第11話 意地悪な茶会
ゼンゲル伯爵から受けたいわゆる外国の王族に対する普通の対応が、どうやらヴィシュ王国全体では『普通』ではないらしいと、麗佳はこの数日間で嫌というほど思い知った。
どうやらヴィシュではヴェーアル王国の王族というのは『王族』として考えられていないようだ。
麗佳に対して礼をしないのはまだいい方で、使用人達を倉庫のような部屋に案内しようとする、麗佳に『殿下』の敬称も付けず、『レイカ様と呼んでもよろしくて?』と上から目線で言われる、麗佳が魔王にいいように使われている可哀想な女性だと勝手に思い込んで手を取られて『哀れな方』と涙ぐまれる、などなど、もうありとあらゆる対応をされた。
涙ぐんだ男爵夫人は、きちんと事情を説明したら納得し、謝罪してくれたのでよかった。
ウティレや他の隠密から聞いたが、どうやら夫人もアーッレ王から麗佳に嫌がらせをするよう書簡で命じられていたらしい。そして、魔王から苦しめられている女性が、自国の王にまでいじめられようとしている現実にやるせない思いを抱いていたそうだ。
その夫の男爵も悪い性格はしていないようで、誤解が解けた後はきちんとした温かいもてなしを受けた。
ただ、他の人の悪意ある対応は許せるものではない。
上から目線の対応はほとんどの貴族夫人がやっていたので、これがヴィシュ貴族のヴェーアル王族に対する普通の対応なんだな、と納得するしかなかった。とはいえ、心の中でブラックリストに入れるのは忘れなかった。
魔族の使用人達をウティレが引き連れているとわざと勘違いをした者もいた事を思い出す。麗佳をほっぽり出してウティレに対してぺこぺことやったのだ。
当然ウティレは慌て、自分はヴェーアル王国王妃の専属魔術師でしかない。その対応はやめてくれと止めた。
そうしたら今度は他国の貴族令息を顎で使うとは何事だと麗佳に対して怒鳴りだした。
顔をあまり知られていないウティレでさえこうなのだから、元侯爵家の嫡男であるユリウスや、その妹のヨヴァンカが同行していたら、もっと大変な事になってたかもしれない。
これで、何故ラヒカイネン兄妹が麗佳の旅の側付きではなく、外側からの補佐に選ばれたのかよくわかった。
あの対応をされてから、ウティレは最初の挨拶の時には表に出ず、自主的に裏で動くようになった。申し訳ない事をしたと思う。
もちろんこれらの事はオイヴァには毎晩きちんと報告した。『大変だな。戻ってくるか? いつでも帰って来ていいんだぞ』と冗談めかして言っていたが、あれが半分本気だった事を麗佳は知っていた。つまりそれほどあり得ない対応をされているということだ。
その意地悪は今でも続いている。
麗佳はため息をつきたいのをこらえるように美味しい緑茶を口に運んだ。
「相変わらずあの作者は最高の描写をなさいますわね。失意で泣き崩れる主人公の所にヒーローが駆けつけるあのシーンといったら……。わたくし涙が止まりませんでしたわ!」
「でも今作は少し展開が速くはありませんでした?」
「そうですね。途中で少し何が起こっているのか分からない事がありましたわね」
目の前ではベストセラー作家の新作の話がされている。麗佳にはさっぱり分からない。
上流階級の茶会では文学や芸術の話をする事は麗佳も知っている。教養のために魔族文学ならかなり読んでいるし、イシアル文学も、イシアル語と同時に基本的なものはウィリアムから習っている。
だが、ヴィシュの現代文学はさっぱり分からない。有名な古典文学のあらすじなら、こういう事に遭遇した時の対策のために、オイヴァからある程度あらすじを教えてもらっているが、それだけだ。
この茶会の主催者であるリーモラ子爵夫人の思惑にしっかりはまっている気がする。お茶が日本で慣れ親しんでいた緑茶だというのだけが救いだ。
きっと子爵夫人は、わけの分からない怪しげなお茶を出され、会話についていけない事で魔王妃が苦しむのを見たいのだ。
そして怒りが爆発し、この場でみっともなく怒鳴り散らすのを待っている。そうすれば思い切り馬鹿にする事が出来るからだ。
先に意地悪を言う事は魔王が怖いので出来ない。だから貴族流のやり方で麗佳を貶めたい。そういう事だ。
でも麗佳はそんな思惑に乗ってやる気はないので、にこにこしながら話を聞く。題材が恋愛小説なのでそんなに苦もなく聞く事が出来る。それにあらすじならここにいる貴族夫人達の話から分かる。
面白そうだからどこかの書店で買ってみたい、と思うが、実際にそれは難しいだろう。麗佳は観光に来たのではない。仕事で
おまけに麗佳はヴェーアル王国の王妃で、ヴィシュ王国はヴェーアルにとっては敵国にあたる。『そんな国の小説を買って帰るなんて、王妃殿下は何を考えていらっしゃるのか!』と言われそうだ。
これも夫人の嫌がらせの一部なのだろうか。
ゆっくりと飲んでいた緑茶を飲み干してしまったので、話がいったん途切れたところでお代わりを頼む。
