第3話 傷ついた隠密

 麗佳はアーッレ王に相当憎まれているようだ。


 最初からマリエッタが攫われたのはただアーッレ王が欲しかったからだけだとは思っていなかったが、この対応はあまりにも大きかった。


「またこれですか。ヴィシュ王城の他の場所にも似たような付与がかけられていそうですね」


 どれだけ好きなんだか、と言ってウィリアムは呆れた目をしている。それでもわざわざ実体化した魔術式を浮かべて解析しているあたりしっかりしている。


「妃殿下、何をしているんですか。大事な所なのできちんと見ていてください」

「あ、はい」


 おまけに叱られてしまった。ウィリアムは魔術を解きつつ、麗佳の授業もする事にしていたようだ。だったら今浮かべている魔術式は説明の為というのもあったのだろうか。


 ウィリアムの側に寄ると、何故かオイヴァまでついてきた。


「オイヴァ?」

「必要なんだろう」


 オイヴァはこういう所が真面目だ。


「ウィリアム先生、彼にかけられた魔術に魔族が触れたら危ないとかいう魔術式はついていますか?」

「そういう二重掛けはないですね、さすがに」


 念のために聞くと、苦笑混じりにそう返ってきた。それはそうかもしれない。そんな事が出来るほどの魔術師が過去のヴィシュ王国にいれば、麗佳はとっくに魔術史の授業で習っているはずだ。ウィリアムがそんな者の記録を逃すはずがない。


 隠密は、マリエッタが捕われている部屋の窓の鍵を魔法で開けようとして、例の『体力と魔力をごっそりと削られる魔術』に引っかかってしまったらしい。

 すぐに城に転移し、駆けつけた麗佳によって応急処置としての治療魔術はかけられているが、それでも危険な状況には変わりない。


「あ、あの……魔導師デイヴィス様、私は死ぬのでしょうか?」


 魔術をかけられた隠密が震えながらウィリアムにそう問いかける。この城でウィリアムのファーストネームを聞く事はあまりないので新鮮だ。


「そうならないように、今診察をしています。ただ、死ぬ事はよほどの事がない限りないでしょう。それに関しては魔王妃殿下に感謝しなければなりませんよ」


 部屋にいる全員からほっとしたため息がもれる。


 ウィリアムはほんの少しの時間、魔術式を睨んでいたが、すぐに『よし』とつぶやく。それと同時に無駄のない綺麗な魔術式が隠密の周りに漂った。

 そうしてウィリアムの作った魔術式は隠密にかけられていた魔術式を次々に捕らえ、邪魔な所を消して行く。

 みんなは息をつめてウィリアムの魔術を見ている。それだけ彼の魔術は芸術的なのだ。

 最後に、残った魔術式がすうっと患者の体の中に入って行った。患者もそれは予想していなかったようで驚いた声を上げる。


「な、何を……!?」


 患者は魔術が分からないのでパニクっているが、麗佳には分かった。ウィリアムは彼の魔術式で前の魔術式を無効にしつつ文字を削り、新しい魔術式を作ったのだ。漢字で言えば、つくりだけ残し、へんを変えて違う文字にするようなものだ。


 普通はこんな事は出来ないだろう。魔導師なら出来るのだろうか。素直にすごいと思う。


「まあ、さすがにこれをやれとは言いませんが……」


 そう言って麗佳の方を見る。つまりウィリアムの力を借りずとも、麗佳自身で解術を出来るようになれ、と言っているのだ。


「それは少し厳しすぎやしないか?」


 オイヴァが不安そうに言った。確かに解術は難しい魔術の一種だ。普通はそんなに簡単に『出来るようになれ』とは言えない。


 でも、ウィリアムはいつも厳しい目標を麗佳に課すので、これくらい言われるのは覚悟していた。


 そして麗佳は知っていた。ウィリアムは相手が絶対に出来ない事をやれとは言わない。もし、麗佳がそこそこの成果を出していなければ、基礎と軽い応用を教えてさっさとイシアルに帰っていたと直接言われた事もある。


