第10話 苦肉の嫌がらせ

 厨房の片隅で料理人達が頭を抱えていた。


「無理に決まってんだろ」


 一人がぽつりとつぶやく。もちろん他の人も同意見だ。


 ため息の理由は彼らが雇われている屋敷の奥方である領主夫人からの無茶ぶりだ。


——明日、魔王の女がこの屋敷に一晩泊まります。そこでお前達には彼女への嫌がらせを考えて欲しいのです。これは国王陛下の意思でもあります。考えなかった者はそれ相応の処罰も覚悟しておくように。


 めちゃめちゃな要求だ。でも少しでも考えれば王と領主の命令に逆らう事にはならないというのがせめてもの救いだ。


 幸いな事に、ここの料理人達は『相手を陥れる』という考えは持っていなかった。わがままな『奥様』の要求に応えるために一致団結した結果なのだが、これは今の彼らにとってありがたい事だった。


 料理長はこの話し合いの場にはいない。部下のうろたえぶりを見て、『これじゃあ動揺していて手でも切るのではないか』と心配した結果、今夜の晩餐の下ごしらえを一人でしてくれているのだ。


「嫌がらせ、嫌がらせなぁ……」

「メイドに頼んでさくっと毒殺すればいいのに」

「でも相手は魔王の女だぞ。寵愛を受けてるんだったらヤバいだろ。怒りとかよー」

「あれ? 旦那様が話してんの聞いたけど、明日滞在するの魔族の王妃らしいって……」

「はぁ!? マジで!? 奥さ……いや、お妃様なのかよ!」

「もし……そのお妃様がここで死んだりしたら……?」


 そこまで話して料理人達の額に同時にたらりと汗が流れる。思い浮かべていたのは二百年近く前の魔族によるとある準男爵家の虐殺事件だった。

 もちろん彼らは記録でしかそれを知らない。だが、それがどんなに恐ろしいものだったのかはヴィシュ人なら誰でも知っている。子供の頃に親から何度も聞かされるからだ。


「領民全員……皆殺し?」


 誰かがつぶやいた声に料理人達の恐怖は最大のものになってしまった。先ほど『毒殺すれば……』と言っていた男など顔面蒼白になっている。


「い、嫌だ! やだ! やだーー! おれ死にたくねえよぉーーーー!」

「だだ、大丈夫だよ。『毒殺』って言ったのはここだけの秘密にしておくから」

「ごめんなさい、魔族様、お許しをーー! 謝りますから殺さないでぇー!」


 ついに男は混乱のあまり床に膝をついてどこにいるか分からない魔族に謝罪をし始める。目からぼたぼたとこぼれ落ちる水分を同僚達は見ない事にした。


「落ち着けって! これ逆に奥様や旦那様に聞かれたら大変だから!」

「と、とにかく軽い嫌がらせをすればいいんだろ? それだけなら皆殺しにはならない!」

「そ、そうだよな」


 それでもその魔族の王妃が領主夫人のように無茶ぶりをする我が儘な女ならば、軽い嫌がらせで機嫌をそこねるかもしれない。

 魔族の王妃が、夕食の皿の付け合わせがちょっと他の人より少ないだけで、『何よこれは! 私を馬鹿にしているのね! 料理人を呼びなさい! この場で殺してあげるわ!』と怒鳴り散らすような女性でない事をその場にいる料理人達は祈った。


「領主夫妻と同じものを出さなくちゃいけないのは確実だよな」

「当たり前だろうが! 魔族とは言っても一応はお客様だぞ」


 白芋の皮をするすると剥きながら料理長が厳しい声で言う。彼は料理人としての誇りがあり、その料理に細工をする事をもっとも嫌う。


 そして、その発言で、何故料理長が今まで話し合いに加わらずに料理の下ごしらえを一手に受けていたのか分かった。

 口にはしないが、若い料理人の心の中では『ずるいずるい! ずるいぞ!』という言葉が繰り返されていた。


 料理人達の口からため息が漏れる。課題が厳しくなってしまったのだ。


「つまり、そのお妃様に普通の食事出した上で怒らせなくちゃいけないって事か?」

「え? 何だそれ。ハードル高くね?」

「嫌いな食材でも知ってれば、それを『栄養価の高い食べ物ですよ。王妃様のためにわざわざご用意いたしました。食べてくださいね』で終わるかもしれないけど……」


 これも難しいのだ。大体の人に嫌われる野菜などはここの奥方も嫌いだからだ。下手をすると、魔王の妃ではなく、奥方の怒りを買ってしまうことになる。

 つまり、『奥方の好物で、魔王の妃の嫌いそうな食材』を探さなければならない。


 しばらく料理人達は考え込む。一部はこんな面倒くさい事を、メイドではなく料理人である自分たちに考えさせた奥方を恨んでいた。


 しばらく考えた末に一人が口を開く。


「この土地の珍しい食材を出したらどうだろう。最初は癖が強くて苦手でも、段々慣れて来る事とかあるだろ? そういうやつ」


 ああ! と誰かがつぶやいた。


「それなら奥様が『あら、美味しいのに食べれませんの?』と馬鹿にする事も出来るな」

「もし、お妃様が食べれても『偶然味が気に入った』という事で許してもらえるだろうな」

「異物混入もしてないし、同じ量を出しても問題はないよな」

「料理人としても傷もつかないしな」


 みんなはどんどん肯定の意見を出して行く。


 もうそれしかない。その思いが彼らの心の中を満たしていた。



***


 客室に置かれている木製の箱に魔王妃の付き人達は困惑を隠せなかった。この中にはどうやら領主が好んで飲んでいる茶の葉が入っているそうだ。わざわざ外国から輸入してまで手に入れているらしい。


