第4話 手紙の送り先
部屋に入って来たのはオイヴァだけではなかった。その人を見て、麗佳はついきょとんとしてしまう。
「……お師匠様?」
麗佳の魔術の師匠であるウィリアムだ。何故彼がここに来たのだろうと心の中だけで首をかしげる。
「こんにちは、レイカ殿下」
「あ、こ、こんにちは、お師匠様」
挨拶を促されるので素直に返事をする。そういう礼儀はきちんとしておかねばならない。
『魔術師会議』に参加すると決まったときから、麗佳はウィリアムの正式な弟子になった。
互いの呼び方も、『レイカ殿下』、『お師匠様』に改まった。本来ならウィリアムは麗佳を呼び捨てにするべきなのだろうが、身分差があるのでこうなった。
今までは『弟子』と呼びつつも、家庭教師として対応していたのだろう。
正式な弟子になってからは、教科書が少しだけ専門的なものになり、分野が分かれた事で科目も増え、それにともなって課題も増えた。毎日何かしらの授業があるので気が抜けない。
今日は魔術史で魔法薬の発展に貢献した女性について学ぶそうだ。
それでも、ウィリアムが麗佳の職場である王宮魔術師の仕事場にまで来るのは珍しい。
いつのまにか修行の時間になっていたのだろうかと不安になった。
アナベルから、ウィリアムは遅刻にはとても厳しいと聞いている。泣くほど恐ろしい居残り補習が待っているらしい。学園での話らしいが、麗佳にも起こるかもしれない。
それはごめんだ。これ以上厳しいのは嫌だ。無茶ぶりの暗記課題とか来そうで怖い。
横目でそっと時計を見てみるが、まだ時間は来ていなかった。ほっとする。ウィリアムが小さく笑ったのを見ると、麗佳の不安の理由は悟られてしまっているのだろう。
そうなると、余計にウィリアムが何の用事で来たのかさっぱり分からない。
「あの、お師匠様、わたくしに……何か?」
不安になって尋ねる。ウィリアムはまた小さく笑う。
「オイヴァ陛下がする必要のない不安をまき散らしていたものですから、少しフォローをした方がいいのではないかと思いまして」
「ウィル!」
ウィリアムの遠慮のない言い方にオイヴァが焦っている。
「それで来てみたらレイカ殿下はレイカ殿下で……」
「……すみません」
ついでに麗佳まで叱られてしまった。
「レイカ」
そのオイヴァが話しかけて来た。そういえば座ったまんまだ。これはいけないと思い、立ち上がる。
「はい、何でしょうか、陛下」
改めてオイヴァに向き合う。なのに、オイヴァはどこか寂しそうな表情を浮かべた。
おまけにオイヴァとウィリアムのためのお茶を運んで来たヨヴァンカが、何故かそっと『こら』と言いたげな視線を向けて来る。麗佳は何か変な事を言っただろうか。
「レイカ、怒っているのか?」
「いいえ」
麗佳は別に怒ってはいない。説明して欲しいと思っているだけだ。もし、隠しておかなければならない事ならそうと言ってくれればいい。
そういう事をきちんと伝える。
「オイヴァ陛下はレイカ殿下に誤解されて嫌われたくないだけなんですよ」
何故か麗佳の言葉にウィリアムが返事をする。声に笑いがこもっている。この老魔導師には弟子の夫婦喧嘩が面白く感じるのだろうか。
「誤解、ですか?」
「手紙の相手が誰なのかは聞いてはいませんが、多分タティ王国の国王なのでしょう」
そしてさらりとそんな事を言って来る。だが、その言葉でどういう事なのかこの部屋の全員が理解出来た。オイヴァの顔が引きつったのは正解ということだ。
「去年の事、まだ根に持ってるんだ……」
ウティレがヴィシュ語であろう言葉でぽつりとつぶやいた。きっと独り言だ。
「当たり前だろう」
オイヴァが冷たい調子で返事をする。だろうな、と麗佳は心の中でつぶやいた。部屋にいる他の者達も納得した顔をしているので、同じ思いなのだろう。
去年、ヴィシュ王国が麗佳を卑劣な手段で呼び出し、罠にはめ、連れ去ろうとした事件があった。あのまま罠にはまっていたら麗佳は今頃殺されていただろう。
