第4章 変化の兆し

第1話 せっかちな勇者

 オイヴァの魔力が動くのが分かる。

 異世界に繋ぐ為の魔法を麗佳が見るのは何度目だろう。


 目の前には、今回召還されてきたという勇者の故郷であろう街の姿が見えている。

 どこの国なのかは詳しくは知らない。聞いた事は聞いたのだが、麗佳が知らない国の名前だった。


 いつもだったら、勇者と接していく事で、どこの地域にある国なのかは聞く事が出来るだろう。でも、彼はその情報を言う時間も惜しいようだった。


「これで満足か?」


 尋ねるオイヴァの声は厳しい。それはそうだ。当たり前だ。麗佳だってそんなに機嫌はよくない。


 何せ、二人ともまだ朝ご飯を食べていないのだ。


 起きた時はいつも通りだった。いつも通りおはようのキスをして、お互いに朝食用の服に着替える為にそれぞれの衣装部屋に移動しようとした。その時に、侍僕が、勇者が現れた事を知らせに来たのだ。


 それだけなら、客室に朝食をたっぷり用意した上で待ってもらえば良かった。でも、その勇者は何故か焦っていて『はやく魔王に会わせてくれ!』の一点張りだったそうだ。


 おかげで、麗佳達は朝食用のリラックスした服ではなく、謁見用のしっかりした正装を身につける事になってしまった。まだ着替えをしていない時だったからよかったのかもしれない。


 そうして勇者は、魔王に会ったら会ったで、『家に帰して貰えるんですよね! はやくしてください!』とせかす。


 さすがにこれにはオイヴァも麗佳も眉をひそめざるを得なかった。


 『とりあえず、朝食でも食べながらお話をしましょうか』と優しく提案してみたが、それも聞いてくれない。せっかちな勇者だ、と心の中でつぶやいたのも無理はない。


 そしてオイヴァは仕方なく帰還の魔法を発動させたのだ。そうでなければ勇者はずっと騒ぎ続けただろう。


「これで満足か?」


 オイヴァがもう一度、厳しい声で尋ねる。


 対する勇者の方は涙ぐんでいた。


「はい、ありがとうございます」


 それだけを言う。でも、それは無礼と言うわけではなく、感極まってそれだけしか言えないというような態度だった。


 先ほどのせっかちな様子とは全然違う。それだけ、彼は帰りたかったのだろうか。


 元勇者である麗佳にも気持ちは分かる。だが、あの態度はどうなのだろう。麗佳は出そうになったため息を笑顔の中に隠した。



***


「一体何なんだ? あいつは」


 朝食室でカツサンドを口に運びながらオイヴァがぶつぶつ言っている。


「……せっかちな方でしたね」


 麗佳は卵サンドを食べながら苦笑する。でも同意はしておいた。彼にイラっと来たのは麗佳も同じだからだ。


 リアナはハムカツサンドを手に首をかしげている。勇者が来たという情報しか知らなかったのだろうと麗佳は思った。

 それくらい今回の勇者来訪はあっという間に終わってしまったのだ。


 この国では基本的な朝食はサンドイッチだ。これはヴェーアル王国だけの習慣である。


 せっかくなので、麗佳は婚約期間中に、日本でおなじみのいくつかの種類のサンドイッチを紹介してみた。カツサンドもゆで卵のサンドイッチもその中に入っている。

 おかげでこの異世界でも麗佳は馴染みの美味しいサンドイッチを食べる事が出来るのだ。

 この近くではカツレツはあるが、分厚いトンカツはなかったので、料理人に驚かれた。朝から分厚いお肉が食べられるということでオイヴァも喜んでくれた。麗佳が来るまではローストビーフをよく挟んでいたようだ。

 ちなみにトンカツは時々夕食のメインディッシュとしても出てくる事がある。麗佳としては嬉しい事だ。

 ハムカツはトンカツを参考に料理人が自主的に考えた。トンカツほど重くないので、リアナのお気に入りになっている。


「義姉上がそのサンドイッチを食べていると春が来たと思うわ」


 リアナが麗佳のサンドイッチを見ながらそんな事を言う。確かによくこのサンドイッチを食べるのは春だ。


「どんな味なの? 少し食べてみたいわ。一切れ交換しません?」

「ええ、いいわ」


 晩餐の時ならマナーが悪いと言われてしまうが、家族だけでとる朝食ならこういう事も出来る。


「レイカ、リアナ、サンドイッチの交換などどうでもいいだろう。今、私は大事な話をしているんだ」


 オイヴァが呆れた目をしながらそんな事を言ってくる。彼の頭の中はまだ先ほどの勇者の事でいっぱいなのだ。


「『せっかちな方でしたね』と言ったではないですか」

「……それだけか?」

「あれだけの接触でそれ以上に何を言う事があるというのです? 詳しい話を聞く前に帰ってしまわれましたし。大体、わたくし、あの勇者様の名前も存じ上げませんのよ。こんな事初めてだわ」


 ため息をつく。『落ち着いたら連絡します』と言うのを信じるしかない。オイヴァはその言葉をさっさと信じて魔石を投げてよこしていたが大丈夫だったのだろうか。


「また勇者が来たの?」


 今までずっと蚊帳の外にされていたリアナが口を開く。オイヴァが驚いたような顔をした。


「リアナ、お前、知らなかったのか」

「だって朝からみんなバタバタしていて誰も教えてくれないんだもの。朝食がいつもより遅いから『何かがあった』って事は分かったわ。でも、それ以上は……」


 それはその通りなので何も言えない。この朝食も、もうほとんどブランチ状態だ。


「兄上はあたくしにもっと王族の自覚を持てって言うけど、こうやって仲間はずれにされると、本当にそれが必要か分からなくなってしまうわ。所詮お二人に子供が出来るまでの中継ぎの次期王なのかもしれないけれど、なんだか、あたくしが必要とされてないみたい」


 膨れっ面をしながらそんな事を言う。子供の我がままのような態度に見えるが、内心は寂しがっているのが分かった。


 リアナには悪い事をしてしまった。


「ごめんなさい、リアナ。さっきも言ったけれど、とてもせっかちな方だったのよ。だから最低限の人数で会わなくてはならなかったの。大人数で行って威圧するわけにもいかないし……」

「私たちと敵対している者に勇者が利用されないようにと箝口令を敷いたのも悪かったかもしれないな」


 これは反省点の一つだ。先代魔王の病の影響で腐敗していた王宮内を新しい魔王が厳しくし直したのはよかったが、それが行き過ぎた悪い例だった。


「これからリアナには大切な事は直接話すようにしよう」

「ありがとうございます、兄上」


 リアナは速攻で機嫌を直す。


「それで勇者がせっかちとはどういう事?」


 早速とばかりに質問が始まった。麗佳はオイヴァと目を見合わせて笑う。


そしてオイヴァが丁寧に先ほどまでの事を話した。リアナも大事な話なのが分かるので大人しく聞いている。


 最後まで聞いてからリアナは困ったような顔をした。


「それで、兄上は何の文句があるの? 勇者は帰ったのでしょう? もう終わった事じゃない。今回の無事を喜ぶのが大事ではないの?」


 リアナの言葉に麗佳もうなずく。確かにその通りなのだ。また、連絡が来て、事情を知れるのかもしれないが、それまではどうする事も出来ない。

 なのに、オイヴァはため息をついた。


「違和感を感じなかったのか? お前達」


 そんな事を言われても麗佳にもリアナにもよく分からない。


 なので二人を首を傾げることになってしまった。

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