第20話 帰還
転移魔術で戻って来た麗佳を、オイヴァは満面の笑みで迎え入れた。
「おかえり、レイカ。プロテルス公爵はもう捕らえてあるよ」
『夕飯もう出来てるよ』のノリで敵を捕らえた事を報告しないで欲しい、と麗佳は思った。ただ、このたとえは生粋の王族であるオイヴァにはさっぱり分からないだろう。料理はプロの料理人がするものだからだ。
おまけにここは謁見室だ。あのようなフランクな言葉遣いをしていいのだろうか。
「王妃、麗佳・ヴェーアル、ただ今帰還いたしました」
さすがに同じノリで返事してはいけないので、丁寧な挨拶をする。礼をする王妃に後ろの側近達も習う。
ただ、ベルマン侯爵夫妻は臣下ではないので、礼はできず——そんな事したらアーッレ王によって間者の容疑をかけられ処刑されてしまうだろう——、勇者とその彼女は厳かな雰囲気に戸惑っているようだった。
オイヴァはそんな者たちを見てふっ、と小さく笑う。それは全く悪意のない優しい笑いだった。
「そんなに堅苦しくしなくてもいい。ここには信頼出来る者しかいないのだから。顔をあげよ」
「はい」
ゆっくり顔をあげる。こんな事を言っているが、それを真に受けて『ただいま、オイヴァ!』などと言っていたら後で厳しく注意されるだろう。オイヴァにはされなくともヨヴァンカにはまず間違いなく叱られる。
「どうやら無事に人質を救出出来たようだな」
オイヴァは緊張して立っているマリエッタとベルマン夫妻を見ながら満足そうに言う。そうして優しげな笑みを側近達に見せた。
「お前達、よく王妃と勇者を守り、任務を果たしてくれたな。報償を楽しみにしているように」
その言葉に麗佳の旅の側近達が湧く。当たり前だ。頑張って来た事を認められるのはとても嬉しい。
「アンドレアス! その方、勇者様!」
「あ、……つい」
ドリスが小声でアンドレアスに注意しているが、しっかりそのやり取りは聞こえてしまっていた。
どうやらみんなは顔を見合わせて喜びを共有していたようだ。そしてアンドレアスはそのノリで目線をジャンにうつしたらしい。
きっと、公式の場でなければみんなでハイタッチをしていたのだろう。
羨ましい。麗佳もその中に混ざりたい。でも王妃なのでそれは出来ない。
「相当仲良くなったんだな」
それを見てオイヴァが苦笑している。
「あ、いえ…………あの……その……はい」
アンドレアスのそのおどおどとした答えに、この場にいるほとんど全員が吹き出した。オイヴァも肩を揺らしている。
「そんな言い訳しようとしなくても良い。別に仲良くするのは悪い事ではないのだから」
オイヴァの言葉にアンドレアスが安心したように息をつく。
その様子を見て、ベルマン侯爵夫妻がぽかんとした顔をしている事に麗佳は気づかなかった。
続いてオイヴァは麗佳を呼んだ。これはオイヴァの側に寄れ、という意味ではなく、王妃の席に着けと言っているのだ。
麗佳は『失礼いたします』とオイヴァに断ってから、玉座に向かう。その間にヨヴァンカが歩いていく王妃の幻影を見せつつ、本物の麗佳のティアラを正式なものに付け替えてくれた。きっとみんなの目には麗佳のティアラが自然と別のものに替わっているように見えただろう。
麗佳が玉座に着いたのを確認すると、オイヴァは改めてマリエッタとベルマン夫妻に目を向けた。
「そなたがマリエッタ・ストローブ嬢だな」
「は、はい」
「改めて自己紹介をしようか。私はオイヴァ・ヴェーアル。このヴェーアル王国の国王だ。他国からは『魔王』と呼ばれている。以後お見知りおきを」
「私はマリエッタです。マリエッタ・ストローブです。は、はじめまして」
マリエッタはガチガチに緊張した様子で返事をしている。それだけ今のオイヴァは威厳が備わっているのだ。
最初は圧倒されて当たり前だ。マリエッタは『威張っているおっさん』でしかないヴィシュ王アーッレしか見ていないのだから戸惑うのも無理はない。
