第2部 魔王妃の役目

第3章 引き裂かれた勇者たち

第1話 夫婦喧嘩

 ウティレが王宮魔術師長からの書類を持って来た時、魔王の執務室から厳しい声が聞こえてきた。


「お前は何を言っているのか分かっているのか?」

「分かっていますわ。分かっている上で行きたいと申し上げているのです! ここで引いたら負けを認めるようなものでしょう?」


 この声は魔王夫妻だ。いつもはラブラブな二人なのに喧嘩するのは珍しい。


 おまけに昨日からまた新たな勇者がこの城に滞在しているのだ。本来なら仲間割れしている場合ではない。そんな事はあの二人が一番知っていると思っていた。


 大人げない、と心の中でつぶやく。


 それにしても何があったのだろう。

 昨日まではあの二人は周囲が嫌になるほどのラブラブ光線を放っていたのだ。どうやら前の勇者の事で絆が深まったらしい。


 みんなは微笑ましそうな目で魔王夫妻を見ているが、彼女のいないウティレにとっては鬱陶しいものでしかない。間違いなく宗教的にはいい傾向なのだろう、くらいは思うが。


 あの二人が仲良くしてくれるのはこの国の安定に繋がる。この国がある程度安定しているという事は少しはウティレも落ち着けるという事だ。それはいいのだろう。


 だからこれは困る。


「陛下! 分かってくださいませ! わたくし達はこれ以上馬鹿にされるわけにはいかないのです! オイヴァ! 聞いているのですか? ちょっと! こっちを向いてくださいませ!」


 魔王妃の怒鳴り声が聞こえる。どうやら魔王はそっぽを向いているらしい。あの魔族は二百歳を超えているらしいのにかなり子供っぽい事をするのだ。


 でもいつまでも困っているわけにはいかない。ウティレだって仕事をしているのだ。

 思い切ってノックをする。扉の向こうの怒鳴り声が止んだ。王妃の息を飲む声が聞こえる。


「……ヨヴァンカかしら」

「だろうな。そろそろアイハ史の時間だろう」

「で、でもまだ時間が……」

「ヨヴァンカはいつもはやめに来るからな。お前も教科書を用意した方がいいぞ」

「そうやってまた追い払おうとして! 駄目ですわ。わたくしは絶対に引きません」

「この頑固者め……」


 こそこそ話しているが丸聞こえだ。


 ヨヴァンカは王妃の侍女で、勇者時代の仲間だ。そして彼女の礼儀作法の教育係でもある。レイカ王妃が頭の上がらない唯一の人間だ。


——ウティレ。


 頭に魔王の声が響く。


「は……」


 はい、と返事しようとした声は何かの力にかき消される。


——ウティレ、ヨヴァンカの声を出すんだ。少しこの分からず屋を脅してやれ。


 頭を抱えたくなる。先ほどの声も魔王がわざと聞かせていたのだろう。


 でも命令には従わなければいけない。ウティレは思い切って息を吸い込んだ。


「レ、レイカ殿下、騒ぐのは王族としていかがなものかと思いますわ!」


 頑張って女っぽい裏声を出す。だが、脳内に響く魔王の声がため息を吐いた。努力したのに酷すぎる。

 実際にはオイヴァは声変えの魔術を命じていたのだが、ウティレはそんな事は知らなかった。知っていても使えなかっただろうから同じ結果になるのだが。


「……ウティレ?」


 王妃の静かな、でも呆れた声が響く。早速バレてしまった。


「入れ」


 魔王の、今度は肉声が返ってきた。ウティレはきちんと挨拶をして部屋の中に入る。


 一瞬魔王からどこか責めるような目を向けられた。だが、ウティレは無視しておいた。きっと後で思い切り叱られるだろう。


 だが、レイカ王妃がその視線を無視しなかった。


「あら、これは陛下の命令でしたのね。馬鹿げた事を命じて! 恥ずかしいとは思わないのですか?」


 口調は王族らしいものだが、声は荒い。きっと先ほどの喧嘩のなごりだろう。


 思わず『はぁ? これはオイヴァの命令なの? こんな子供ガキっぽい事して! いい加減にしてよ!』という訳が浮かんで来る。


 王妃は内輪の場では結構こういう口調を使うのだ。

 友人のハンニから教えてもらったが、そういう時の王妃は通訳魔術越しに故郷の言葉を使っているのだそうだ。どうやら一般家庭出身だったらしい。だからと言ってどうと言うわけではないが。


