第3話 手紙
麗佳は手紙の末尾に署名をしてからゆっくりとガラスペンを置いた。ガラスペンは去年の誕生日に家族が贈ってくれたものだ。きちんと強化魔術をかけたので割れる心配はない。でも大切な物なので丁寧に扱っている。
文字を風の魔術でしっかり乾かし、封筒に入れて封をする。そしてペンのインクを水魔術で洗浄した。
ふぅ、と息をつく。重要な手紙だったので、どうやら肩に力が入りすぎてしまったようだ。
「お疲れですか? 妃殿下」
「ええ、少し」
ヨヴァンカがいいタイミングで好物のミルクティーをテーブルに置いてくれる。濡れてしまうといけませんから、と手紙を脇によけてくれた。きっと、後で腕をマッサージしてくれるのだろう。至れり尽くせりだ。
「ありがとう、ヨヴァンカ」
素直にお礼を言う。でも、王妃らしい優雅な仕草は保つようにした。ヨヴァンカはマナーの教師も兼ねているので気をつけないと後で叱られてしまうのだ。
ヨヴァンカは麗佳に微笑みかけてから他の人にもお茶を配った。
「魔術師会議からここのところ、忙しいですね」
ヒューゴの言葉にうなずく。
「この国が魔術に関わるようになってからは日が浅いもの。仕方がありませんわ」
淡々と答えたが、疲れのせいで少し恨みがましい口調になった気がする。とりあえずごまかすためにそっとお茶に口をつけた。疲れを取るためか甘めになっていたのが嬉しい。自然と頬が緩む。
魔術師会議というのは、二年に一度開催される魔術師の集まりの事だ。『会議』と名がついているが、社交も含んでいるのでとても大事な行事である。
ウィリアムの弟子になった麗佳も去年の冬の月に参加した。そこでヴェーアル王国が新しく魔術の国として認識されたので、魔術師としての仕事が増えたのである。外国の魔術師――ほとんど王族だ——との書簡のやりとりも増えた。
ついでに社交上の手紙まで増えてしまったが、それは魔術とは関係ないので自室で書いている。
とにかく少し息がつける。この後は魔術の授業があるが、それまでは休みたい。
「ふんふふんふふん」
「……妃殿下」
機嫌良く鼻歌を歌っていたらヨヴァンカに呆れられてしまった。でも達成感と美味しいお茶が合わさればこうなってしまうのも仕方がないだろう。
そんな王妃とその側付き兼姉貴分の姿を男性陣がほっこりと――一人は呆れて――見ていた事など麗佳は気にしていなかった。麗佳とヨヴァンカが勇者時代から仲が良かった事は王宮魔術師全員が知っている。なので遠慮する必要もないのだ。それに王宮魔術師の仲間は今更気を遣う間柄でもない。
そんな風にのんびりとした時間を過ごしているとノックの音がした。麗佳はすぐさま気を引き締める。もしかしたらまじない師の授業を受けていたハンニが戻ってきたのかもしれない。だが、それにしては時間が早すぎる。違う相手だと考えて間違いはないだろう。だったら王妃としての態度を崩すわけにはいかない。
「どちら様でしょうか」
魔術師長が応答する。
「王妃殿下宛の書簡を持ってまいりました」
その言葉で麗佳とヨヴァンカは何があったのかを察した。扉の前の者もどういう者なのか分かる。これは嫌がらせの類いだ。基本的に書簡や書類は女官を通してやりとりされる。それがないのは明らかに怪しいのだ。
「わたくし宛? 王宮魔術師宛ではなく?」
わざと尖った声を出す。ひっ! と怯えた声が聞こえるのに少しばかり同情を感じるが、別にこれは八つ当たりではない。大体、こんな馬鹿げた事を断れない彼が悪いのだ。きっと命令に従わざるをおえない下っ端文官だろうが、厳しく対応するのには変わりない。
すぐにヨヴァンカが対応に動いた。扉の前の文官を部屋に通す。いつまでも扉の前でもめているわけにはいかないのだ。それにこういうのは侍女や女官が先に対応するものなので問題はない。
入って来たのはまだ年の若い青年だった。人間で言えば十代半ばくらい。新人文官と見て間違いはない。