結局、対抗ついでに、ヴィシュの王族が所有している大事な魔道具——魔王を殺すために作られたもの——を壊してこれたので、麗佳としては満足なのだが、オイヴァはそうではないらしい。
それだけ大事に思ってくれているという事だ。そう改めて思うと、どこかくすぐったい気持ちになってしまう。
「わたくしはオイヴァを嫌いにはなりませんよ」
自然とそんな言葉が口からこぼれる。途端に部屋中の視線が麗佳に向いた。
そういえばここは王宮魔術師の仕事部屋だったという事を思い出し、頬が熱くなってくる。
「どうしてそんな理由で嫌わなければならないのですか? わたくしだってそれが必要な事かくらいは分かりますわ」
とりあえず大事な事は言っておく。でも、恥ずかしすぎて早口になってしまった。
「そうか?」
まだオイヴァは心配そうな顔をしている。そんなに信用がないのかと改めて腹が立って来る。
「わたくしだって他国を味方に付ける事の重要性くらい分かりますわ。大体、陛下がきちんと考えて決めた事に、よほどの理由でもない限り、臣下であるわたくしが反対出来るわけないでしょう。陛下はわたくしがそんな事も理解出来ていないと思っていたのですか?」
おかげでつい口調がまたとげとげしくなってしまった。
「悪かった」
オイヴァは素直に自分の非を認める。そこまで公的な場所ではないとはいえ、国王に謝らせていいのか、とも思うが、これに関しては麗佳は譲りたくないのだ。
ヨヴァンカかウィリアムに後で叱られそうだが、そんな事は今はあまり考えない事にする。気にしている場合ではない。
「あんまり信用していないと本当に嫌われますよ。この子は頑固ですからね」
ウィリアムが麗佳ではなくオイヴァに注意してくる。そんな事を言われると逆に麗佳の方が申し訳ない気分になって来る。きっと間接的に叱られているのだろう。
横目でウィリアムを見ると、厳しい視線を返された。間違えなく『いい加減にしなさい』と言われているのだ。
内心びくついていると、オイヴァがそれを察したのか安心させるように微笑みかけてくれる。おまけに頭まで撫でられてしまった。
「オイヴァ」
「何だ、レイカ」
声が柔らかくなっている。頭を撫でる事で少しでも落ち込みが解消されるのならそれでいいかもしれない。落ち込ませてしまったのも麗佳なのだが。
「わたくしも……その……怒ってしまって、申し訳ありませんでした」
だから麗佳も素直に謝罪出来る。オイヴァは『いいんだよ』と言ってまた頭を撫でて来た。
「お前も賛成だったんだな」
脱力したようにそんな事を言う。脱力、と言っても、他の人には普通に見えるくらいだが、麗佳にはなんとなく分かる。
「わたくしだってヴィシュの周辺国をこちらの味方につけるメリットくらいは知っておりますわ。去年の魔術師会議でもタティ王国の王妃殿下ともきちんと交流しておりましたわ。もちろん、他の周辺国の王族の方々とも」
補足しておく。オイヴァはさらに脱力した。おまけにウィリアムに『取り越し苦労でしたか?』などとからかわれている。完全に楽しまれている。
交流したとは言っても、個人的に積極的に話しかけたわけではない。『会議』参加者女性だけで開かれた
それでも交流は交流だ。麗佳は嘘は言っていない。
「そうか」
麗佳の言葉でようやくオイヴァも安心したようだ。
「ただ、直接的なダメージにはならなさそうですけれど。もし、ヴィシュにこの事が知れたとして、酷い目に遭うのはエルシー王妃殿下くらいではないかしら」
麗佳のその言葉にヴィシュ人達が揃って何とも言えない表情をした。彼らは多少はヴィシュ王国王妃、エルシーに同情しているのだ。
きっと、アーッレ王がヴェーアルとタティとの交流を知れば、その責任をタティ国王の姪であるエルシー王妃に向けて来るであろう事はここにいる皆が想像出来る事なのだ。
アーッレ王はそういう奴だ。
「だろうな」
オイヴァはそれだけを言う。冷たいとはっきり感じられる声だ。『敵国の王族に同情などするな』と言われているのだと分かる。