「これが……その……『嫌がらせ』のお茶ですか?」

「はい! そうみたいです」


 ウティレは『頑張りました!』とばかりに胸を張る。上手くやった自信はあった。


「ウティレ! あなたねぇ!」

「お前は何考えてるんだよ!」


 なのに、王妃の侍女と侍僕は怖い目を向けてウティレを責めて来た。


 視線をそらすと、おろおろしている勇者が見えた。こんな事に巻き込まれて可哀想だと思う。この勇者はよく喧嘩に巻き込まれるようだ。


「嫌がらせをなしにするとかそういう事は出来なかったの?」

「それやったらここの女主人の怒りを買います。それでさらにとんでもない嫌がらせをされたら元も子もないでしょう。王妃殿下のためにもここら辺で食い止めるだけでいいかと」


 そのためにウティレは料理人の制服を勝手に拝借して彼らに混じって来たのだ。そうして言葉でうまく思考を誘導した。

 ウティレはこういう事は得意だ。だからこそ、魔王から王妃の同行者として選ばれたのだろう。

 でも、これでは専属魔術師というよりは隠密に近い。それを考えるとちょっと複雑な気持ちになる。


 ウティレには魔術師としてのプライドもあるので、今の内緒話の為の防音結界はしっかりと自分で張らせてもらった。


「本当にこれがここの領主の好物なの?」

「ええ。領主夫妻に確認するまでしっかりと同行しましたから」


 領主は好物のお茶を『嫌がらせ』に使う事を少し躊躇していたようだったが、王の命令には逆らえないという事でそれで妥協していた。『好みだったらいいのにな』という言葉をウティレはしっかりと聞いている。


 王妃は、今、ここにはいない。領主夫人のお茶会に招かれているのだ。

 きっと領主夫人は客人の前でレイカ王妃を馬鹿にする気だろう。嫌がらせはもう始まっている。そのために、領主夫人はレイカ王妃が到着して早々に午後のお茶に誘ったのだ。


 ただ、急いで王妃に報告をした時は、彼女は不敵な笑みを見せていたから大丈夫だろう。もちろん、その時に茶葉も見てもらった。


——『これ』で私に嫌がらせをするって言うの。馬鹿じゃない?


 そう言って笑う横顔は少し怖く見えた。口調が丁寧ではなかったから故郷の言葉で喋っていたのは分かる。


 警戒はしていたようで匂いを嗅いでいたが、嫌いな香りではなかったようだ。最後に『よくやったわ、ウティレ。この事はオイヴァにも報告しておくわね』と微笑んでいたから気に入ったのかもしれない。

 だからこそ先ほどウティレは胸を張ったのだが、その時そこにいなかった——王妃は茶会に行く支度をするために、女官と護衛だけを連れてすぐに客室に入らなければいけなかった——侍女達には分からないのだ。


 そんな事をウティレが考えている間に、みんなでお茶を味見してみようという意見がまとまったようだ。


「最初にあなたが飲むのよ、ウティレ」

「分かっています」


 ウティレの返事を聞くと、侍女はテキパキとお茶の準備を始めた。その間に別の侍女が使用人の控え室から使用人用のカップを人数分持って来る。


 本当は使用人が主人が泊まる客室で勝手にお茶をするなど許される事ではないのだが、今回は仕方ないだろう。王妃も多めに見てくれるはずだ。


 王妃がこのお茶に動揺してなかったのでそこまで心配ではないだろうが、始めて飲むお茶がウティレの口に合うのかは心配だ。おまけに合わない味でも、ここには王妃がいないのでミルクやクリームを持って来てもらうわけにはいかない。せいぜいこの部屋にある砂糖をほんの少しだけ入れられるくらいだ。


「何これ!?」


 侍女が声をあげる。


「どうしたんですか?」

「お茶の色が変なの!」

「え!?」


 彼女から出た爆弾発言にその場のみんながお茶に注目する。確かにハンドルのないティーカップ——これも『嫌がらせ』の一種だろうか——の中にはいつもの暗めの赤橙色ではなく、草木のような緑色の液体が注がれている。


 なるほど、とウティレは納得した。見た目からして違えば、普通はその味を怪しむものだ。


『……これは何ですの?』

『あら、魔族の王妃様はこんな物もご存知ないんですの? 無教養ですこと。おほほほほ!』


 ウティレの頭にこんな会話が展開された。きっと領主夫人が求めているやり取りも同じようなものだろう。こうやって王妃をこけにするつもりなのだ。


 王妃はこれを見て何を思うのだろう。さすがのウティレも、もう自分を誇る事は出来なかった。


「ああ、緑茶か!」


 そんな気まずい空気をしっかり割って来た人間がいた。勇者ジャンだ。こういう所で勇者っぷりを発揮しなくてもいい、とウティレはどうでもいい事を考える。


 そんなウティレには構わず、ジャンはさっとカップを口に運び、『ああ、やっぱり』などと言っている。


「緑のお茶……ですか? ジャン様」

「はい。僕の世界の東の方の国でよく飲まれているお茶です。発酵していないので本来の緑色をしているんですよ」


 いつも飲んでいるお茶が発酵したものだという事をウティレは知らなかった。こういう所で虐げられていた貴族令息の無教養が出て来る。

 なんだか悔しかった。他の使用人達がそろって分かったような顔をしている分余計に、だ。


「東の方の国ですか?」

「はい。日本とか中国とか。……そういえば王妃殿下は日本人でしたっけ」


 あ! と嬉しそうな声を出したのは誰だっただろう。それなら安心だ。


——よくやったわ、ウティレ。


 王妃のご機嫌な声が蘇ってくる。


「偉いぞ、ウティレ!」


 先ほどのお叱りなど忘れたかのように侍僕がそんな事を言って来る。その場は大きな笑いに包まれた。

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