいい。
「あちらの動向もしばらく見ておかなくてはいけませんね」
「そうだな。まったくどうして急にこんな……」
オイヴァはまだぶつぶつ言っている。当たり前だ。許されるのなら麗佳だってぶつぶつ言いたい。
でも文句を言っていてもどうしようもない。こちらは動くより他はないのだ。
「すみません、魔王陛下」
不意にラーナハスティ女史がオイヴァに話しかけた。みんなの視線が彼女に集まる。
「どうした? ラーナハスティ殿」
「あまり今回は魔王妃殿下を表に出さない方がいいのではないかと思うのですが」
急に変な発言をする。一体何だと言うのだろう。
「ヴィシュの者がレイカを害するのか?」
「いいえ。そこまでは見えませんでした」
そういう危機ではないらしい。『見えなかった』というのだからまだ安全と決まったわけではないが、とりあえずほっとする。
「ただ、ハンニの予言映像の中に見えた魔王妃殿下が『願掛けのドレス』をお召しになっておられたので……」
「願掛け?」
オイヴァが訝しげな顔をする。他の男性陣も分からないらしく、戸惑っているのが見える。
ただ、ヨヴァンカは一瞬で何の事か分かったようで麗佳の方を見た。きっとイリーネがいたら同じようにしていただろう。
願掛けのために仕立てたドレスと言えば一つしか思い浮かばない。
『あれだよね?』という意味を込めて麗佳も視線を返す。『多分そうだと思います』と言っているような感じの視線が返ってきた。
「わたくしが……あのドレスを……?」
思わず確認してしまう。ラーナハスティ女史が頷いた。
何の事なのか理解は出来ている。だが、気持ちが追いつかない。
「え……?」
戸惑いの気持ちはその言葉にしかならない。
そっと自分の体を見る。そして、ついオイヴァの方に顔を向けてしまう。
不思議な沈黙が部屋の中を支配した。
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