第13話 甘ったれの贖罪

 一番下の弟が死んでからかなり経つ。


 弟は国王の命令で魔王を調査しに行って、そこで殺されたらしい。


 『らしい』というのは、まだ自分が弟の死体を見ていないからだ。


 ただ、ほぼ確実だという事はわかる。きっと弟は魔王によって、酷い拷問をされ、失意のまま死んでしまったのだろう。


 長兄はすっかり弟が死んだと信じ込んで、『神の罰があの庶子に与えられたのだ!』などと喜んでいる。

 でも、カイスリにはそんな事は思えない。


 思えば弟は本当に不憫な子だった。


 本人はそんな事を望んで生まれてきたかった分けではないだろうに、後妻の子として生まれて来てしまった。事故死した母への裏切りの象徴として生まれて来てしまったのだ。


 もちろんそれを前妻の子である兄達が許すわけがない。


 継母が生きていた頃はまだ良かった。継母とその間に生まれた可愛い末っ子を大事にする父の目が怖くて誰も何も出来なかったからだ。それでも兄達は弟には絶対に近寄らないようにしていた。


 弟は、カイスリが声をかければにこにこと笑ってくれる可愛い赤ん坊だった。その事だけはかなり強烈な印象に残っている。


 物心がつく前に継母が死んでしまったのが弟の不運だろう。父は悲しみを隠すために仕事にのめり込んでしまい、屋敷での長兄の天下が始まってしまったのだから。


 もちろんすぐに弟へのいじめは始まった。名目は『しつけ』だ。母も父もいないのだから自分たちが小さな弟をしっかり育てると長兄は父に宣言した。


 まさか父もその裏で長兄が弟を憎んでいるなんて思っていなかっただろう。長兄は、いや、兄達と姉は外面がいいのだ。


 さすがに食事は抜かれなかった。それをすればすぐに父に知られて厳しい罰を与えられるだろう事は長兄にもわかっていたのだとカイスリは考えていた。

 実際には、『一緒に食事をさせれば、マナーのあらを見つける事が出来る』と考えの事だったのだが、カイスリはそんなことは知らなかった。


 いじめは言葉の暴力から始まった。弟の言動すべてに干渉し、ここが駄目だ、あそこが駄目だと優しい声で責め立てた。


 それはすぐに暴力が加わる。それも目に見える所はなるべく傷つけない悪質なやり方だった。ただ、手だけは、しつけという名目で鞭を打たれていた。


 最初は弟も『いやだ! いたい! なにするのにいさま!』と叩き返したりして抵抗していたようだ。だが、それもしつけという名のもとに罰を与えられる。そんな事が続けばこういう反抗が無駄だということを学んでしまう。


 一番上の兄がそんな事をしているのだ。当然それは次兄と姉にも影響を与える。二人が真似をし出したのだ。

 そして長兄は『末っ子をしつけるのを手伝ってくれて偉いな』と次兄達にキャンディなどのおやつを与えてくれる。そして兄に褒められたいが為に、次兄達はもっと『しつけ』をする。最悪なループだった。


 おまけに、最初はそんな『しつけ』からは距離を置いていたカイスリにも、『お前は兄様達がこんなに頑張っているのに協力してくれないのか。兄様は寂しいよ』と目が全く笑っていない笑顔で脅しかけ、いじめの仲間に無理矢理引き込んだ。

 長兄の座ってる椅子の横にあるキャンディボックスが置かれた引き出しの中にいつもの鞭が入ってることをカイスリは知っていた。

 とろりとした甘い声は『従わなければ弟と同じ目に遭わすよ』という意味にしか思えなかった。長兄は弟をいじめる時よくその声を使うからだ。

 そうして『前払い』としてゆっくりとキャンディを手に握り込まされてしまった。


 それでもまだ乳母がいたから良かったのだろう。乳母は父と継母が選び、家に尽くしてくれるいい女性だったので長兄も手出しが出来なかったのだ。


 もちろん表向きには乳母は『嫡男様』には逆らえない。だから兄達の見ていない所で『ウティレ坊ちゃまはいい子ですよ。本当は優しい子なんですよ。わたしは坊ちゃまの事大好きですよ』とべたべたに可愛がっていた。

 弟の性格がそこまで歪まなかったのはきっと彼の乳母のおかげだろう。


 父は知らんぷりだった。たまに屋敷に帰ってきて長兄から嘘の報告を聞く。そうして一言『ご苦労だった』で終わらせるのだ。きっとそれも長兄の機嫌を損ねていたのだろう。


 そのうち、父の雇った家庭教師が弟の元へ来る。思い切り甘やかしてくる兄達の教師とは違う、厳しい事で有名な教師だった。昔は兄にもその教師が付いていたようだが、兄の怒りを買って辞めさせられたのだそうだ。