「魔王陛下宛ですわね」
手紙の宛名を確認してさっさと結論を出す。ああ、やっぱり、と麗佳は心の中でつぶやいた。
前にもオイヴァ宛の手紙が麗佳の所に来た事があった。これは女官が中心になって対処したので大きな問題にはなっていない。とりあえず一度目なので、仕分けの時のミスとして厳重注意をしただけで済ませた。ただ、オイヴァにはきちんと報告はさせてもらった。
どうしてこんなことをされているのか麗佳にはよく分からない。オイヴァに尋ねてみたが、何故か言葉を濁された。
きっと彼らはオイヴァの隠し事を麗佳に暴露したいに違いない。それは麗佳の怒るような内容なのだろうか。大体、王妃の麗佳がよほどの事でもない限り国王であるオイヴァのしている事に文句をつけられるわけがない。彼らはそんな事も分からないのだろうか。
「宛先はきちんと確認してから持ってきてください。それと、これからは女官を通してください。たとえ王妃殿下宛だったとしてもこれではこちらもきちんと対応が出来ません」
ヨヴァンカが事務的に注意している。当たり前だ。新人文官はどうしたらいいのか分からないようでおろおろとしているが自業自得である。
結局、女官長のパウリナを呼んで対処することに決まったようだ。そうすれば手紙が二転三転するのを防げる。何かあった時の為に侍女や女官の間で連絡する方法があるのだろう。それに、パウリナなら全面的に信用出来る。
「国王宛の書簡がこんな扱いされるってどういうことよ」
小声で愚痴をこぼす。
「捨て身でお二人の仲を裂く気なんでしょう、きっと」
ウティレが呆れ声を出した。『そんな事も分からないのかよ』と言われてる気がする。でもそんな事は麗佳にも分かっている。
「それって国に何のメリットもないじゃない! 何? そいつら馬鹿なの?」
「俺にそんなことを言われましても……。本人に言って下さい。……出来れば黒幕に」
つい日本語で本音を言ってしまったが、この部屋には通訳魔術が常にかかっているので問題なく通じた。『近いうちにそうするわ』と魔族語で言っておく。新人文官はその会話を聞いてさらに小さくなっていた。
それにしても、そんな扱いをされるような手紙というものはどういうものなのだろう。女性からだったりするのだろうか。そうだったら間違いなくもやもやするが。
ほどなくして話し合いが終わり、ヨヴァンカが戻ってきた。お茶のおかわりが欲しいか聞かれたので肯定の返事をする。すぐに暖かいお茶がカップに注がれた。
「それで? 差出人はどなただったの? わたくしが聞いても大丈夫な相手?」
「多分大丈夫だと思います」
言ってもいいらしい。だったら何故隠されているのかが分からない。
「きっと、すぐに陛下がいらっしゃるでしょう。今回の事はきちんと伝えましたから」
「そう」
血相を変えて来るのだろうか。それとも平然とした顔でなにやら言い訳でもするのだろうか。とにかくこんな事になったのだから差出人の名前くらいは把握しておきたい。
「ちなみに女の方?」
「いいえ」
なら何の問題もない。きっとオイヴァの考えすぎなのだろう。隠されているこちらは面白くないが。
「近隣の王族の方、とだけ言っておきます。何も問題はありませんわ。妃殿下が心配する必要はございません」
そっとヨヴァンカが補足した。それで麗佳には分かってしまった。きっと相手はヴィシュの周りにある国の一つなのだろう。
その時、後ろに気配を感じる。
「まったく。『平和主義な王妃殿下』がどこまで一人歩きしているのかしら」
小さな声で自虐的にそうつぶやく。もちろん、わざと後ろの相手には聞こえるくらいのヴォリュームにはした。
「……レイカ」
後ろで不安げな声が聞こえてくる。麗佳はわざとため息をついてそちらを振り向いた。
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