「分かりました、先生。わたくし頑張りますわ」

「いいお返事ですね、妃殿下」


 優等生の返事をするとウィリアムも満足そうな顔をする。どうやらこれからも厳しい厳しい授業は続くようだ。

 頑張れよ、というように、オイヴァも麗佳の頭をぐりぐりといつもより強めに撫でて来る。撫で方が優しくないのはやはり複雑な気持ちを持っているからだろうか。


「それにしても一体どうやって……」


 患者の隠密はわけが分からないらしく目を白黒させている。ついでに王宮魔法使いの長のエマもびっくりした顔をしている。


 当たり前だ。魔法と魔術は使い方の根本的なものが全然違う。彼らは『魔術式』とは無縁なのだ。

 逆に麗佳は魔法で使う魔法陣が魔術式なしでどうやって出来るのかさっぱり分からないのでお互い様と言えばお互い様だ。


 ウィリアムが一応は説明しているが、やはり分からないようだ。隠密達などは『何でわざわざそんな面倒くさい事をしているんだ』という顔をしている。


 その顔を見て、『まあ、そうでしょうね』と言って苦笑している所を見ると、ウィリアムもこの反応は予測していたようだ。


「陛下、ちょっと……」


 その時、音もなく隠密の長が入って来た。先ほどまでちゃんとここにいる事を確認していたはずなのに、いつの間に席を外していたのだろう。


 きっとまた緊急事態だ。こういうものはよく重なるのだ。


「どうした?」

「イシアル王国よりお手紙を預かっております。安全は確認いたしました。渡して来たのもいつもイシアルから送られている者なので大丈夫かと存じます」


 イシアルと聞いてウィリアムが一瞬顔をあげた。彼はイシアル人だ。きっと関係があるのだろう。


「そうか。ご苦労だった」


 オイヴァがそう言って長をねぎらう。長は静かに頭を下げた。


「これは……」


 手紙を読んだオイヴァが目をパチクリさせている。臣下がいるのにこういう行動をとるのは相当驚いている証拠だ。


「どうかなさったのですか? 陛下」


 対して、麗佳の方は冷静に尋ねる。落ち着いてください、という意味も含んでいる。

 オイヴァは無言で手紙を差し出してきた。どうやら麗佳も読んでいいらしい。


「マ……まぁ!」


 つい、『マジで!?』と言いそうになる。でも麗佳は王妃だ。そんな俗語は使ってはいけないと必死に堪えた。


 どうやら、今回の事をイシアル王家が知って麗佳達のために憤ってくれているらしい。そして、もし、イシアル側に出来ることがあれば何でも言ってくれ、との事だった。ついでに、この国にいるイシアル人は好きに使っていいと。

 『この国にいるイシアル人』と言うのは間違いなくウィリアムの事だろう。


 どう言っていいのか分からない。非公式の手紙だからふざけているのだろうか。


「どうしたんです?」


 麗佳達が困ったようにウィリアムを見ているのを見て、彼も何かあると思ったのだろう。


「先生に見せても構いませんよね」

「……当事者だからな」


 オイヴァの許可はあっさり取れた。ウィリアムは訝しげな顔をしている。


「僕が当事者?」


 何か嫌な予感がする、とつぶやいてウィリアムは手紙を受け取る。そしてすぐに舌打ちの音がした。おまけにイシアル語で何か分からない事を吐き捨てた。


 イシアル語の罵倒表現など麗佳にはさっぱり分からない。困ってオイヴァを見ると、苦笑している。どうやら『僕は王家の所有物ではない!』と言っていたらしい。本当はもっと乱暴な悪態をついていたのだが、オイヴァが意訳したおかげで麗佳が知る事はなかった。


「すまない、ウィル」

「いんですよ。ここまで書かれたら関わるしかないのでしょうね」


 あなたがたには何の文句もないのですから、と言っていつもの笑みを見せる。だが、『あなたがたには』を強調したのを麗佳は聞き逃さなかった。きっと『イシアル王家』には大いに文句を言いたいのだろう。


 ただし、イシアル王家の使いではなく、麗佳の師匠として関わらせてもらう、と言っていた。


 それでも麗佳達には本当にありがたい事だ。きっと対ヴィシュで使う魔術の指導を積極的にしてくれるのだ。だから素直にお礼を言った。


「それにしてもどうしてイシアル王家が協力してくれるのでしょう?」


 ぽつりとつぶやく。最近日常的に魔族語を使うせいで、時々独り言まで魔族語で出て来るようになった。


「イシアルは、ヴェーアル王国に申し訳なく思っているんですよ」


 ウィリアムが一言で答えてくれる。でもそれだけではよく分からない。麗佳はやっぱり首をかしげることになってしまった。

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