第23話 出来ること
「普通の女の子だったなぁ……」
お茶会から戻ってきたマリエッタは与えられた豪華な客室でそうつぶやいた。お茶会と言っても堅苦しいものではなく、ただ、美味しいお茶を片手に楽しくおしゃべりをするだけの会だった。
魔王夫妻はカイスリとその夫の事を少し警戒していたので心配していたのだが、どうやらカイスリの夫と話がついたようで、リラックスして話をしていた。
「マリエッタ、どうしたの?」
マリエッタが戻ってくるのを見越していたのだろうか。それとも戻ってきた音を聞いたのだろうか。ジャンが顔をのぞかせる。
魔王は二人の為に隣同士の部屋を用意してくれた。これはジャンが魔王城に来た時から決められていたようだ。先ほどレイカにも確認したから間違いない。
どうやらこの世界は恋人、夫婦を大事にする風習があるようだ。だからこそ、魔王は、マリエッタの奪還にGOサインを出してくれたのだ。
だから遠慮なく恋人を部屋に招き入れられる。すかさず、魔王がマリエッタにつけてくれた使用人がお茶の用意をしてくれる。とはいえ、マリエッタは先ほどの茶会でたらふく飲んで来た事が分かっているので、少量にしてくれる。至れり尽くせりだ。
「で、お茶会で何かあったの?」
心配そうに尋ねて来る。
「レイカって普通の女の子だなって思ったの」
「ああ、妃殿下が」
ジャンはレイカに対して堅苦しい呼び方をしている。
何でも、マリエッタを助けに行くためにレイカの使用人に扮して行ったらしい。目も魔族っぽくするために、カイスリの弟に変化の魔術をかけてもらったそうだ。そして、言葉も怪しまれないように、敬称だけはちゃんとしてくれ、と言われたそうだ。
最初は、何でそこまでして、と不思議に思ったが、魔王側がジャンの身の安全を考慮した結果だったようだ。
魔王とレイカは、どうやら勇者の安全を守る行動をしているそうだ。
これはレイカの希望なのだと聞いた。
そんな事を希望して、魔王の怒りを買わなかったのか、と疑問に思った。だが、レイカに丁寧に説明されて納得した。こうすれば魔王は勇者に狙われる事はなくなるし、諸外国からの評価も良くなるとのことだ。
そして、何故ジャンをこの城に留めておかず、同行させたかといえば、単純な話で、ジャンがマリエッタの事を心配しすぎて単身城を抜け出そうとしたからだそうだ。
これを聞いた時はマリエッタもジャンに怒った。レイカみたいに高貴な身分になった事のないマリエッタでも、これがどんなに危険な事なのかはよくわかるからだ。
そういう理由で同行した上でレイカに関わった事があるからだろう。ジャンはすんなりと納得した。
「何? ジャンもレイカのそういう所見た事あるの?」
「ああ、うん」
歯切れの悪い調子でそう言う。そして、『言っていいのかな?』などとつぶやいている。言ったら魔王やレイカに不利益になるのだろうか。
それでも何となくいい気はしない。これはヤキモチだろうか。
「そんなに言っちゃ駄目な話なの?」
「そんな事はないよ。でも妃殿下のプライドとか傷つくのかなって」
「よほどの話じゃなきゃそんな事ないんじゃない?」
マリエッタは即答する。
何せ、マリエッタにさらっと名前呼びを許してしまうほどの女性なのだ。さすがにカイスリは隣国の貴族夫人なので許可は出せないようだったが、それでも大きな事である。それは魔王城にいる他の貴族を見ていれば分かる。
そう言うと、ジャンはやっと安心した顔をして話してくれた。
大した事のない話だった。ヴィシュ王国の貴族の茶会でストレスを溜めたレイカが、戻ってくるなり『使用人のみんなと一緒にお茶を飲んで嫌な事忘れたい! 結界の魔術かけるからお願い!』と我がままを言ったのだそうだ。素のレイカなら言いそうだ。
そして、言ってはいけないと思ったのは、その場でレイカ付きの女官がたしなめていたからだと教えてくれた。
間違いなく上流階級的にはダメな行動なんだろうな、と分かる。
女官は、『敵国にいるのだから気を抜いてはいけません』という理由をあげていたようだが。
それほど、上流社会は彼女には窮屈なのだ。だからこそそれに慣れるための苦労がある。
レイカはどれだけそれに耐えてきたのだろうか。それも見知らぬ勇者を助けるために。
魔王がレイカの事を『お人好し』と言っていたが、それも無理のない事だ。
フランス語が話せるのは日本の大学で勉強してきたからだと先ほど聞いた。そして一緒に勉強している友達と夏にフランスに旅行して美術館巡りをする予定だったとも聞いた。旅行する予定だった日の三ヶ月ほど前に召還されてしまったのでかなわなかったのだが。
もちろん、これはレイカが自主的に話したのではない。マリエッタの質問に答えてくれたのだ。
本人は、もう未練などない、今回こうやってマリエッタ達のために役にたってよかった、と言っていたが、そんなはずがないだろう。間違いなくある程度の未練はあるはずだ。