「それで? 何の用だ、ウティレ」


 魔王は王妃の文句を聞かない事にしたようだ。王妃が呆れたようにため息をついている。


 こんな喧嘩に巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。こういう時はさっさと用件を済ませるに限る。


「魔術師長からの書類を持って参りました」


 気を取り直して用件を口にする。王妃が納得した顔をする。


 今、ウティレが持っているのは定期報告書だ。もちろん王宮副魔術師長である王妃も内容を知っている。昨日しっかりとサインをしているのをウティレも見た。


 魔王はいつものように書類を受け取り、机にある別の書類の山の上に置いた。後で夫婦喧嘩が終わった頃にでもまとめてサインをするのだろう。


 それでウティレの仕事は終わったはずだ。なのに、魔王からはちっとも『行っていい』の言葉が出ない。

 王妃もいつもとは違う対応に首を傾げている。


 しばらく三人の間に戸惑いの沈黙が流れた。魔王はむっつりと黙り込んでいるし、王妃は『何か言え!』という視線をウティレに向けて来る。そして王と王妃の間に挟まれて困っているのがウティレだ。


 それでも誰かが何かを言わなければこの変な空気は収まらない。


 自分が不敬を覚悟で『いい加減にしろ!』とでも言わなければいけないのだろうか。


「ウティレ」


 ため息をつこうとした時にようやく魔王が口を開いた。でもその声はとても厳しい。


「何でしょうか、魔王陛下」

「お前も一緒にこの分からず屋をなんとかしてくれないか?」

「はい!?」


 沈黙が途切れたのはいいが、余計に大変なものが襲いかかってきた。


「誰が分からず屋ですか。それはオイヴァの方ですわ。ねえ、ウティレもそう思うでしょう?」


 そしてその相手もどこか怒っている。やっぱりウティレは二人に挟まれて困るのだ。


「何が起こったんですか?」


 そう尋ねるしかない。


 ウティレの質問に王妃がため息をついた。


「そうね。説明しなければ分からないわね」


 どうやら話してくれるらしい。それならどちらに着くか決められる。ただ、王妃に味方したら、魔王によって勇者の持って来たであろう『ウティレを殺す剣』でぐさりとやられてしまうのかもしれないが。


 後で関係者にも話すが、先にウティレには話しておくという。どうして? と尋ねると『ここにウティレがいるから』と返ってくる。ひどく単純な理由だ。そんなので大丈夫なのだろうか。


 とりあえず魔王にすすめられるまま椅子に腰掛ける。


「ところでウティレ、あなたプロテルス公爵とはまだ連絡をとっているの?」

「プロテ……?」


 突然話が脱線した。でもその名前には聞き覚えがある。それは嫌な思い出に分類されるはずだ。

 プロテルス、プロテルス、と何度も口の中で繰り返す。


 それで思い出した。プロテルス公爵はこの国の筆頭公爵でありながらヴィシュ王国と通じ、ウティレを刺客としてこの城に送り込むのに協力した男だ。


 すぐに嫌な思い出が次々と浮かんで来る。あの屋敷には魔族語と魔王城への侵入経路を覚えるために短期間暮らしていたが、あれは今までの十八年間生きてきた中で一番最悪な日々だったと言える。