「そしてそなた達がベルマン侯爵夫妻で間違いはないな」
「はい。魔王陛下。ヴィシュ王国貴族ベルマン侯爵家当主、ホルガー・ベルマンでございます。隣にいるのは妻のカイスリです」
「そうか。ストローブ嬢、ベルマン侯爵夫人、我が臣下の、いや、反逆者の暴走を心よりお詫びする。今回の事はヴェーアル王国の王である私の責任だ」
国王がこんなに何度も何度も謝罪するのは本来ならあり得ない事だ。でも、それをやらなければこの問題は収まらない事をオイヴァも麗佳も知っていた。
そして、オイヴァが謝っているのはプロテルス公爵の件だけだという所も重要だ。
みんなはこの事にアーッレ王が関わっている事を知っている。ベルマン侯爵だってうすうす気づいているだろう。でなければ王家所有の離宮などには閉じ込められない。
それをここにいる誰もが分かっていた。
***
ベルマン侯爵、ホルガー・ベルマンは恐怖と戦っていた。
魔王が何故改めて公式の場でこんな事をしているのか、彼は分かっていた。
『ヴェーアル王国側は謝罪をした』という真実を見せたい。彼が謝罪している理由はそれだろう。
そうする事で、『反逆者』の共犯であり、この件の黒幕であるヴィシュ国王アーッレを貶めたいのだ。
片方が謝罪してもう片方が何もしない。しかも謝罪している本人にはそこまでの罪はない。これは大きな事だ。それはよく分かる。
つまり、この謝罪を受け入れる事は、自国の王を非難するのと同じ事なのだ。
魔王は恐ろしい。そんな事は小さい頃から聞かされていた。でも想像していたのはこういう恐ろしさではなかった。
まさか魔族の国でこんな心理戦をするなんて思ってもみなかった。
魔王は多分、ホルガーやカイスリが謝罪を拒否したとしても、殺したりはしない。
でも、自分たちの主は違う。貴族夫人であるカイスリの命を何とも思わず、魔族の男の為に差し出した極悪非道な王。それがホルガーの主である国王アーッレだった。
それに比べて魔王の何と穏やかな事か。ため息をつきたくなるほどだ。
先ほどの臣下達との明るいやり取りはヴィシュではあり得ない事だ。
それにしても、もどかしい。謝罪されたのがホルガーに対してだったら、何とか言葉を絞り出して会話が出来ただろう。でも、今回の謝罪の対象はカイスリと、勇者の彼女であるマリエッタだ。ホルガーはハラハラしながら見る事しか出来ない。
マリエッタはガチガチに緊張しているので、ここは妻に期待するしかない。
「いいえ。私は魔王妃殿下に助け出していただいた事を感謝しております。あのままではマリエッタ様と共にずっと恐怖と戦わなければなりませんでしたから」
やっとカイスリが口を開いた。
とは言っても、時間で言えば三十秒くらいだ。でもそれはホルガーには半日くらいの時間に思えたのだ。
カイスリは表面上は穏やかに話している。でも、心の中では怖がっているのが分かった。
「私からもお礼を申し上げます、魔王陛下。『ベルマン侯爵』としてではなくカイスリの夫として」
「そうか」
魔王は小さく笑った。それが嘲笑か呆れているのか穏やかな笑みなのかは分からない。でも、罰は与えられないのは分かった。それだけは良かったと思う。
「ありがとうございます、魔王……へいか」
マリエッタもようやく我に返ったようだ。故郷では下級貴族だったのだろうか。苗字があるのに『陛下』を言い慣れていないのがホルガーには不思議に感じられた。
「四人とも疲れただろう。しばらくここに滞在すると良い。ベルマン侯爵も、今、屋敷に戻ったら危ないであろう? 屋敷は私の手の者が魔法で保護した。でも、そなた達自身はどうなるか分からないからな。今回の件の残党が残っていないとも限らないだろうし」
魔王が静かな笑みをたたえながらそんな事を言った。
その『残党』が何を意味しているのか、ホルガーにはよく分かってしまった。
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