確かにエルシー王妃が責められるのは可哀想だ。でも、それはヴェーアルのせいではない。
アーッレ王が妃を責めない可能性もある。そうなって欲しいな、とは思うが、あの男では難しいだろう。
「エルシー殿下も大変ですわね」
麗佳に言えるのはこれくらいだ。だからこの言葉で締める。オイヴァもそれを分かってくれたのだろう。優しい声で『そうだな』と返してくれる。
「ところで手紙で思い出しましたが……」
ウィリアムが話題を変える。同じ『手紙』の話題と言う事で出しやすい話だったのだろう。思い出したのではなくタイミングを伺っていたのだ。
途中で止めたのは麗佳が気づくか試しているのだ。覚えてなかったら絶対に叱られるやつである。
すぐにヨヴァンカに声をかけて、先ほどまで書いていた手紙を持ってこさせる。こういう時に自分でさっと渡せないのがもどかしいが、上流階級とはこういうものらしい。
「これの事でしょうか?」
ほぼ九十九パーセント合っているだろう。でも、間違っていたら大変なので確認をとる。
ウィリアムが手紙に魔力を当てながらーー透かしているのだーー『そうですね』と言ってくれたのでほっとする。
これは魔術師協会の上層部に宛てた手紙だ。
魔術師の間では魔力のない人間に魔力ーー特に魔石ーーを渡す事が良く思われていないらしい。そういう事をする時は事前に協会に許可を取る必要がある。
勇者に渡す魔石に関しては、『魔族の魔力』で作った魔石なので関係はないが、一応報告はしなければいけない。
ただ、今回はせっかちな勇者のせいで事後報告になってしまったのだ。なるべくならはやく報告を送ってしまいたい。なので当日の午後にさっさと手紙を書く事にしたのだ。
それにしても今朝の今なのに、ウィリアムがしっかりと情報を掴んでいるというのはさすがとしか言いようがない。
「さっきまでこの事でウィルにネチネチやられてたんだよ」
オイヴァがそっと耳元でささやいて来る。こういう事に厳しいウィリアムは『魔石の持ち主である魔王本人が報告すべきだ』と思っていたのかもしれない。
でも、ヴェーアル王国では、これは王宮魔術師の管轄だし、魔術師協会に所属している魔王妃が報告した方がいいと思っている。だから麗佳が手紙を書いたのだ。
「誰もネチネチなんかやってませんよ。重要な事なので注意をしただけです」
ウィリアムは冷たく淡々とそんな事を言っている。多分『そうなんですね』以外の返答は求められていない。だから黙って苦笑いを浮かべておく。
お師匠様は厳しいからなぁ、と心の中だけで言う。
「私からも補足を加えておきましょう」
「ありがとうございます、お師匠様」
一人称が『私』になっている事からも、これを『公』として扱っているのが分かる。だから、きちんと弟子としてお礼を言う。
その時、ノックの音がした。はい、とヒューゴが返事をする。
「魔術師長、ハンニです。入ってもいいでしょうか」
その言葉にみんなは顔を見合わせた。王宮魔術師のメンバーがこの部屋に入る時はノックなどしないのだ。
何かあった時のために対策用の魔術を準備しておく。扉の外のハンニに何かがあった場合は助けなければならないのだ。
ヒューゴの、入りなさい、という言葉の後に扉が開き、ハンニが彼の師であるカッサンドラ・ラーナハスティを連れて入って来た。
警戒をする必要はなくなったが、疑問は残る。何故彼女がここにいるのだろう。
当のラーナハスティ女史は、部屋にいるウィリアムを見て固まっている。それだけ魔術師にとって『大魔導師デイヴィス・ウィリアム・コーシー』というのはすごい人物なのだ。
「どうした? ラーナハスティ殿、ハンニ」
部屋にいる者を代表してオイヴァが尋ねた。彼は国王なので当たり前の事だ。
「魔王陛下、王妃殿下、緊急に報告しなければならない事があります」
ハンニは開口一番にそう言った。
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