本当は帰りたかったはずなのだ。
おまけに、魔王が協力しているとはいえ、異世界人召還などという重い問題をレイカ一人で抱え込んでいるのだ。召還前はただの大学生だったのに。
「レイカも大変だよね。勇者を助ける以外にもいろいろやってるんでしょ」
ぽつりとつぶやいた言葉にジャンもうなずきで返す。お互いに同じことを考えている事がマリエッタにも分かった。
それは昨日の魔族の国民の訪問の事だった。レイカは人間であるからこそ、やらなければいけない仕事があって、国民はそれにものすごく感謝をしているようなのだ。
レイカが呼び出される前にその話をしていたので、彼女は彼らがそこまで感謝していることなど知らないだろう。
「伝染病の感染を防いでる、とか言ってたね。それで村は救われたから感謝してるってなんとか村の村長さんが……」
ジャンの言葉にマリエッタは頷く。どうやら浄化魔術というものがあるらしい。話を聞くかぎり、その魔術で出来るのは消毒だ。だから感染しない。
昔は魔族が似たような魔法を使っていたらしいのだが、その度に魔法をかけていた魔族は感染を恐れて自ら死を選ぶ事が多かった。自分が感染していて他の者にも移ると困るからだ。そうやって何人もの魔族が命を落としたらしい。
マリエッタにはよく分からないが、どうやら、『孤独病』とかいうその異世界特有の病は魔族にしか感染しないようだ。
それを知ったレイカは『わたくしには感染しないから』と言って自ら浄化に行っているそうだ。もちろんその度に、彼女は自分自身にも浄化魔術を重ねがけしているようだ。城の魔族に——特に魔王に——感染しては困るからだ。
レイカが浄化を始めたのは勇者時代だったそうだ。
どうやら先代の魔王がその病に感染していたらしい。それにショックを受けたレイカは先代に魔術をかけて治そうとしたが、もう手遅れだった。
そして先代魔王はレイカに、『城に浄化の魔術をかけ、彼の子供達を含む城の者の未来を守って欲しい』と願ったとのことだった。
そんな経験を持っているからこそ、レイカはこの病に気を配っている。そして城の魔族に病が広がるのを防いだ事が魔族の信頼を得た一番の理由だという。だからレイカはこの魔族の国で王妃になる事が出来たのだ。それほど大きな事だった。
それをみんなは知っている。だから昨日何人もの魔族が『あんなお優しい王妃殿下を危険な場所に送り込むなんて酷い!』と抗議にやってきたのだ。
どうやら、犠牲者なしで感染を防いでいるレイカ王妃は国民にとっては聖女的存在に見えるようだ。
レイカがやっている事はどれも二十代前半の女性が抱え込むには重い問題ばかりだ。
「勇者の事だけでも私たちに何か手伝えないかな。今、頼まれている事以外で」
「難しいと思うよ」
マリエッタの提案にジャンは難しそうな顔をして尻込みする。
「だって妃殿下には魔王陛下がついているし、彼女自身それなりの身分がある。でも僕はただの勇者でしかないんだよ。またヴィシュに行ったら間違いなく殺されるだろうし、ここで出来る事は限られてるんだよ。帰ったら接点なくなっちゃうし……」
うつむきながら弱気な事を言っている。情けない。だけどそれがカワイイとも思う。
「とにかく、魔王陛下に依頼された事はやらないと。それから考えても遅くないと思うんだ。今、魔王陛下に頼まれてる事だけでも立派な協力になるよ」
魔王に依頼されたのは、ジャンが読んだという、『勇者召還の真実』に関する書物をフランス語に訳す事だ。
レイカは、ある程度はフランス語や英語を読んだり書いたりする事は出来るが、こんな難しい事を訳す能力はまだないので、ネイティブであるジャンやマリエッタに頼みたいとの事だった。
そして、出来ればジャン達から見た体験記も書いてほしいと言われている。
ジャンの前に召還されたアメリカ人の男性は英語訳を担当したそうだ。
勇者の全員が魔術が使える訳ではない。いろんな言語で書かれた本はとてもありがたいのだ。実際、ジャンが読んだのは、そのアメリカ人勇者の書いた英語版だったという。
世界にはフランス語話者が大勢いる。きっとフランス語版も誰かの役にたつのだ。
でも、それだけでは足りないと、どこかで思う。
それでも目の前の事をやり遂げなければいけない。自分を安全な場所に連れてきてくれたレイカのためにも。
この本作成はレイカの希望なのだから。
しばらくはこの城に滞在するのだから、本を訳しながらゆっくり考えたい。出来れば、フランスに戻ってからでも出来る事がいい。
それはとても難しいだろう。今の所は何も思い浮かばない。でも、考える価値はある。
年下の女の子にばかり重荷を背負わせ、甘えるばかりではいけない。それくらいはマリエッタにも分かっていた。
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