 それを期に、長兄は弟の乳母を家族の元へ帰した。優しいねぎらいの言葉をかけられれば弟の乳母も逆らえない。


 それでも、その後、家庭教師に魔術の才能がある事を見いだされ、王宮で修行する事になった時は彼を幸運だと思った。


 長兄は弟だけが王宮にあがる事をよくは思っていなかったようだが、王命には逆らえないので大人しく送り出した。


 結局、弟は重要な任務に送り出され、帰って来なかった。


 そして、今、カイスリも似たような危機に陥っている。弟とは違い魔王領には行っていないが、いわゆるそういう事だ。

 『お前も自分の弟に次いで死ね』と言われているような気がする。カイスリはため息をついた。


「カイスリ?」


 同室にいる女性が声をかけて来た。カイスリは慌てて顔をあげる。


「あ、はい。何かご不便な事でも?」

「そうじゃなくて、カイスリの顔が寂しそうだったから」

「そんな。私など……。マリエッタ様の方が大変ではございませんか」


 カイスリがそう言うと、その女性、マリエッタは不機嫌そうな表情になった。


「はやくここから出たい。抜け出したい」

「危ないですよ、マリエッタ様。魔族に殺されてしまいます!」

「分かってるけどなんか嫌!」

「それは私にも分かりますけれども……」


 いつものやり取りをする。


 マリエッタはこの間召喚をされた勇者と一緒に来た勇者の恋人だ。そのため、魔王から目をつけられ、こうして人質としてこの部屋に閉じ込められている。

 きっと勇者を殺したら、魔王はすぐにマリエッタに手をつけるのだろう。


 マリエッタも最初は何度か脱走もしようとしたらしい。しかし、その度に捕らえられた。

 そうしてそんなマリエッタに痺れを切らした魔王の配下は適当な人間を連れてさらって来て、話し相手兼見張りとしてつけた。それがカイスリなのだ。


 言葉の問題は魔族がなんとかした。そうして仲良くさせておいて『次に逃げようとしたらこいつを殺すからな』と脅しをかけたのだ。酷すぎる。


 もちろん、カイスリも、『この女を連れて脱走したりしたらお前の夫と子供を殺す』と脅されている。そして、 何のためなのか分からないが、魔王の遣いが、昨晩、カイスリの屋敷に泊まったらしい。じわじわといろんな所を締め付けられているのが分かる。


 それでも勇者のために自分に出来ることをするべきだ。それはこの国のためになるのだろう。カイスリはそう信じている。


 魔族側にはマリエッタの身の回りの世話をする侍女もいなかったので、それもカイスリがすると言っておいた。どうせ逃げられないのだからこれくらいはするべきだろう。

 マリエッタは着替えくらい自分で出来ると言うし、縫い物の腕はマリエッタの方が上だ。なので、着替えだと投げつけられたぶかぶかの洋服を詰めるのはマリエッタがやっていた。でも、着付けやその他の世話は積極的にやった。


 そして、魔族が脅しに来た時にはマリエッタの盾になり、カイスリが話を聞いた。生意気な、と殴られたが、弟が兄達や自分に殴られたのよりはまだ痛くない、と我慢した。


 魔王によって弟を殺されている事で、魔族に嫌悪感を持っているカイスリを見張りにつけたのは、魔王側の人選ミスだという事はよくわかる。


 人の命をおもちゃのように考えている魔王や魔族は大嫌いだ。そんな人間が『魔王は立派な方ですよ』などと言うわけがない。


 だから見張りの声が少ない時には必死になって魔族についてレクチャーした。どんなに魔族が恐ろしい生き物なのか、過去、魔王によってこの国にどんな被害がもたらされたのか。もちろん、死んでしまった弟の事や、自分がここに連れて来られた時の話もしっかり話した。


 だが、マリエッタは内心では諦めていないようだ。まだ希望はあると思っている。


 それがマリエッタの恋人でこの国に勇者として呼び出されたジャンだ。


 カイスリも、さすがに、今までどれだけの勇者が行方不明になってきたかは話して聞かせるつもりはない。それではマリエッタの心を砕いてしまうだけだ。


 ふぅ、とため息をついたその時、部屋の外がざわめき始めた。


 カイスリはそっと扉の所に近づき何を言っているのか聞こうとしてみた。だが、どうやらそれは魔族の言葉のようで分からない。


 そこまでは魔法の通訳の範囲内ではないのだ。情報を漏らさないためだろう。


 どこからか男や女の叫び声がする。その言葉の意味も分からない。

 ただ、時々、怒号と大きな音が聞こえるだけだ。それがまた恐怖を誘う。


 何が何だか分からなくて怯えているのはマリエッタも一緒だ。


「マリエッタ様、大丈夫です。気をしっかり持って下さい」


 カイスリはそうやって励ます事しか出来ない。


「も、もしかしたら勇者様が来たのかもしれませんよ」


 せめてもの慰めに、確信してない事まで言ってみる。


「ジャンが……。だ、大丈夫かな? あいつ意外と弱虫で……」


 なのにマリエッタは不安にさせる事を言う。でも、『それじゃあ駄目じゃないですか』というツッコミが出来る雰囲気ではない。


 カイスリ達がいる部屋の近くが少し静かになった。でも、遠くの怒号は止まらない。きっと侵入者かもしれない者との戦いに全力でかかっているのだろう。


「今のうちに逃げられるかな?」


 マリエッタのつぶやきにカイスリは『いいえ』と言う事が出来なかった。確かに好機かもしれないとカイスリ自身にも思えたからだ。


 だが、彼女達の動きは止まる。扉の前に人が来た音がしたからだ。おまけに鍵を開ける音がする。見張りが二人の様子を見に来たのだろうか。


 だが、その相手はなかなか入って来ない。おまけに何故だか暴力を振るっているような音が聞こえる。

 何があったのかカイスリ達には分からない。倒されているのはどちらだろうか。


「よっ……っと! ふぅ、開きましたね。急いで中に入りましょう」


 しばらくして聞こえて来た声にカイスリは固まった。懐かしい声だった。声変わりしたのか少し声が低くなっているが、とても似ていた。


「……え? いいんですか? それ」

「俺は妃殿下じゃないんです。開ける人を誘導した方がはやいんですよ」


 昔と違ってなんだか楽しそうな声だが、間違いなく弟の声だ。


「静かにして下さい。あなたがたは注意を引きつけてくださっている王妃殿下の足を引っ張りたいのですか!」


 その声達は何故かもう一人の人に怒られている。


 驚きすぎたせいだろうか。何で? どうして? という言葉も出て来ない。

 隣を見ると、何故かマリエッタまで固まっている。


 ゆっくり、恐る恐るというように目の前の扉が開いていった。

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