 食事はしょっちゅう抜かれるし、与えられたノルマをこなさなければぼろぼろになるまで殴られた。おまけに与えられた部屋は実家にいた時より酷い物置みたいな所だった。

 最初から人間であるウティレは、いや、ヴィシュ人はあの男に見下されていたのだろう。


 あれを考えると、罪人としてこの城に閉じ込められていた時の方がはるかにいい待遇だった。

 他国からの刺客だったウティレに、罪人とはいえ貴族扱いをしてくれたのだ。

 見張りという名目だったがお世話をしてくれる魔族がいて、暴力も振るわれず、食事には前菜や食後の果物までついていた。

 きっと寝返って欲しいという願望もあったのだという事は当時のウティレにも分かっていたが、それでも信じられないほどの扱いだった。

 捕まったときのウティレは、じめじめした地下牢でパンと水だけで暮らす覚悟をしていたのに、だ。


「ウティレ? どうかしたのか?」


 そんな事を回想しているせいで返答が遅れたらしい。魔王と王妃が不思議そうな目でウティレを見ている。

 これに関してはウティレには何の罪もないし、言わなければ逆に疑われる。なので素直に話した。


 魔王は一瞬眉をひそめる事で不快感をあらわす。


「ああ、そういえばお前は冷遇されていたんだったな」

「はい」


 それだけ答える。そんな話に触れて欲しくはなかった。


「ごめんなさいね。今回の件に公爵が関係していたから何か知っているのではないかと思って」


 それで分かった。

 きっとウティレが裏切っていない事は魔王夫妻も知っているだろう。でもあえて本人に確認をしたのだ。そして同時に『これからも裏切るな』と釘を刺した。

 だから『そうですか』とだけ答える。


「それで、何があったんですか?」


 改めて尋ねる。きっとこの様子ではウティレはこの件に関わらなければいけないだろう。


「昨日、新しく召喚された勇者がこの城に来たのは知っているわね」


 黙ってうなずいた。そんな事は王宮魔術師全員が知っている。確か薄茶色の髪にダークブラウンの目、そして黒ぶち眼鏡をかけた男だ。ウティレは少し見かけただけだが、神経質そうだ、という印象を持った事をよく覚えている。


「その召喚の時に事故で彼の恋人がついて来てしまったらしいのよ」

「え?」


 いきなり突拍子もない話が出て来た。召喚にその召喚対象でない人間がついて来てしまったなんて聞いた事がない。

 素直に思った事を話すと王妃も困った顔をした。


「そうね。きっと足下に魔法陣が現れて連れ去られそうになったジャンを……あ、ジャンっていうのは勇者の名前ね。で、そんな怪しげな魔法陣に連れ去られそうになっているジャンを見て彼女が慌てて引き留めようとしたんだと思うの。おおかた腕でも掴んだのでしょう」


 何故か王妃の顔が青い。一体何を考えているのかウティレには分からなかった。


「レイカ、お前のときは誰もついて来なかったんだから」

「……そうね」


 魔王が優しく慰める。それで王妃も落ち着いたようだ。


「で、その女性にアーッレ陛下が目をつけたの」

「もしかして攫ったんですか!?」


 反射的にそんな言葉が出る。あの王ならやりかねない。自他とも認める女好きなのだ。

 王妃は神妙な顔をしてうなずいた。


「そうよ。それもプロテルス公の手下を使ってね」


 つまり勇者の彼女を攫ったのは魔族という事だろう。


 それで分かった。きっとそれは魔王のせいという事になっているのだ。


 でも、まだ全てが分かったわけではない。それが先ほどの口論のどこに繋がるのだろう。

 そう尋ねると、魔王は途端に不機嫌になった。ウティレには何も罪がないのに敵を見るような目で睨みつけて来る。


「……何なんだよ」


 ついヴィシュ語でひとりごちる。本当にわけが分からなかった。


「誤解は……解けたのよ。きちんとあの本を読んでいたから」


 王妃がぽつりとつぶやいた。詳しくは知らないが、どうやら魔王夫妻は勇者に真実を知らすために本を作っているらしい。


「だったら何も問題はないではないですか」

「ええ。その点はね」


 それだけ言って王妃は困ったように黙った。


「あの……何があったんですか?」

「あの王は間接的に勇者にレイカ宛の手紙を託したんだ。表向きには手紙の送り主はプロテルス公爵だという事になっている」


 魔王がうなるような低い声で言った。これはかなり怒っている。


「な、内容は?」

「『勇者の彼女はいただいた。助けたければ王妃が来い。ただしその場合王妃が魔王より勇者を大事にしていると国中に言いふらす』だそうよ」

「え……」


 あんまりな内容にウティレは何も言う事が出来なかった。

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