第14話 離宮突入の前に
「ウティレ、大丈夫? いけそう?」
麗佳は心配そうにウティレに問いかけた。
「やるしかないでしょう。でなきゃ切り捨てられるんだから」
ウティレは何でもないようにそう答えた。だが、その額には汗が流れている。気持ち的にはいっぱいいっぱいなのだろう。
でもそれは考えすぎだ。オイヴァはそこまでは厳しくない。
ウティレは最初から『王妃の旅中の専属魔術師』として同行している。だからきちんと命令に従って魔術師としての仕事をするのは当然なのだ。それは麗佳にもきちんと分かっている。
それに、ウティレにはこの事にあまり集中出来ない理由もあった。
***
昨日、予想外の事が起きた。
滞在先の屋敷の主人であるベルマン侯爵から、ウティレの姉でベルマン侯爵夫人であるカイスリ・ベルマンが、どうやらマリエッタと同じ所に捕らえられていると聞いたのだ。
確かにオイヴァと麗佳は、ウティレを家族に会わせた上で、もう未練がないか、裏切らないか、最後の確認をするつもりだった。
そうでないとまだ安心出来ない。それだけの事をウティレはやってしまったのだ。
はやく安心して正式に王宮魔術師の仲間として迎え入れたい。それは魔王夫妻だけでなく、王宮魔術師全員の願いだった。
でも、その会場はこの屋敷であり、ヴィシュ王宮の離宮ではなかった。予定が狂ったのは全部アーッレ王とプロテルス公爵のせいだ。
それにしてもプロテルス公爵という男は本当に腹が立つ。きっとやっていい事と悪い事の区別もつかないのだろう。
王の名をかたって犯罪をするなどあってはならない事だ。
この事はすぐにオイヴァに報告した。
最初は『今は執務中だぞ。そんなに私が恋しかったのか? レイカは甘えん坊だな』と上機嫌そうにからかってきたオイヴァも、話を聞いていくにしたがってどんどん不機嫌になっていった。それほどの事なのだ。
麗佳の説明が終わると、オイヴァは冷たい声で『公爵はもうすでに王気取りなのだろう』と吐き捨てた。
イリーネは『そうではないと思います』と言っていたが、『いや、そうなのだ』がオイヴァはしっかりと言い切った。
王の言葉はとても重いと知っての発言だ、と麗佳には分かった。だから反論はしなかった。
そういう事にした方が、彼らの罪が重くなるのでこちらにはありがたい。オイヴァはこういう時、敵相手に絶対に容赦しない。
そうして麗佳には改めて『プロテルス家のクーデター完全阻止』が命じられた。やる事はほとんど同じなので何も問題はない。
ただ、捕らえた後はすぐに自殺阻止の魔術をかけた上でヴェーアル王宮に飛ばすことに決めた。
その方がすぐに尋問出来るし、計画が失敗に終わった事で、公爵が逆上して麗佳に襲いかかる危険性も増したからだ。
とにかく、今回の作戦は絶対に成功させないといけない。
***
「イリーネ、アンドレアス、クルト、ウティレ、 改めて命じます。勇者ジャン・ロマンをしっかりと守り、マリエッタ・ストローブを保護しなさい。出来るならばカイスリ・ベルマンも同時に保護するように」
王妃レイカは、冷たい声で臣下達に命じた。その声には『失敗したら許さない』と言うような気迫が溢れている。
ここはベルマン侯爵の屋敷の中だ。そこで最終確認をしている。
「はいっ、王妃殿下」
「残りの者達はわたくしについて来なさい。プロテルス公爵一味を捕縛します。最後の一人まで逃さぬようお願いいたします。同時に、彼らの注意をこちらにそらし、保護班の仕事をしやすいようにしますから、保護班は心配せずに対象を保護する事だけを考えて。いいわね?」
「分かりました。王妃殿下」
「王妃殿下、殿下の警護は私共にお任せください」
「頼もしい言葉ですね。期待していますわ」
そうしてレイカ王妃はその場にいたもう一人の男を振り返る。
「ベルマン侯爵、お世話になりました。どうか、ここで知った事は内密にお願いします」
「はい。ですが、ウティレ君は……」
「ウティレは大丈夫ですわ」
「でも……」
「わたくし付きの魔術師を心配して下さるのは結構ですが、これはこちらの問題です」
「それでもあそこにはカイスリがいるんでしょう。ウティレ君が傷ついたらどうするんですか!」
「俺は大丈夫です、侯爵閣下」
「ウティレ君!」
平然と発言するウティレにベルマン侯爵が焦ったように声をかける。