「ああ、そうそう。クリームやお砂糖もありますのよ。一緒にいただきたい方はどうぞ言って下さいね」
そこに子爵夫人が爆弾を投下した。
クリーム!? お砂糖!? 緑茶に!? と叫びたくなるのをぐっとこらえる。そういえば、日本でも最近は『緑茶ラテ』とかいうものを売っていた気がするので問題はないのだろう。
一国の王妃が他国の食文化をありえないと否定するのは良くない事だ。そういう飲み方もあると受け入れなければならない。
みんなは喜んで生クリームを入れている。
「今日はすすめてくださらないのかと思いましたわ」
「初めて飲む方がいらっしゃるんですもの。まずはそのままの味を楽しんでいただきたいと思いましてね」
「あら、そうですの。珍しいですわね」
どうやらこれは嫌がらせの一部のようだ。
「魔王の奥様もいかが?」
魔王の奥様、という言葉に眉をひそめそうになる。先ほどから麗佳はそんなふうに呼ばれている。どうやらこの夫人たちも麗佳を王族と認めたくないらしい。
最初の頃はイリーネが抗議しようとしていたようだったが、麗佳が止めた。ここでもめ事を起こすのは良くない。こういう人は黙ってブラックリストに入れておけばいいのだ。オイヴァもよくそう言っている。
「わたくしは結構ですわ」
その返答が意外だったのだろう。子爵夫人は目をぱちくりとさせている。
「とても香りの良いお茶ですもの。今はこのまま何も入れずこの味を楽しみたいのです」
「そう……ですか」
なんだか納得のいっていない様子だ。でも紅茶をストレートで飲む者もいるから問題ないだろう。
それにしても、紅茶と緑茶があるということは、この世界にはウーロン茶もあるのだろうか。そうだったら是非飲んでみたい。
この世界のお茶はカフェインが入っていないらしい事以外は故郷とほとんど同じものだ。間違いなく紅茶の製法も同じだろう。
「ちょっと! 嫌がらせにならないじゃない」
「気に入ったのかしらねぇ……」
「まあ、魔王の怒りを買わなかったのだから良しとしましょ」
こそこそと話しているが丸聞こえだ。そんなに距離が開いていないのだから当たり前なのだが。
「ちょっと! 嫌がらせとか本人に聞かれたら大変でしょう! おやめなさいな!」
こそこそ話していた二人の隣に座っている女性が慌てて止めるが、彼女の声が一番大きかった。みんなの動きが止まる。
「嫌がらせ?」
麗佳は軽く小首をかしげた。こそこそ話していた女性達がびくりと震える。
「嫌がらせってどういう事ですの?」
「そ、それは……」
女達はあからさまにうろたえた。目がきょろきょろしている。どうやってごまかすか、それとも思い切って暴露して素直に魔王妃の怒りを買うか考えているのだろう。
「本当にそういう話をしていたのなら、彼女の言うようにやめた方が良くてよ。悪口はせっかくの美味しいお茶やお菓子の味を損ないますわ」
それだけ言ってお茶に口をつける。それで雰囲気も和んだかに見えた。
でも、それはリーモラ子爵夫人が許さなかった。憎しみのこもった目で余計な事を言った三人を睨んでいる。
「リーモラ子爵夫人」
思い切って声をかけた。
まさかここで麗佳に話しかけられるとは思わなかったのだろう。動揺してカップをソーサーに戻す時に音などを立てている。
「な、何でしょう、魔王の奥様」
「そんな怖い顔をなさらないで下さいませ。わたくしはこういうお茶の場に招いたいただいた事を夫人に感謝しているのですから」
いい加減にしろ、と気持ちを込める。それと同時に『嫌がらせ』の対象が自分だと知っているという事もその場にいる人全員にしっかりと教える。そして、麗佳はそれを分かっていて見逃してあげているのだ、ということも。
「ね?」
無邪気そうな表情を見せる。だが、その奥に威圧感を見せた。
こういう時はいわゆる『童顔』というのは便利だ。表向きには無邪気な少女に見えるように。でもその中にしっかりと自分の意思を見せる。
本来なら自分の顔をこんな事に使いたくなどない。それどころか、自分がこの世界では童顔だというのも認めたくはない。
「そ、そうですか。喜んでいただいて嬉しいですわ、……魔王妃……殿下」
その敬称で呼ばれた事で、意図する事は全部夫人に伝わったと確信する。なのでさっと矛を収め、満足そうに微笑んでみせる。
こういうやり方は王妃教育や、何度もあった社交で身につけた。厳しくしておかないといけない場面というのは今までに何度もあったのだ。オイヴァからもこういう時はしっかり厳しく対応するようにと言われている。
「あ、そういえば。あのお菓子が先ほどから気になっていましたのよ。取っていただけるかしら」
何でもないように給仕にお願いする。場はすぐに優雅なものに戻った。
でも、茶会の中心人物が完全に入れ替わっていた事を、この場にいる誰もが理解していた。
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