「分かってる? カイスリがいるんだよ。しかも自国の王を裏切るような酷い魔族と一緒にだよ! 何をされているのか、どんな状態だか分かったものじゃない。それでも『大丈夫』だって言えるのかい?」
ベルマン侯爵の予想外の言葉にその場にしばらく沈黙が訪れる。
「あの……王妃殿下、侯爵閣下、発言よろしいでしょうか」
その嫌な沈黙を侍僕のアンドレアスが破った。
「ええ、どうぞ」
「あ、はい。何でしょうか」
「ウティレは私達の同僚でございます。かけがえのない仲間でございます。そんな仲間を私たちが全く気にかけていないと、閣下はそう思っていらっしゃるんですか?」
「ええ、それに王妃殿下は何もおっしゃいませんが、魔王陛下や王妃殿下にとっても、ウティレは信頼出来る臣下なのでございます」
イリーネもアンドレアスに加勢した。
「侯爵閣下が義弟を大事に思う気持ちは分かります。それでも少しはウティレを信じてやってはもらえませんでしょうか」
そこまで言われては侯爵も何も言えない。
「じゃあ、ウティレ君。無理はしないように」
「俺は大丈夫です」
それでもまだ心配する侯爵にウティレはしっかりと返事をした。
***
「……何だよこの茶番」
魔法越しに会話を聞きながらウティレがヴィシュ語であろう言葉——通訳魔術越しで日本語に聞こえた——でつぶやいた。麗佳は近くで解術の魔術式を手早く組み立てながら苦笑する。
「仕方がないでしょう。わたくし達が対魔族用の罠を解かなければ、みんなは安心してこちらに来られないのですから。とりあえず『茶番』をやってでもベルマン侯爵邸で止めておかないと。これは侯爵への牽制にもなりますし」
麗佳とウティレは一足先に離宮へ向かい、あちこちにつけられた魔術の罠を解いている。
今、ベルマン邸で侯爵と会話しているレイカとウティレは、触れられるホログラフィーみたいな魔法で作った姿だ。
昨日は準備が大変だった事を思い出す。ベルマン侯爵の人柄を見た上で、彼とするであろう会話をシュミレーションし、セリフを魔法で録音したのだ。
でも、侯爵がここまで義弟を心配していたとは思わなかった。と、いうより元々がお人好しな性格なのかもしれない。
麗佳達の案内はイシアルの魔術師であるアナベルがやってくれている。イシアル王家が全面的に協力してくれるというので魔術師を要請したのだ。
その魔術師、アナベルは、麗佳が旅行している間に仕掛けられている術や魔法陣を調査し、麗佳とオイヴァ、そして麗佳の魔術教師であるウィリアムにせっせと報告してくれていた。
先に解くわけにはいかなかった。そうすれば異常に気づいた者がマリエッタに何をするか分からなかったからだ。その代わりに、アナベルは今、こうやって麗佳達の手伝いをしてくれている。
もちろん三人の姿は敵達には見えないように魔術で隠してある。そうでないと安心して作業が出来ないのだ。
人質達の声は聞こえた。でも、カイスリがマリエッタにいかに魔族が恐ろしいかのレクチャーをしていて腹が立ったので聞かないようにする。嘘ばかりだし、怒っていると術に集中出来ないからだ。
それにしても離宮の大きさに比べて罠の魔術の数がかなり多い。少しでも魔族の数を減らそうと考えているヴィシュ王家側の作戦だろうか。今、解除しているものでもう四つ目だ。アナベルは遠くの方で作業をしている。
ウティレはさっきから扉の前に仕掛けてある魔術に苦戦している。まだ一番最初に解き始めたものなのに大丈夫だろうか。
「で、どう? ウティレ。解けそう?」
同じ場所からちっとも動かないウティレに声をかける。
「難しかったとして、陛下もわたくしもあなたをとがめないわ。で、どうなの?」
優しく言ってみるとウティレは悔しそうな顔をした。『出来なければ切り捨てられるかもしれない』などと言っていたが、結局はプライドの問題だったのかもしれない。
「……ものすごく難しいです。妃殿下、申し訳ありませんが手を貸していただけませんか?」
「分かった。そっちはわたくしが変わるわ。それから難しかったらはやめに言って頂戴」
「すみません、王妃殿下」
「いいのよ」
「こちらの方は終わりました。って、え? ちょっとウティレさん! そこをやってたんですか!? それ解くのがめちゃくちゃ難しい術ですよ。コーシー先生も魔王陛下もそこは魔王妃殿下に任せた方がいいとおっしゃってた所です。ほら、他の所は比較的楽ですよ。こことかそことか」
「ありがとうございます」
慌てたようなアナベルの言葉に、ウティレはほっとしたような顔をして移動をした。そうして陣を見てため息をついた。
「こっちは……なんていうか……雑ですね」
「きっとこれはわたくし達が来るって知ってから急いで設置したんでしょうね……こんなものを先生の課題で作ったとしたら追試は確実かもしれないわ」
麗佳のその言葉に、アナベルが笑った。
「コーシー先生なら内心でほぼ見捨ててるでしょうね。追試どころじゃなく落第かもしれません」
「ああ。そうね。そうかもしれないわ」
アナベルは、ウィリアムが昔イシアル学園で教えていた頃の生徒だという。広義的に言えば、麗佳の先輩であり、姉弟子なのだ。だからこういう会話が出来る。
アナベルと笑い合い、ウティレと交代した所の魔術を見る。そうして自然と眉をひそめてしまった。
「これは……」
怒りを込めてつぶやき、ポケットから紙を二枚取り出す。
これはウィリアムから渡された魔術式だ。行く前に一枚、そして旅行中に魔術を使って一枚送ってくれた。後者は前者の改良版だ。きっとアナベルの報告書を見て作り直してくれたのだろう。
「妃殿下?」
ウティレが不思議そうに尋ねてくる。
「これは元からここにあったものですわね。集中しますから、しばらく返事が出来ないかもしれません」
「分かりました。さ、ウティレさん、残りを片付けましょう」
「あ、はい」
アナベルが空気を読んでくれた。『ろくでもないものって事か』とウティレがつぶやいたので、彼も分かってくれたのだろう。
本当にこれはウティレの言う通り『ろくでもないもの』だ。これが新人隠密の命を奪いかけたのだ。王妃としては本当に許せるものではない。
ウィリアムが作ってくれた魔術式を浮かべる。補足に『魔力はゆっくり注ぐように』と書いてあるので一気に入れないように気をつけながら魔力を注ぐ。
魔力を注いでいると式が舞い始めた。さすがはウィリアムが作った魔術式だ。芸術的過ぎる。
それでも気は抜かない。見惚れていたら術に失敗するかもしれないのだ。麗佳の緊張に気づいているのか他の二人も何も言わない。
麗佳の放った魔術式はするりと罠魔術に入り込み、どんどんと効力を無効にしていく。そして数分後には跡形もなく無くなっていた。
ふぅー、とため息をつく。緊張と疲れと大量の魔力を使った事で床に座り込んでしまった。
「大丈夫ですか? 魔王妃殿下」
ぐったりとしていると、アナベルがすかさず治療魔術をかけてくれた。
「ありがとう、アナベル」
お礼を言う。本当は『ありがとうございます、アナベルさん』と言いたいが、麗佳は一国の王妃なのでそれは出来ない。
ちょうどその時、ウティレが戻ってきた。その様子を見ると、どうやら小さな魔術も全部解き終わったようだった。ほっとしたような表情をしているのでよくわかる。
だが、本番はこれからだ。とりあえずウティレに命じて、魔族のみんなに連絡してもらう。これから合流するのだ。
アナベルは一旦魔王城にいるウィリアムの所へ報告の為に転移した。それを見送った後、麗佳はもう一度ウティレに向き直った。
「ウティレ、大丈夫なのね?」
「はい! カイスリ姉さまをぼっこぼこにしてきます!」
「そうじゃないでしょ! カイスリは助ける方!」
ふざけ始めたウティレに思わず日本語で突っ込んでしまった。アナベルの為に使った通訳魔術のおかげで通じてよかった。
それにしても笑えない冗談はやめて欲しい。本人は笑っているが。
「そうでも思っていなきゃ耐えられねえよ」
笑った後に暗い顔でそうひとりごちる。それを言われると麗佳には何も言えない。
きっとウティレも、この姉との対峙で自分の過去にケリをつけようとしているのだろう。それなら麗佳に止める理由はない。なので叱るのはやめて所定の位置に着くように命じる。ついでに転移の魔法陣も作ってもらった。転移魔術は難しいので、麗佳にはまだ作れないのだ。
「カイスリに文句を言うのは救出完了した後にしなさいね」
それだけ言い残して麗佳は自分を待っている臣下達の所へ転移した。
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